節分といえば、
豆まき!子供の頃から慣れ親しんでいるせいか、当たり前のようにやっている方が多いと思います。
しかし、よく考えてみるとどうして?と思うことが少なくありません。
そこで、主な疑問を解決し、正統派豆まきをマスターしてみましょう。
艮の金神(国常立尊)が厳格でありましたため、他の神々から排斥されて押し込められた日を、節分というのであります。
冬から春に転換する、すなわち節が分かれるから節分というのであります。
(節分に)神代の時代、輿論のため、神同志と人民が追放した。そして鬼門の金神となった。
それ故実際は鬼門が一番いい。それが節分の日である。
それはまた冬から春に転換する。翌日から春になる。大寒が節分で開ける。節が分れるから節分という。
天照皇大神の岩戸隠れ以後の時代を言うんです。
伝説によれば国常立尊は非常に厳格な神様で、
そのためその支配にやり切れず八百万の神々が一致して御引退を願った。
結局世論に抗しかねて御引退になったということになってますがね。
艮に引退せられ北海道の芦別山に押し込められた。これは本当でしょう。
これが節分の日で、一般の者はそれから豆を煎ってこれをぶつけるようになったんです。
神々はこの煎豆に花が咲いたら出てきてもいいということを言って節分の行事をしたんです。
そのとき国常立尊は綾部にもおられたんです。
そのためか綾部地方は、鬼は内、福は外と逆に言うんです。
ですからこれは事実と思えるんですね。
艮の金神(国常立尊)が厳格でありましたため、他の神々から排斥されて押し込められた日を、節分というのであります。
冬から春に転換する、すなわち節が分かれるから節分というのであります。
(節分に)神代の時代、輿論のため、神同志と人民が追放した。そして鬼門の金神となった。
それ故実際は鬼門が一番いい。それが節分の日である。
それはまた冬から春に転換する。翌日から春になる。大寒が節分で開ける。節が分れるから節分という。
天照皇大神の岩戸隠れ以後の時代を言うんです。
伝説によれば国常立尊は非常に厳格な神様で、
そのためその支配にやり切れず八百万の神々が一致して御引退を願った。
結局世論に抗しかねて御引退になったということになってますがね。
艮に引退せられ北海道の芦別山に押し込められた。これは本当でしょう。
これが節分の日で、一般の者はそれから豆を煎ってこれをぶつけるようになったんです。
神々はこの煎豆に花が咲いたら出てきてもいいということを言って節分の行事をしたんです。
そのとき国常立尊は綾部にもおられたんです。
そのためか綾部地方は、鬼は内、福は外と逆に言うんです。
ですからこれは事実と思えるんですね。
節分といえば「鬼は外!福は内!」と言いながらの豆まきを思い出しますが、近年、恵方巻きを取り入れる方が増えています。
「節分は子どもの頃から恵方巻きです」という方、「あれって冗談かと思ってました」という方、「***」という方。何かと謎の多い恵方巻きについてレポートします。
想像以上にボリュームのある太巻き。食べきれない方のためにショートサイズや細巻きも人気です。
2017年の恵方は北北西やや北。食べ方のルールは?
恵方巻きの特徴は、何と言ってもその食べ方。まずはそのルールを説明します。
1:太巻きをひとりにつき1本準備する
福を巻き込むことから巻き寿司。縁が切れたり、福が途切れたりしないよう、包丁で切ってはいけません。七福神にあやかり、7種類の具が入った太巻きが望ましいとされています。巻き寿司を鬼の金棒に見立て、それを退治する意味もあるとか。
2:恵方を向く
恵方とは、その年の福徳を司る歳徳神(としとくじん。年神様の別称)のいる方角で、その方角に向かって事を行えば何事も吉とされています。2017年の恵方は、北北西やや北(32方位でいうと北微西やや西)です。
3:願いごとをしながら、黙々と最後まで食べる
しゃべると運が逃げてしまうので、食べ終わるまで口をきいてはいけません。さらに、目を閉じて食べる、笑いながら食べるという説もあります。
いかがですか。家族揃って同じ方向を向き、黙々と太巻きを食べる光景はなかなかお茶目!? 真面目に最後まで成し遂げるのは結構大変です。
呼び名もいろいろ
・恵方を向いて福を巻き込む巻き寿司を食べるから「恵方巻き」(また、豆まきの“まき”をもじっている)
・恵方を向いて食べる寿司なので「恵方寿司」
・丸かぶりするので「丸かぶり寿司」
このほかにも「幸福巻」「招福巻」「開運巻き寿司」など、地域やお店によって様々な呼び名があります。
【 ちょっぴり雑学:節分は年に4回 】
もともと節分とは季節の分かれ目をいい、「立春、立夏、立秋、立冬の前日」のことをさします。しかし、昔は立春が新年の始まりにも相当する大事な節目だったため、その前日の節分は大切な日でした。そこで他の節分よりも重要視されるようになり、節分といえば立春の前日をさすようになりました。最近は、立春の前日(2月。冬の節分)以外の節分に注目し、5月に春の恵方巻き、8月に夏の恵方巻き、11月に秋の恵方巻きを提供するところもみられます。
「節分は子どもの頃から恵方巻きです」という方、「あれって冗談かと思ってました」という方、「***」という方。何かと謎の多い恵方巻きについてレポートします。
想像以上にボリュームのある太巻き。食べきれない方のためにショートサイズや細巻きも人気です。
2017年の恵方は北北西やや北。食べ方のルールは?
恵方巻きの特徴は、何と言ってもその食べ方。まずはそのルールを説明します。
1:太巻きをひとりにつき1本準備する
福を巻き込むことから巻き寿司。縁が切れたり、福が途切れたりしないよう、包丁で切ってはいけません。七福神にあやかり、7種類の具が入った太巻きが望ましいとされています。巻き寿司を鬼の金棒に見立て、それを退治する意味もあるとか。
2:恵方を向く
恵方とは、その年の福徳を司る歳徳神(としとくじん。年神様の別称)のいる方角で、その方角に向かって事を行えば何事も吉とされています。2017年の恵方は、北北西やや北(32方位でいうと北微西やや西)です。
3:願いごとをしながら、黙々と最後まで食べる
しゃべると運が逃げてしまうので、食べ終わるまで口をきいてはいけません。さらに、目を閉じて食べる、笑いながら食べるという説もあります。
いかがですか。家族揃って同じ方向を向き、黙々と太巻きを食べる光景はなかなかお茶目!? 真面目に最後まで成し遂げるのは結構大変です。
呼び名もいろいろ
・恵方を向いて福を巻き込む巻き寿司を食べるから「恵方巻き」(また、豆まきの“まき”をもじっている)
・恵方を向いて食べる寿司なので「恵方寿司」
・丸かぶりするので「丸かぶり寿司」
このほかにも「幸福巻」「招福巻」「開運巻き寿司」など、地域やお店によって様々な呼び名があります。
【 ちょっぴり雑学:節分は年に4回 】
もともと節分とは季節の分かれ目をいい、「立春、立夏、立秋、立冬の前日」のことをさします。しかし、昔は立春が新年の始まりにも相当する大事な節目だったため、その前日の節分は大切な日でした。そこで他の節分よりも重要視されるようになり、節分といえば立春の前日をさすようになりました。最近は、立春の前日(2月。冬の節分)以外の節分に注目し、5月に春の恵方巻き、8月に夏の恵方巻き、11月に秋の恵方巻きを提供するところもみられます。
【仕掛けたのは誰?恵方巻きの由来・ルーツ】
どんどんバリエーションが広がる恵方巻き。今や、寿司のみならずスイーツなどもありますがその由来は?
恵方巻きの起源や発祥については諸説あり、後付けと思われるものも少なくないため、定かではありません。有力な情報を時系列でまとめると次のようになります。
☆大正初期…大阪の花街で、節分の時期にお新香を巻いた海苔巻きを恵方に向かって食べ、縁起を担いでいた。
☆1932年…大阪鮓商組合が「節分の日に丸かぶり ~この流行は古くから花柳界にもてはやされていました。恵方に向いて無言で壱本の巻寿司を丸かぶりすれば其の年は幸運に恵まれる」と書いたチラシを配布。当時のチラシが「本福寿司」(大阪中央区)に残っています。
☆1973年頃…大阪海苔問屋協同組合が「節分の夜、恵方に向かって無言で家族揃って巻き寿司を丸かぶりすると必ず幸福が回ってくる…と昔から言い伝えられています」と書いたチラシを、寿司屋に海苔を納める時に配った。当時は大阪のデパートでも「2月3日 幸運巻き寿司売り出し」と宣伝販売されていたらしい。
☆1977年…海苔業界による街頭イベント「海苔祭り」が大阪・道頓堀で開催され、「節分の丸かぶり」を取り入れた「巻き寿司早食い競争」が行われた。これがマスコミに取り上げられて全国に知れ渡ったのをきっかけに、全国主要都市の「海苔祭り」でも宣伝されるようになる。
☆1983年…ファミリーマートが大阪と兵庫で販売開始。
☆1989年…セブンイレブンが広島で恵方巻きの販売開始。翌年より販売エリアが広がり、95年には関西以西の地区、98年には全国エリアで販売するようになる。
こうした流れに伴い宣伝活動も活発になり、様々なお店やメディアでも取り扱われるようになったため、恵方巻きの認知度も拡大し、現在に至っています。
どんどんバリエーションが広がる恵方巻き。今や、寿司のみならずスイーツなどもありますがその由来は?
恵方巻きの起源や発祥については諸説あり、後付けと思われるものも少なくないため、定かではありません。有力な情報を時系列でまとめると次のようになります。
☆大正初期…大阪の花街で、節分の時期にお新香を巻いた海苔巻きを恵方に向かって食べ、縁起を担いでいた。
☆1932年…大阪鮓商組合が「節分の日に丸かぶり ~この流行は古くから花柳界にもてはやされていました。恵方に向いて無言で壱本の巻寿司を丸かぶりすれば其の年は幸運に恵まれる」と書いたチラシを配布。当時のチラシが「本福寿司」(大阪中央区)に残っています。
☆1973年頃…大阪海苔問屋協同組合が「節分の夜、恵方に向かって無言で家族揃って巻き寿司を丸かぶりすると必ず幸福が回ってくる…と昔から言い伝えられています」と書いたチラシを、寿司屋に海苔を納める時に配った。当時は大阪のデパートでも「2月3日 幸運巻き寿司売り出し」と宣伝販売されていたらしい。
☆1977年…海苔業界による街頭イベント「海苔祭り」が大阪・道頓堀で開催され、「節分の丸かぶり」を取り入れた「巻き寿司早食い競争」が行われた。これがマスコミに取り上げられて全国に知れ渡ったのをきっかけに、全国主要都市の「海苔祭り」でも宣伝されるようになる。
☆1983年…ファミリーマートが大阪と兵庫で販売開始。
☆1989年…セブンイレブンが広島で恵方巻きの販売開始。翌年より販売エリアが広がり、95年には関西以西の地区、98年には全国エリアで販売するようになる。
こうした流れに伴い宣伝活動も活発になり、様々なお店やメディアでも取り扱われるようになったため、恵方巻きの認知度も拡大し、現在に至っています。