叔母の葬儀から、数日経ったある夕方、私は父と母にとても大事なことを打ち明けようとしていた。

母は、叔母の死に対して大好きなパチンコ屋で死ぬことができたのだから、本人も満足だろうと言っていた。

 

私は叔母の人生を考えると、好きでもなかったパチンコをしなければならない環境に嫁に行かされたことは非常に同情する気持ちがあった。叔父は、確かに人間的には優しい人ではあったが、とにかく女癖が悪過ぎてしまった。そのために叔母は随分と悲劇的な人生を歩んでしまうといった経験をしてしまったのである。

 

 

さあ! 叔母も叔父も居なくなった今だから言えることが私にはあったのである。父と母に私が小学校2年生~小学校6年生になるまで、私は叔父と叔母の養子となった男に性的虐待を受けていたのである。始めて、小学校2年生のときに叔父と叔母の家に夏休みに遊びに行っていた。隣で寝ていた養子の男が突然と私の布団に手を入れて、私の陰部を触って来たのである。

 

数日後には、養子の男に彼の膨れた下腹部を触らせられた。

そのとき、私は何が何だか意味がわからなかった。しかし、このことはひとに言ってはいけないことであると何故か認識をしていた。

彼の下腹部を触らせられたのは、それ一回のみであったが、法事などで母の祖父の田舎に行ったときは、何も発育していない私の胸を触ることが多かった。私は「止めて!」と言えなかった。

 

そのことを父と母に話すと、父は物凄い怒りで母を責めていた。

母は母で、「そんなことは知らない!」と言って、私を責めて来る。

何故、私は被害者なのに母に怒られなくてはいけないのか!

 

 

性虐待を開けた被害者は、身内に真実を話すと決まって逆に責められると聴いたことがある。

 

 

もし、私が昔に正直に話していたとしたら、母は完全に父から離婚されるだろうと思っていたので、私は正直に話すことは止めていたのである。

 

このときは、養子の男に何もできなかったが、後に私が30代になってから、直接、養子の男に電話をして謝罪してほしいと頼んだが謝罪することはまったくなく、「もう!時効だよ!」とのたまうのだった。

 

そこで、私は養子の男と駆け引きをすることにした。つまり、謝罪することと、私に詫びとして100問円支払うことと、どちらを取るのか聴いてみると、驚いたことに100万円を支払うことに従ったのである。

 

早速、私は自分の銀行口座を教えてあげて、数日後に入金するように要求すると、数日後にさきちんと100万円が入金されていた。

すでに母は他界していたので、病気中の父に銀行手帳を見せると

当たり前の話だ!と言っていた。その100万円はエステで全て使ってしまった。

 

今、思えば貯金して置けば良かったかもしれないが速く忘れたいという気持ちがあったので、きれいに使ってしまったのである。