まだ、劇団での稽古は、本読みの段階だったので、かなり余裕はあったので、衣装などを着ける時間までには、まだ時間がかかるはずである。それまでは、いつものようにサポーターを左腕に着けて、劇団に通っていた。

 

それから、また数日が過ぎた。手術したところは、一時的に腫れはしたが医師が言うように段々と、腫れは引いていった。

本日が、二度目の手術となる。今日、手術してから術後に数日通えば、全てから解放される!

 

 

母と、張り切って出掛けて行った。いつもより、池袋の美容整形外科にはクライアントたちが多く通院するようになった。現在、通っているクライアントたちは、私が初診で来た頃よりも、かなりの割合で全面整形手術が必要そうなクライアントたちが増えて来たようである。失礼ではあるが、病院の待合室では安心して顔出ししている

女性たちも多かったので、お顔を拝見することができた。

 

 

私が医師だとすれば、ほぼ全員の方々が全面整形をされた方がよろしいかと思われるのである。私が2度目に来た辺りでは、部分整形か?身体のとくに胸を大きくしたいような方々が多かったように思う。

 

本日は、たいへんだ医師たちも。と同情したくなるばかりである。

受付での会計の金額を聴いただけでも驚きである。今日は、50万円です。今日は50万円で、いつはいくらなの?と、聴いてしまいたい気分である。

 

 

実は、私の残りの半分の刺青の手術は二通りの手術方法があった。いわゆる高額の方が、刺青を消したあとがスッキリと見えなくなる手術もあったが、高額だったので、もう一つの手術にしてしまった。両親は高額でもスッキリ消えてしまうならそれでいいと言ってはいたが、私が遠慮したのである。これ以上、私のために散財しないでほしいと思ったからである。

 

 

これは、今現在、考えたら高額にしてもらった方が良かったと思う。明らかに手術後が消えていない。何か、怪我をして手術したらしいというのが、明らかにわかるのである。

 

 

二度目の手術が終わってから、全てが完了したときに父は私の左腕の手術後が気になると言い出すのだ。やはり、高額の手術にしていれば良かったと言っている。父は、そのうちにもう一度手術をして手術後が見えないように再手術しようと言ってくれて、私は大喜びはしたが、今現在は、父と母もいない。すでに他界してしまったのである。

あ~! もっと速く、父に頼めば良かったのだーーーーーーーーー!

 

クライアントの多い本日に私は無事に二回目の手術を終えることができたのである。

 

診察室から出て来た私の左腕には包帯が巻かれていた。母は気を利かして「左腕の手術が無事終わって良かったわね!」と。全面整形の必要があるクライアントたちに向けて声高に叫んだ母であった。母の声高は叫びの声にも聴こえていた。

この叫びを聴いた私は、もう!私の過去は、全てシュレッターで消去されたのである。「やったね!やったね!」という晴れやかな気持ちであった。

 

それと、もうひとつ、手術という厄介なことは終わったので、もう、この池袋の美容整形外科に数回、術後を見せるだけである。もう、こんな威圧的で暗いイメージでありながら、何か女同士の戦い染みた圧迫感があって苦しいところにはいられない。

 

 

毎回、この場所の待合室で我慢しながらの通院だったので、本当に心から安堵したのは言うまでもないのだ。