【出会い】





時々。



時々“天下一品”のラーメンが食べたくなる。仕事帰りに北新地の天下一品でラーメンを食べた。スープが熱くて火傷したけれど、とても美味しかった。その帰りに“ピーコ”を見た。オシャレに着飾ったピーコは“シュッ”としていてかっこよかった。追いかけて写真とサインをいただこうかと思ったが、人が多い通りだし、なんだか急いでいるようだったので迷惑になってはいけないと思い断念した。ボクは意外に大人なのだ。



ウットリ。



女子はどんな言葉にウットリするのだろか?


  命に代えても君を守る


こんな発言をするような男を信用してはいけない。この手の男の殆どは“いざという時になると命を差し出さずに君を差し出して逃走する性癖”の持ち主だ。もし、仮に男が本物で“命に代えて君を守った”としよう。だが、その後の君は誰が守るのか?“己”が生きているからこそ“君”を守れるのだ。確かに“命と引き代えに君を守って男は天に召された”の方がロマンチックだ。親戚や友人といった周りの人々も香典を分厚くしてくれるだろう。しかし“君”は不幸だ。ひとりぼっちになった“君”が次の恋をするには最低でも10年は期間を空けておかないと分厚い香典をくれた周りの人々が陰口をたたくに違いない。だから嫌でも恋愛を遠投しなければいけない。瞬間はロマンチックであっても後が不幸だと“何のこっちゃ”である。それに比べて“君の為なら恥やプライドを捨てでも土下座できる男”はナイスだ。傍から見れば“情けない”や“カッコ悪い”と思われるかもしれないが、それでもいい。なんせ“生きている”のだから。これからも一緒になって怒ることも泣くことも笑うこともできるのだ。スケベなことだってできるのだ。だいたい“命”は“ひとつ”しか
ないのだから大切にしなければいけない。捨てたプライドが気になるのなら拾えばいいことだし。ただ、普通の生活をしていても不意に“命を差し出してでも守らなアカン”という“幸せな場面”に遭遇する人もいる。土下座も効果のない“幸せな場面”に遭遇するのだ。けれど恐れる必要はない。その時の為に神様はキンタマをふたつぶらさげてくれたのだ。命はひとつ、キンタマはふたつ。キンタマはひとつあれば子孫を残せるそうだ。


  ボクは君の為なら
  キンタマをひとつ
  犠牲にできる


女子の皆様にはこんな男にウットリしてもらいたいと思う。



めでたし、めでたし。