【歌謡日“壱”】





2009年02月10日(火)、12年間続けてきたバンドが正式に解散した。ボクは31歳になっていた。



初めて買ったCDは筋肉少女帯。



高校生活をバイトに捧げていたボクは、ひょんなことから芸術系の短大を受験することになった。理由は“ボクが絵の指導”をしていた友人が推薦入試で合格したのをいいことに、その友人と“友人へ絵の指導をするように”とボクに命じた美術教師に口説かれたからだ。ちなみにこの美術教師は“好きな科目”が“女子大生”で週末は必ず“女子大生とのお食事会”を楽しんではチンチンとチンチンのスケジュールをたてている勃起魔美術教師だった。試験の結果は見るまでもなかった。惨敗だ。一問も解けなかった。それにチンチンの皮がクルブシまでムケていた。ミケランジェロのダヴィデ像を見てもわかるように、芸術にはホーケーが深く関わっている。試験の日にチンチンの皮がクルブシまでムケていては合格するはずがない。ちなみにダヴィデ像に関するボクの見解を言わせていただくと、ダヴィデ像は“銭湯”で“下品なまでにチンチンの皮がズルズルにムケたメンズ”へ『絵に描きやすいチンチンしやがって!そんなズルムケなチンチンで女を抱く神経がわからんわ!恥ずかしないんか!アホちゃうか!皮かぶせとけ!泣くな徳光!亀頭隠してタマキン隠さずや!』て言うて
る場面に違いないとボクは思う。芸術はホーケーだ。ホーケーは盛装だ。ボクはフリーターの内定をもらい、無事に高校を卒業した。



つづく。