今月はいろいろありました。
インフルエンザ(B型)になって、一週間近くお休みし、
ようやく回復してきたところで、
大震災が起こりました。
私は東京なので、被害という被害は殆どなかったのですが、
東北~茨城、千葉あたりでは大変なことになりましたね。
東京でも、オイルショックなのか!?と思うほどに、
トイレットペーパー、ティッシュ、ミネラルウォーターがコンビニや薬局から消え、
これらのお店に依存していた私は慌ててしまいました。
一応、地震の前に、インフルエンザになったということもあり、
多少の備蓄が家にあったので助かりましたが、
トイレットペーパーに関してはついに枯渇しかけたので、
実家(西方)より宅配便で送ってもらいます(今日の午前に届く予定)。
トイレットペーパーを実家から送ってもらうなんて、
考えたこともないですが、
非常に助かります。
東京に居ながら救援物資を受けるとは・・・。
でも、いったいどこでトイレットペーパーがこんなにも消費されているのか、
あるいは製造ができなくて流通がストップしているのか・・・???
これまで何でも手に入るような感覚に陥っていた自分に猛省しました。
豊かな暮らしに慣れてしまうと、
ちょっとの不便で不平不満をつぶやいてしまいがちですが、
そうあってはならないですね。。。
被災地の方、心よりお見舞い申し上げます。
自分でも何かできることはないか・・・???
考えた結果、
まず、最初にできることは祈り・・・。
そして、義援金の救済献金。
やってみました。
あと、SoftBankで(使わないけど・・・)壁紙をダウンロード(安いですが)。
コンビニのレジ横の募金箱に・・・。
そして、今考えていることがあります。
出来るかどうかわからないので、まだ書きませんが、
出来たらブログでも書こうかなと思います。
出来たらね(苦笑)。
さて、学期末、というか年度末。
いろいろ忙しい時期でもありますが、
震災を我が身のものと考えて祈っていきたいです。
(実際、地震の余震もありますし、ペーパー等の不足もありますしね・・・)
最近、「サバイバー・ギルティ」なる言葉を聞いて覚えました。
自分がそうなのかどうか、よくわかりませんが、
過剰な報道閲覧により、自分が助かっていることに対する罪責感を感じるという症状だそうです。
一種の精神的な、メンタルな症状ですね。
テレビばかりみていると、悲観的な報道が多い上に、
素人の生半可なコメントに嫌気が刺したので、
極力テレビをみなくしています。
でないと、自分の心がおれて、「サバイバー・ギルティ」なる症状に陥ってしまいかねないからです。
罪責感ではなく、平安、感謝で満たされなくてはならないですね。
助かったことはもちろんですが、
災害の有無に関わらず、いつも平安な心を持ち続けていたいものです。
ルカによる福音書9章13節前半より(新共同訳聖書)
"しかし、イエスは言われた。「あなたがたが彼らに食べ物を与えなさい。」"
大人の男性だけで5000人以上の人々を、わずか二匹の魚と五つのパンとで養い、お腹いっぱいにされた、
イエス・キリストの奇跡の場面で登場する箇所です。
弟子たちは、人々を家にそれぞれ帰すよう、イエス様に頼みましたが、
イエス様は「あなたがたが」と言われました。
でも、手持ちもない・・・。
そこで、アンデレという弟子を介して紹介された名もなき少年が差し出したのが、
二匹の魚と五つのパン。
数人の人で分けてしまえばすぐに無くなるようなものだったのですが、
奇跡によって、大勢の人が満腹し、
あまりが12のかごいっぱいになったという、
質量保存の法則をぶち破る奇跡の場面です。
自分が持っているものは何だろう・・・。
お金もそんなに無いし、資格もないし。体力・健康は人一倍足りない・・・。
でも、自分にもっているものを捧げるというのは、
大きな祝福を預かる秘訣というか、聖書で共通するパターンなのかもしれません。
いつまでもただ自問ばかりしていても仕方がない。
何かできることは?
節電とかも大事ですが・・・。
(夏場がどうなるか心配な面もありますが、
東電のスペシャリストの皆さん、政府の為に祈りましょう)
行動に移せたらなと思います。
ご報告できたら・・・。
PS
ドイツにいる君!そう、最近読者登録をしてくれた君です(笑)。
お久しぶり。
そこからの祈りも届くはず。
よろしくです。
インフルエンザ(B型)になって、一週間近くお休みし、
ようやく回復してきたところで、
大震災が起こりました。
私は東京なので、被害という被害は殆どなかったのですが、
東北~茨城、千葉あたりでは大変なことになりましたね。
東京でも、オイルショックなのか!?と思うほどに、
トイレットペーパー、ティッシュ、ミネラルウォーターがコンビニや薬局から消え、
これらのお店に依存していた私は慌ててしまいました。
一応、地震の前に、インフルエンザになったということもあり、
多少の備蓄が家にあったので助かりましたが、
トイレットペーパーに関してはついに枯渇しかけたので、
実家(西方)より宅配便で送ってもらいます(今日の午前に届く予定)。
トイレットペーパーを実家から送ってもらうなんて、
考えたこともないですが、
非常に助かります。
東京に居ながら救援物資を受けるとは・・・。
でも、いったいどこでトイレットペーパーがこんなにも消費されているのか、
あるいは製造ができなくて流通がストップしているのか・・・???
これまで何でも手に入るような感覚に陥っていた自分に猛省しました。
豊かな暮らしに慣れてしまうと、
ちょっとの不便で不平不満をつぶやいてしまいがちですが、
そうあってはならないですね。。。
被災地の方、心よりお見舞い申し上げます。
自分でも何かできることはないか・・・???
考えた結果、
まず、最初にできることは祈り・・・。
そして、義援金の救済献金。
やってみました。
あと、SoftBankで(使わないけど・・・)壁紙をダウンロード(安いですが)。
コンビニのレジ横の募金箱に・・・。
そして、今考えていることがあります。
出来るかどうかわからないので、まだ書きませんが、
出来たらブログでも書こうかなと思います。
出来たらね(苦笑)。
さて、学期末、というか年度末。
いろいろ忙しい時期でもありますが、
震災を我が身のものと考えて祈っていきたいです。
(実際、地震の余震もありますし、ペーパー等の不足もありますしね・・・)
最近、「サバイバー・ギルティ」なる言葉を聞いて覚えました。
自分がそうなのかどうか、よくわかりませんが、
過剰な報道閲覧により、自分が助かっていることに対する罪責感を感じるという症状だそうです。
一種の精神的な、メンタルな症状ですね。
テレビばかりみていると、悲観的な報道が多い上に、
素人の生半可なコメントに嫌気が刺したので、
極力テレビをみなくしています。
でないと、自分の心がおれて、「サバイバー・ギルティ」なる症状に陥ってしまいかねないからです。
罪責感ではなく、平安、感謝で満たされなくてはならないですね。
助かったことはもちろんですが、
災害の有無に関わらず、いつも平安な心を持ち続けていたいものです。
ルカによる福音書9章13節前半より(新共同訳聖書)
"しかし、イエスは言われた。「あなたがたが彼らに食べ物を与えなさい。」"
大人の男性だけで5000人以上の人々を、わずか二匹の魚と五つのパンとで養い、お腹いっぱいにされた、
イエス・キリストの奇跡の場面で登場する箇所です。
弟子たちは、人々を家にそれぞれ帰すよう、イエス様に頼みましたが、
イエス様は「あなたがたが」と言われました。
でも、手持ちもない・・・。
そこで、アンデレという弟子を介して紹介された名もなき少年が差し出したのが、
二匹の魚と五つのパン。
数人の人で分けてしまえばすぐに無くなるようなものだったのですが、
奇跡によって、大勢の人が満腹し、
あまりが12のかごいっぱいになったという、
質量保存の法則をぶち破る奇跡の場面です。
自分が持っているものは何だろう・・・。
お金もそんなに無いし、資格もないし。体力・健康は人一倍足りない・・・。
でも、自分にもっているものを捧げるというのは、
大きな祝福を預かる秘訣というか、聖書で共通するパターンなのかもしれません。
いつまでもただ自問ばかりしていても仕方がない。
何かできることは?
節電とかも大事ですが・・・。
(夏場がどうなるか心配な面もありますが、
東電のスペシャリストの皆さん、政府の為に祈りましょう)
行動に移せたらなと思います。
ご報告できたら・・・。
PS
ドイツにいる君!そう、最近読者登録をしてくれた君です(笑)。
お久しぶり。
そこからの祈りも届くはず。
よろしくです。