日々を生きる。~大切なものを失って得たもの。 -4ページ目

生きる糧

スターウォーズエピソード7が制作されるという。

驚いたことに、ルーカスは自身の会社をディズニーに売却してしまった。

嫁さんの作り上げたピクサーをジョブスに、

それは、ディズニー傘下に。

さらに、自身でルーカスフィルムをディズニーに売っぱらってしまうという。

どこか、因縁めいてはいないか?


そして、ファンとしてはそこはかとなく切なくもあるが。

しかしながら、新作が観られるならばファンとしては良しとしたい。


少なくとも、新作にルーカスが関わるらしいので、

どうしようもなく、とんでもないことにはならないだろう。


J.J.ブライムスあたりが手をあげて、

あのスーパー8のようなことにならないと思う。

ルーカスがそれは阻止するだろう。



とにかく、

2015年、エピソード7公開までは死ねない。


ぼくは、陳腐ではあるが、

スターウォーズエピソード7以降の新シリーズを観るまでは

死ねないという、

新たな、生きる糧を得たのだった。

幻の猫

幻の猫

9月も半ばを過ぎたというのに、相変わらず暑く残暑というべきか夏そのものというべきか。

ひどく暑い日々が続いた。


9月一杯で職業訓練は修了だった。

僕は、どうしようのない焦燥に駆られ、それから逃れるため、履歴書を郵送しまくった。

何通も、返送されてきた。

返送されるならば、まだマシな方だ。

面接に出向いて履歴書を預けても、電話で通知することすらしない企業も何社かあった。

「~日までに、内定の連絡を差し上げます。連絡がない場合は………」

世知辛い世の中だ。

電話一本の時間も、履歴書を郵送する金も無駄だというのか。


どんな人間でも時間は平等なはずだ。

つまりは、面接を受けに行く人間も、貴重かどうかは別にして時間を割いて面接に望んでいる。

その人間に対し、こういう対応というのは、甚だ仁義に反するのではあるまいか?

尤も、企業に仁義やコンプライアンスや関係各位に対する配慮などというものは、はなから存在しないのだろうと思う。

昨今のメディアで散見する企業がらみのニュースを見てもそれは明らかだった。


株主のために会社はある。

昔そう発言した、ベンチャー企業の社長は、現在、堀の中にいる。

正論を言って何が悪い。

彼はそういう人だった。

僕は彼を嫌いではなかった。

だが、彼は言ってはいけないことを言った。

金で買えないものはない、と。

僕はその言葉には賛成できなかった。

金で最低限の、人間らしい暮らしは買える。ならば、

僕は納得できたのだが。


僕はその時点で、一社の面接を済ませていた。

面接はうまく行った、と思っていた。

だが、期待はしていなかった。

その企業は、二次面接もあるという。

僕が今まで受けてきた企業というのは、

職安の相談員から電話を入れてもらうと、

明日、面接にきてくれというような企業ばかりだった。

当然そのような企業は二次面接などなかった。

大概は一次面接で終わり、一週間後に合否連絡をするというものだった。

だから、二時面接まで行うような厳正な企業ならば、

僕が内定をもらえるとは思えなかったのだ。

バイトのような仕事の面接も何社か行ったが、ことごとく不採用に終わった。

丸一日、立ったまま手を動かすだけの様な仕事でも、内定はもらえなかった。

それならば、中年オヤジよりも若者の方が良かったのか?

それとも、僕自体に何か問題があったのだろうか?

僕は面接に行くたび、どうしようもない不安に駆られた。

そして、自信も失った。

いや、最初から自信などと言うものはなかったに違いにない。

「このままでは、どこも就職の先がない」

僕は、絶望した。


いつものように職業訓練を終えたあと、

僕は安い飯を途中で腹に入れ、

帰路についた。

ゆっくり飯を食い、読書をした為、

外は闇に包まれ微かな涼を感じ、こんなところで夏の終わりを感じさせた。

車を家のカーポートへ入れ玄関へ向かう途中、

どこからか、猫の声が聴こえてきた。


一瞬、去年死んだ飼い猫を思い出した。


僕はその声の主を探した。

草だらけの我が家の庭に、その主がいた。

それも二匹。

茶虎の子猫だった。

僕は嬉しくなり、我が家の飼い猫の病院通いで、獣医からもらった小袋のキャットフードを探し出し、

その、子猫たちに与えた。

直接、手から与えることはできなかった。

餌を掌に載せて近寄ると、遠くへ駆け去ってしまう。


僕は猫に声をかけながら、キャットフードをそっと地面へ置いた。

一度家の中へ入り、しばらくして餌がどうなったか確認すると、

餌は綺麗になくなっていた。

僕は、友人にメールをした。

「庭に茶虎の子猫が来ていたよ」

「そいつら、飼うのかい?そいつら、幸運を呼ぶ猫じゃねえか、ひょっとすると?」

僕は、友人の気の利いた文面に痛く感心した。

友人は僕を元気付ける術を知っていたのだ。

その晩、布団に潜り込むと僕は、二匹の子猫のことを考えていた。

「あの猫達は、現実だったのか」

僕が飼い猫を失って、事あるごとに思い出し悲しい気持ちになることで作り出された、

幻覚ではなかったか?

僕は翌朝、真っ先に庭を見に行った。


猫はいなかった。


その後、毎日確認したが猫は現れなかった。


それで話は終わりだ。


しかし、付け加えたいことがある。


数日後、先日面接を受けた企業から、二次面接の連絡があった。


現在、僕はその企業に勤めている。

猫は

現実だったのか。

それとも、幻だったのか。

いずれにしても、僕には儚い幸運が訪れたのだと思う。

訓練校が修了しても、

とりあえず、飯は食えるだろう。

ありがたい。

本当に。

お盆、夏の午後

お盆。

両親の墓参り。

従兄弟と会い、

従兄弟の家でごちそうになり、

日が暮れてから帰宅する。


人と会った後は、

いつも必ず、もの悲しい気分になった。

ひとりでいると、

人恋しさも忘れてしまっている。


人と会うとそれを痛感させられた。


車のウインドウをおろすと、

涼やかな風が入り込み、

かすかな草の香りが、

夏を思い起こさせる。


中央分離帯に、


盛大に生い茂った草が揺れている。


夏。


とても気持ちのよい夏の夜だった。