【マグニチュード沙保里ちゃん!】

 

 

吉田沙保里が敗れた朝、時空がねじ曲がるぐらい衝撃を受けた。

あってはならない現実が目の前で起き、心がもう、どうしようもなくな

り、なんとか時間が戻らないかと本気で考えるが、そんなことができる

わけが無く、自分の三半規管に少し異常をきたした感覚になり、

自分の感情をどこに持って行っていいのかわからなくなった。

その日一日つらくやる気がでず、ため息ばかりがでて全く力がでない。

ひょっとしたら日本が戦争に負けた時の日本国民が受けた感情は

こんな感じだったのでは!?とさえ思った。

なぜかふと頭に浮かんだのはバンド連中だ。

意外とスポーツに興味の無い人が多い。

話しても同じ軸で話に乗ってくれる人はほとんどいない。

それがこの日ばかりは本気で本気でうらやましかった。

このつらさを彼らは味あわなくてすむのだ

 

 

リオデジャネイロオリンピック前から自分の一番の関心は

吉田沙保里だった。

彼女が見せる気合いが好きだ。

図抜けた反射神経で相手につけいる隙を与えず、

瞬間見せる野獣の目が鋭く光るともう相手を仕留めている。

それでありながら普段の彼女はいつも素のままであっけらかん。

国民的スターの要素を余すところ無く持っている。

思いっきり泣きじゃくったり豪快に笑ったり、からかわれて恥ずかしがっ

たりそれでいて無敵の女王なのだから、まるでマンガのヒーローのようだ。

だがそのヒーロー、自分は今回どうにも胸騒ぎがした。

果たして勝てるだろうか?

負けるのが怖く、オリンピック前の試合には出なかったというニュースを

聞いて、らしくないぜ!そんなことしちゃあだめだと

心で叫ぶ自分がいた。

前回もその前も直前で負けたから金メダルが取れたんじゃないか。

日本時間の深夜にあった準決勝は、無難に確実に勝ち、

彼女の勝利の方程式通りにいっているように見えたが、余りにも慎重で、

勝つというより、負けないようにやっているようにも思えて

不安の払拭にはならなかった。

決勝は朝方だというので、ベッドで寝ていたが、

やばい寝過ぎと思い飛び起きた時がまさに決勝が始まる直前だった。

ギギーと椅子をおしりに引っ張り浅く腰掛けると思いっきり前傾で

テレビを凝視した。

「いけ!絶対に勝ってくれ!君は負けちゃいけない」

出場レーンに二人が立つ。

吉田沙保里は冷静に見えるが、いつも「よしそれだ!」とうんうん

首を振って相づちを打てる程の気が出てないような。

対するアメリカの選手はどうか!?果たして強いのか?

強そうに見えるかどうかわからないが、彼女には何かの感情が顔に出ていた。

「とにかく何が何でもどうしても勝ってくれ!」

そして向かい合った二人の6分間が始まった。

「よし!」とオレの絶叫が朝っぱらから部屋に響く。

「いけ、いけ、いけ!」

しかしああ~という瞬間、背後を取られた彼女はポイントをとられ、

そのまま時間は無情に過ぎ試合はあっけなく終了した。

最後は彼女がマットで泣き伏せる姿がカメラに映し出された。

あの瞬間、背後を奪い合う刹那の瞬間、あそこに0コンマ何秒かの

執念の差が出た気がしてならない。

 

 

数日後、男子陸上がリレーで銀メダルという歴史的快挙を果たした。

その辺りからやっとショックから立ち直り出した。

そして次第に、彼女の今回の敗戦の世間に与えた激震は、

吉田沙保里が超スーパースターであることを、あらためて浮き彫りに

したのだと思うようになった。

未曾有の金メダルラッシュだった女子レスリングが、

吉田沙保里ただひとりが金じゃなかった事で

かすんでしまった感があるのはかわいそうだったが、

彼女の存在はそれだけレスリング界を覆っている。

ただちょっとオリンピックの舞台では泣き過ぎだったような気もするよ。

吉田沙保里にかっこよさを感じている自分としては、

あそこはスカッとアメリカの選手を祝福してあげた方がかっこよかった。

しかし自分を含めその場になるとできる人間はなかなかいないのは

よくわかる。

それは見ていた人間の教訓にすればいい。

 

 

絶対強者だった人が負ける事は少なくない。

逆に絶対強者のまま終わった人は、

自慢ばかりする様な人になるような気がする。

だからこそ思う、負ける事は大事だ、その後に意味がある。

その時は死にたいくらいに思う屈辱は、自分を大きく飛躍させる

強力無比なバネになる。

過去を未来で変えてやる!それしかないからだ。

だからなのかわからないが吉田沙保里は、引退を表明しなかった。

できれば東京オリンピックを目指したいというのを聞いて

「マジ!大丈夫!?」なんてほんの一瞬思ってしまったが、

やはりメチャクチャ嬉しい。

そんなこんなで、自分はまだまだ吉田沙保里から目が離せないのだ。