【三船敏郎の逆襲】




古本屋で「おっ、こりゃあ買わなきゃ」と分厚い資料本を見つけた。
戦後から現代までの当時の事件や文化を年代別に記してある。
何かのひらめきを求めてオレはこの種の本をよく買うが、新聞社が
まとめたらしく記載は丁寧だ。
白い背表紙を見ると“毎日ムック”と本の名前があり、その下に
口をむんずとへの字に食いしばり、「やっ」と刀を突きだした
サムライ姿の三船敏郎が写っていた。
なんだか本物の侍が写っているようだ。


強風吹き荒れる宿場町。
一匹の侍と十匹のならず者が向かい合い、ジリッ、ジリッっと
距離をせばめていく。
ならず者の一人がピストルを持ったまま言い放つ、
「あんまりこっちに来るんじゃねえ!」
すると侍はニヤッと一閃ふところに忍ばせた出刃包丁を
ピストル野郎に投げつける、出刃が相手のカイナに刺さるやいなや、
たちどころにならず者達を切り捨てた。
黒澤明監督“用心棒”のクライマックスだ。
ピストルのならず者仲代達也もなかなかかっこよかったが、
サムライ三船敏郎の迫力は群を抜く。


長くテレビで放送されることを拒否していた黒澤映画が初めてテレビの
ロードショウで流されたのは自分が高校の時だったように思う。
それまでの映画はテレビの画面に合わせていたが、黒澤映画から、
上下に黒い影を入れるシネマスコープで流されるようになった。
だがその頃、自分には黒澤映画についての知識はあまりなく、
撮影中の映画“影武者”にスピルバーグやジョージルーカスが
表敬訪問して最敬礼だったとかなんだか日本人を喜ばせる様なニュースを
聞くが、本当かいな?という半信半疑の気持ちがあった。
その頃、日本のロックはしょせん外国のロックに勝てないという
思い込みがあり、映画もそうだと思っていた。


三船敏郎の事も、その迫力のある顔の割にはいつも冴えない素浪人役を
やっている人で、国際スターらしいが、サムライばかりやって
なぜ国際スターになりうるのだろう?と思っていた
ジョンベルーシーが、サムライ姿の三船敏郎のパロディをアメリカの
コミックショーで演じて、それを日本側が抗議した事あるが、
「僕はミフネを尊敬しているんだ」という答えが返ってきて
ふ~ん、そうなのかなあと思ったこともある。
母親は侍というと、学生時代に夢中になったらしい新諸国物語の
東千代之助や中村錦之介がごひいきで、彼らの事を話すと
学生時代を思い出すらしく、ちらちらハートマークの様な物が
飛び出していて、子供心にはそれが煙たく、なんとなくよけたくなる
感じがしたが、三船敏郎の事は「おお世界の三船」と言ったきりで、
その後は何も語るでもなく、机の上のたくわんを
ボリボリ囓っているような有様で、興味は全く無さげであった。
もう一つその頃の三船敏郎で思い出すのはベッドのCMだ。
ふかふかの白いベッドの上で金髪美女が気持ちよさそうに寝ていて、
そこに別カットの三船敏郎が登場し
「う~ん寝てみたい」と意味深なセリフを吐く場面があった。
う~んと来たらマンダムだろうと思いながらも、
高校生の間でそのセリフが少しだけ流行った。


ところが“用心棒”を見た。
すごい!これが日本映画!?
三船敏郎に最後にバサバサ斬り捨てられた悪漢のように、
オレも「うっ、やられた~!」と見事にバッサリ、
それまで持っていた蛇足のイメージはすべて斬り捨てられた。
映像は斬新で、三船は若く苦み走り、アクションの切れが凄まじい。
それからだ、黒澤映画に興味を持つようになったのは。
上京して東京の名画座の安さに驚き、名画という名画を一時期
見まくった時があるが、黒澤映画も当然その中に入っていた。
だが気がついたことがある、黒澤じゃなく三船なんだと。
映画は役者だと思う。
学生時代、クラスにはいろんな奴らがいたが、一人のスター、
もしくは一人のマドンナがいればそのクラスは光っていた。
それと同じじゃないかと思う。
映画はスターとマドンナで光る。
黒澤映画は確かにすごいが、“生きる”以外の映画で、
三船敏郎がでてない映画はそんなにおもしろくない。
“男はつらいよ”も渥美清なしでその映画は存在できない。
昔、高倉健の映画を借りてきた事がある。
その映画は健さんがでているにもかかわらずあまりにつまらない映画で、
腹が立つほどだったが、健さんがでているので最後まで
なんとか見る事ができた。
これが他の役者なら一瞬で消していただろう。
存在感なのだ、存在感と言う核が無い限り、どんな有名監督が
メガホンを取ろうともその映画はおもしろくない。
三船敏郎のその存在感は世界を圧倒した。
もちろん黒澤明という偉大な監督がいなければあり得ないことでは
あったが、三船がいたから、黒澤は世界のクロサワになれた。


毎日ムックの背表紙を飾るサムライ三船敏郎を見ながら思う。
この人がいなかったら日本は大変だったんじゃないだろうか?
あの当時、外国映画などで描かれている日本人はひどい。
まるで、シェークスピアにいつも出てくる醜い出っ歯の悪徳商人
の様な奴ばかりだ。
サムライ三船はそんな時に登場した。
世界を渡る時、何らかのかっこよさを示せば、人間は肌の色関係なく、
理屈抜きに尊敬してくれる事をオレは知っている。
三船敏郎のかっこよさに外国人は驚き、それまでの日本人の描き方に
大幅に修正が入ったはずだ。
ニヤッと笑い、むんずと刀をかさし、エイやと気合いを入れる。
これが日本男児なのだと、彼は敗戦後の日本のでっかい象徴に
なったに違いない。
アランドロンがインタビューで尊敬する俳優はと聞かれる度に
必ず「ミフネだ」と答える。
稀代の二枚目にそれを言わせる三船敏郎が、
世界へ与えた影響は計り知れない。


去年末にスターウォーズの新作を見た。
毎年年末に大阪で企画している「宇宙戦艦ミソノフィーバー」の為、
前日に東名高速を機材車で西に走っていた。
車中で、同行のPA担当のナンシーが「スターウォーズ見ましょう」と
オレの袖をゆするので、よしそれならばと4Dまたは3Dのすごいの
見るかと息巻いたが、さすがに封切り直後で、席はわずかにあったが
全然別々の場所にあり、それじゃあせっかく女の子と見るのに
何か華やかさにかけると思い、4D,Dはあきらめ,
隣同士の席がある普通の映画館で見た。


映画はおもしろかった、が、今ひとつ。
フォースの戦いにシーンだ。
ジョージルーカスは黒澤明のサムライ映画の大ファンであることから
フォースの戦いは完全にチャンバラだ。
だが緊迫感がまるでない。
触れれば切れる刀の剣先に向かっていく以上、それ相応の覚悟が必要だ。
宮本武蔵じゃないが、
“切り結ぶ太刀の下こそ地獄なれ、踏み込み見れば後は極楽”
それぐらいの命がけの迫力を見せなければ、ただのお遊戯にすぎない。
スターウォーズはただのお遊戯だった。
そこで思うのが三船敏郎だ。
ルーカスは第一作から登場するオビワンの役を三船敏郎に依頼した。
オビワンは伝説の剣の達人で、主人公ルークやダースベイダーの
師匠となる。
彼がオビワンの役を断るが、もし受けていれば、チャンバラシーンが
完全に変わっただろう、実に惜しい。
三船敏郎は海外の映画に出演しても、日本という物を
しっかり守りきった人だ。
海外の監督が持っている日本に対するイメージの勘違いに対して断固と
して戦い、そしてほぼ完全に守りきった。
ブルースリーのドラゴン怒りの鉄拳にでている日本の俳優は、
間抜けに見えるからとの理由で、袴を前後ろわざと逆さまにはかされて
いるが、彼ならそんなことは絶対にない。
だから彼がオビワンの役をやったら、フォースのチャンバラの部分に
一大鉄槌を加えたことは間違いなく、ジョージルーカスも素直に
聞いただろう。
そしてスターウォーズそのものの作品の価値も、
今以上に高まったはずだ。
しかも三船敏郎の身体能力は恐ろしく高く、彼のオビワンとしての鬼気
迫る
チャンバラシーンを是非見たかった。


劇場を出た後、ナンシーがとことこ寄ってきて
「セイジさん、フォース買わなきゃだめでしょう」と言うので
その辺りを見るとフォースがガラスケースに入って売られていた。
結局買わなかったのだが、オレは少し後悔する。
翌日のミソノフィーバーで最初に自分が登場し、軽く挨拶をしたが
その時フォースを持って出れば良かったなと思ったからだ。
だがもし40年前に三船敏郎がオビワンを受け、
切れ味鋭いフォースのチャンバラシーンがこの新作に引き継がれていたら
ひょっとして買ったかもしれないなと思ったりした。