【仮面の忍者・凧】

 

 

子供の頃の冬の遊びと言えば独楽、メンコそして凧揚げだ。独楽、メンコはそこそこできたが、凧揚げは結構悲惨だった。

舞ったり、落ちたり、高く揚がったりだが、自分の場合は高く揚がるのはまれで、例え揚がっても、すぐに空中でくるくると2,3回廻って逆さまになり、土に突き刺さった。

友達に頭上で持たせ走ったりするが、すぐにレーシングカーが停まる時に出すパラシュート状態で、背後の土に無残にバウンドしてオレに引きずられた。

しかし、ただ一度だけ、揚がったことがある、しかもあれよあれよと高く揚がり、なかなかのスリルを味わった。

 

幼き日、長崎県諫早市の山のてっぺんの屋根が青い県営住宅に住んでいた。

県営住宅は5棟あり、住宅の背後にあった崖のような石垣を登って振り返ると、巨大な長い蒲鉾が並んでいるようだった。崖の上にはお墓が並んでいてそのお墓が切れるあたりから焼き畑になっていた。冬はそこが子供たちにとっての凧揚げの場所だった。

 

その日は風が強かった。

上級生達の凧が揚がっていたので、自分も揚がる予感があった、が、なかなか揚がらない。

またもや落ちた凧を畑の向こうに置き去りにしながら、揚がっている他の凧を見ていると、突然強い風が足元にやってきた。すると握っていた糸がプルプルっと震えそれが一気に向こうの凧に伝わり、凧がすくっと立ち、風を真正面に受け、一瞬自分と綱引きのような形になった途端、凧は勢いよく空に舞い上がった。

ピューン

いきなり凧が寒空に力強くなる。

隣で揚げていた上級生が「伸ばせ伸ばせ!」と言うのであわてて凧糸をズルズルと伸ばし伸ばしに伸ばすと、糸はどんどん伸びていき、あの糸が今まで手元にあった糸なのかと疑うくらいアッという間に、空と畑の間を大きく揺れながら空に向かって伸びていく、おおおおっちょっちょっちょっと待ってっとすべての糸が伸び切る瞬間に、右手にくるくるっと巻いて左手で目の前の糸をつかむ。いきなり右手に糸が食い込んだ。

すげえ力!

上級生がやっているように片方で糸を持ち、もう片方で操作するが、遥か上空の凧は不安定で右に左に揺れている。

やばい落ちると、無我夢中で糸を右に左に引っ張り、かろうじてとどまったとホッとした次に逆方向に落ちかけ、すかさず引っ張りとどまりホッとの次にまた逆にを数回繰り返し、こんなきわどい瞬間の繰り返し無理!と思った途端に凧は積木がゆっくり倒れるように上空で横に倒れていくので、慌てて糸をたぐり寄せ短くして引っ張ると持ちこたえそうに見えながら、最後は墓場の中に勢いよく落下した。

今考えてみたら、この頃は小一か小二の頃なので、揚がっただけでもめっけもんだ。

ただあの時一瞬だったが、まるで自分の心の一部が空を舞っているような高揚感とあの強烈な糸の感触に震えるような気持ちを持った。

 

 

後、凧と言えば同じ頃に大きめの凧と一緒に石垣から飛び降りたことがある。

蒲鉾型の県営住宅の間には住宅と同じ長さの道があった。道の突き当りの石垣には、大人の背くらいのところに子供が立てる場所がある。自分はそこに立ち凧を正面に抱きかかえ、石垣の下に整列させた同級生と幼児たちに糸を張って持たせた。そう凧で飛ぶのだ!

 

1967年〘仮面の忍者赤影〗がテレビで始まった。赤い仮面に赤いマフラー。仮面越しでもわかる、したたるようないい男の赤影が、白影、青影と共に戦国の悪を倒す。もう終いには円盤は飛ぶわ、ロボットは登場するはわ、怪獣は暴れるわと奇想天外なんでもありの必殺時代劇!

超大人気で、赤影の衣装と刀で、青影の「だいじょう~ぶ」ポーズをして石垣の前で写っている自分の写真が残っている。

ドラマの中で赤影のピンチに必ず大凧に乗って登場するのが白影だ。それを見て凧は乗る物でもあると思っていた。

 

テレビのように大空を舞うのは無理でも、あの感じやりたい!

果たして飛べるか!子供の忍者たちに緊張が走る。オレは凧をもう一度しっかり抱き抱えると号令を発した「おら走れ!」走る子供。

すると!?

見事に、凧を抱えた自分は、ふわりと!

んな訳はなく、地面にドサッと着地した。

本人も白影のようになるとは思っていない、ただ、何かが感じられるのでは!?

今思えばつまりは浮力という事だろう。感じられなかった。

そしてこの大きさの凧では飛べないという事がよくわかった。

 

 

それからわずか後にあの凧が現れる、凧と言うかカイトと言うか。

親戚いとこが福岡に多いので、子供の頃から盆、正月にはよく福岡を訪れている。

母方の親戚がいる福岡市内の姪浜の辺りは今でこそ密集しているが、あの頃、室見川の西側は、開発されてない赤茶色の台地が広がっていた。

連れられて歩いた正月のある日、その場所で盛大に行われていた凧揚げをよく思い出す。

寒空にたくさんの凧が揚がっていた。

凧を揚げる難しさを知っていた自分には羨望に近い気持ちでその広場を歩いたが、その中でも脅威にも似た思いで見た凧がある。

高く揚がっている凧たちのさらに遥か彼方、雲にも届きそうな上空で、風を張り詰めながら見たことのない形の凧が揚がっている。

揚げているのはおっさんで、しかも座りながら揚げている。手元には凧糸を巻く木の道具を持っていた。

その後、日本で大ブームを起こすアメリカからやってきたゲイラカイトだ。

ひょっとしたら自分の記憶が少しずれていて、もうすでにブームの真っただ中だったのかもしれない。

そのおっさんはオレに操作する方の糸を握らせてくれた。きっとそのおっさんの横で、少年オレのなんじゃこりゃ感が半端なかったのかもしれない。糸は天空と結ばれているようにピンと張って墜落の可能性は皆無のようだが、墜落の幻影が頭にはっきりある自分には怖く、ほんの少しだけ握った後すぐに返した。

ゲイラカイトはNASAで開発された凧という触れ込みで子供たちの間でも相当流行ったが自分はなぜか手にしなかった。流行るとなぜかそっぽを向いてしまう自分の性格がその頃からあったのか、もしくはやはり幼き日の凧揚げの墜落の記憶が強烈だったのかもしれない。

 

 

〖仮面の忍者赤影〗からじわじわ来ていた凧揚げの流行は、ゲイラカイトで爆発してその後、独楽、メンコと共に日本の冬の風物詩からすっかり消滅した。

子供にしてみれば、そりゃあゲームの方が面白いに決まっている。

もしあの当時スマホゲームがあれば、自分たちも独楽、メンコ、凧揚げには見向きをしなかったろう。その証拠に中学の時に出たインベーダーゲームは瞬く間に日本中に広まり、それまでの日常の遊びはいきなり色あせた。

自分もいっちょ前にゲーセンに入り浸った時もあり、あの頃のゲームは今でも結構得意だ。

だがその中毒性に気づき、一時期ゲームに批判めいた事を感じた時もあるが、ある時プレイステーションなどのゲームにはまっている後輩と接した時、集中力と動体視力が良くて車の運転がやけにうまいのに驚いたり、手先の速さとリズム感の良さに「すげー!」と感心するようになったり、又今はご存じのようにeスポーツがあり、その瞬時の判断力で、ゆくゆくはこれから国運を担うようなエスパー的存在になる人も出てくるだろうと思っている。

オレも中毒になるくらいゲームにはまった時代があってもよかったかもしれないなんて思う今日この頃だ。

ただそうは理解しているが、やはり独楽やメンコそして凧揚げに夢中になれた記憶を持てた事はすこぶる嬉しく、自分がテレビゲーム前夜の子供として育った事はラッキーだった。