【冬眠少年】

 

 

 

幼い冬、田んぼでヒキガエルが寝ていた。

長崎県諫早市の小学校の帰り道に、田んぼのあぜ道があった。

冬の田んぼには殆ど水はなく、子供たちはたまにそこに分け入って遊んだ。

刈り取られた後の、枯れた稲の根元が等間隔で並んでいる。

自分はその根元を踏んで歩くのが好きだった。一見固そうだが、踏んでみると

「ジャキジャキ」音を立てて足裏が気持ちよかった。

そして枯草一本を口にくわえ「あっしにはかかわりのねえ事でござんす」と流行りのテレビを気取りながら、振り返ってみたりする。

 

夏の田んぼは、メダカやオタマジャクシ、トンボや蝶の生き物の宝庫だが、冬になると冷たい空っ風が吹く中、生き物の気配はない。遠く水たまりができている辺りに白い鳥が数羽飛来して、時折バタバタと羽をシャープな角度で翻しながら、

水たまりをつついているのが見えるくらいだ。

遊んでいるうちにある箇所に目がいった。

土の表面の感じがなんとなく変だ。

子供は視点が低いのに加え、自然に対しての観察力と好奇心が鋭く旺盛だ。

「なんかここんところ変じゃねえ?」

稲を抜いて、先っぽで土を掻いてみた。するとヒキガエルの顔が出てきた。

冬眠だ。

のどがかすかに動いて目が半分開いている。

夏にはよく、田んぼの牢名主のようにどっしり座り、とぼけた顔で

「何見とんか、そこのあほガキ」何て言いそうな貫録を見せていたが、

この至近距離で見るとなんだか寝ぼけた顔してババンバンで、そうなるとちょっといじめたくなる。

稲の先っぽでオラオラとつついてみた。すると口からぶくぶく泡が出てきた。

巨大蝦蟇(ガマ)に乗って登場する忍者児雷也(ジライヤ)は、同じく巨大蛇や巨大なめくじを操る忍者と戦うが、蝦蟇が敵に対峙する時、泡をぶくぶく出していたような感じだったのを思い出した。

何か怖いゾ、蛙にしょんべんを掛けるとあそこが腫れると言うは本当だ。急いで上から土をかけた。

 

又、冬の別のある日、家の前の石垣の、その下の側溝で、蛇がお腹を見せて棒のように死んでいた。

石垣は蛇の棲家になっている。春か夏だかに足をかけて昇ろうとした時、とりついた石垣のお腹辺りで、ズルズルと音がするので見ると、ぶ太いアオダイショウが、穴から穴へ横っ腹だけ見せて移動の最中だった。慌てて飛び離れた。

そのアオダイショウかどうかはわからない。だが恐怖の全貌が意外にあっけなく丸裸になっている。木の棒で転がしてみたが、ゴムの蛇のおもちゃみたいに何の反応もなく、蛇の真ん中辺りを棒で引っ掛けて持ち上げてみる。するといきなりクネクネと動き出した。「わッ」と驚き、側溝の前の家庭菜園に落とすと、ニョロニョロ土の上をすべるように這って行ってしまった。

 

後年、蛇の冬眠の記事を読む事があった。蛇は冬眠の時は仮死状態になるらしい。

それはなるほどだが、なんであんなところにいたのだろう?まさかあのまま冬眠とは思えない。石垣の中から落ちたのか、潜っていた家庭菜園から寝ぼけて転がり出たのか?

よくわからないが案外そんなところかもしれない。

あの頃の自分は母親の体内から出てきてまだ数年しか経っておらず、この世界で初めて会う虫や爬虫類、両生類に親近感を持ち、生き物の心に寄り添う気分が自然と身についていた。

彼らが何らかの意思を持って動いているのも知っていたし、そして意外にドジな動きをする事も知っていた。

 

幼き日というのは、その超能力にも似た感受性で、メルヘンチックな世界にいたような錯覚を覚える。

今思えば、まるで冬眠から覚めて、徐々に頭がはっきりしていく過程で出会ったステキな仲間たちとの交流だったのかもしれない。

 

冬眠と言えばこんな話も思い出す。

ムーミン谷の住人は冬になると皆冬眠する。

だけどムーミンだけ目を覚ましてしまう。

今まで知らなかった冬の風景に向かって歩き出すが、孤独だと思っていたその世界には、意外な友達が起きていて、その友達と冬の冒険をする。

何か、あの冬のオレ達みたいだ。

 

やがて寒かった冬は終わり、白っぽい春がやってくる。

小鳥の鳴き声が聞こえ、花が咲き出す。

ただ男子だからなのか、花の持つ美しさには全く無関心で、それを美しいと認識した記憶がない。虫やカエルが花を美しく思わないのと同じだった。

その代わり花の蜜は吸った。幼い子供はみんな、蝶と一緒に花の蜜をよく吸った。

花の美しさに気が付くというのはどういうことなのだろう。

それは子供という生物が、だんだん人になっていく証なのかもしれない。

だったらオレの場合、ん!どうだろう、ちょっと遅い!?

バイト帰りに、ほろ酔いで歩いていた月明かりの夜、

水路に沿って咲く桜並木を見た時に、桜はこんなにも美しかったのかと衝撃と後悔と共に愕然と気がついた。

あれは、東京に出てきて二十歳をいくつか超えた春の出来事だった。

遅ッ!