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冬の時計

 

 

旅にでるのさ。

どんな猛威が吹き荒れてもお構いなしさ

コロナ?そんなもんフンだゼ。

なんたってオレの身体には、地上最強の菌がいつも

ファイティングポーズをとっているからね。

それにワクチンももうすぐじゃないか。

この戸を開けるときっと吹雪だろう。

たぶんあまりの寒さにブルっとして、威勢のいい事ばかり言うもんじゃないなと後悔するかもしれない。

しかしオレは行かねば。

飛び切りの女に会うために。

あばよ!壁の振り子時計。

オレが寒さでじっとしている時も、この部屋で動いていたのは君だけだった。

いつぞやも、しばらくぶりに帰ってきた時、静まり返った朝の光の中で、君だけがカチカチ動いていた。

あわてふためいていた数日前の自分と、ホッとしている今の自分を見たたんだなと思うと、やあっと照れくさい感じがしたよ。知ってたかな、オレは君を尊敬しているんだ。

そのたたずまいにあこがれているんだ。

しばらく会えないが、今度会う時は成長する姿を

見せられたらいいなと思っているよ。

時代が変わっても変わらないかっこよさを手に入れたいんだ。

 

 

ロケットから見た月はまるで石の剥製だ。

オレはここで生まれて育った。

月面ステーションから広がる巨大なガラスの町。

月面マンション、月面ショッピングセンター、

そして今、地球の子が両親に盛んにおねだりしているのが月面遊園地と月面植物園だ。

地球の1/6の引力の中で、植物はジャックと豆の木のように伸び、ひまわりは5階建てのビルぐらいある。

この調子だと月に大気が生まれるのも早いのかもしれない。

ガラスの町の中央には、巨大な振り子の時計台がある。

人類は埋め込まれたチップのおかげで、可視による時間の確認はもはや必要ない。

身体に流れている超微弱な電流があらゆる情報を頭に絶えず送ってくれている。

だけどやはり人にはこんなレトロなモニュメントが必要なんだろう。

その証拠に時計台の下に立つと、不思議と落ち着くのだ。

宇宙がビッグバンで生まれた時から、時間が動き出した。

その瞬間から過去がどんどん量産されている。

その流れの超先っぽにオレ達はいるのだ。

見上げたら、時計台の上に地球がでっかく見えていた。

 

 

東京に出てきてまだ何年目かの冬、

振り子時計が捨てられていた。

電信柱の横で、昨夜の雪が四角い胴体に積もっていた。

しゃがみこんで、ガラスの部分を指で叩いたりしてみる。

古いが形がちょっとタイプじゃねえなあ。

タイプじゃねえとは、当時オレは原宿の50’sショップで働いていた。その影響で、急にアンティークに対する目が肥えて、面白いものがあると手に入れるようになっていた。

道端に落ちている物、粗大ごみも立派にその収集の範囲内で、おやっと思うゴミの固まりがあれば、一つ一つを目で吟味した。

それにしても、古い振り子時計をこんな無造作に捨てるなんて。形には興味を持たなかったが、その事が少し引っ掛かった。

 

 

その夜、深夜に目が覚めた。

6畳の部屋の真ん中に誰かが寝ていた。

窓からの薄明かりに目を凝らす。

誰かじゃなく何かだ、四角い長方形。

時計だ!

あの捨てられていた振り子時計だ。

するといきなり振り子時計は跳ね上がり、針がクルっと一回りすると、ギィーっと振り子の扉が開き、大工の棟梁のようなねじり鉢巻きの小人のおっちゃんが現れた。

「おう、あんなところに捨てるなんてふてえ野郎だ、全くひでえよな」

おっちゃんはキセルをくわえてたばこに火をつけた。

「おう、申し遅れたなあ、オレは時計の妖精よ。

昼間は同情してくれてありがとよ。人に同情されるほど落ちぶれているつもりじゃねえんだが、ちょいと嬉しかったから、時間旅行にでも連れてってやるべかと思ってよ」

おっちゃんはキセルを口から外すと、オレにたばこの煙を吹きかけた。

 

 

真っ青な空にしろっぽい地球がすれすれに浮かんでいる。

気がつくとオレは丘の上に立っていた。

周りを見回すと、遠くのある一面に鮮やかな黄色が広がっている。ひまわり畑だった。

その背後には都市が見える。

巨大なビル群に並んででっかい観覧車が建ち、それらを縫って超急角度の曲線を持つジェットコースターが何重も見える。凄い、都市と遊園地が融合している。

 

 

さっきから気がついていたが、なんだか体が妙にフワフワするゼ。軽くその場でぴょんぴょん跳ねるだけで1mぐらい浮き上がる。

よし!と勢いよく駆け出すと最初の一歩でいきなり5mくらい先に飛び出したので、おお~っと速度感覚が合わず、前のめりにつまずきゴロゴロゴロ転ぶが、なんだか大地をバウンドしている感じだったので、そのバウンドのリズムを読みながら地面に手をつき立ち上がったつもりが、その勢いでそこからさらに3mくらい空中に飛び、着地した。

なんだこの引力は!

おもしれえ!

それにしてもこの場所は一体どこだ?

地球がでかく見えるという事は、ここは月なのか。

すると耳元でバタバタ音がする。

うわっと避けると、でっかい団扇くらいの蝶々が周りを飛んでいた。蝶の飛ぶ先を見ると、あのひまわり畑だ。

数歩進んだせいか、案外近くに見えている。

それにしてもあのひまわり、ビルの3階か5階くらいありそうだゼ。

だがこの引力ならば、あそこまでジャンプできるかも。

3段飛びのような要領で大地を駆けるとひまわり畑がどんどん近づいてくる、そして、おりゃあ!っと大地を蹴って飛びあがった。

逆バンジーのように体が浮き上がり、ひまわりの花をかすめる、蝶と一緒にでっかいミツバチが花の上を飛び回っているのが見えた。

よっしゃあ、街に行ってみよう。

ひまわり畑を分断するように、街に向かう一本道があった。

そこをダッシュで抜けると遠くに見えていたあの都市が目の前にあった。

 

 

「待て!」

振り返ると、3mくらいの人間がそこにいた。

おおっ!ここは人までがでかいのか。

白いタイトなジャンプスーツのような服を着ている

その人間はオレを見るやいなや、空中につぶやいた。

「地球人発見、スパイ発見!至急応援頼む」

言い終わると指先から電磁波のようなものを出しはじめた。

「ちょっと待て、オレはスパイではない!」

3mの男は無表情にオレを見下す。

「今この、地球からの独立戦争の最中、地球人がいるとしたら捕虜の脱走か、スパイのどちらかでしかない!」

電磁波がジジっとなる。

あの電磁波で感電させ身動きできないようにするつもりじゃなかろうか。

オレはすかさず身をひるがえし、ひまわり畑に飛び込んだ。

入るとそこは日の光が届かないジャングルのようだ。

根本から根本へ跳ねながら走るが、せっかくの引力がうまく使えない。

辺りはだんだん騒々しくなり、ひまわり畑の根元にライトが一斉に浴びせられた。

「いたぞー!」という声がする中、オレは何が何だかわからないまま、とにかく捕まっちゃあいけないと右往左往するが、分け入ってくる連中の包囲が縮まりつつあるのを感じ焦る。

すると「おい、すっとこどっこい!」上の方から声がする。

見ると、ねじり鉢巻きのおっちゃんが、茎の途中からニュっとでている葉っぱにのって、こちらに手を伸ばしていた。すかさずジャンプして、おっちゃんの手につかまり、葉っぱの上に引き上げてもらった。

真下を見ると、白いでっかい人間達が駆け回っている。

「おう、しょっぱい思いさせてわるかったな」

おっちゃんは苦虫を嚙み潰したような顔でキセルにたばこを詰める。

都市の方からは、サイレンがでっかくのろしのように響き渡っていた。拡声音で「緊急事態発生!地球人スパイ潜入!」と聞こえてくる。

「おうおう、けったいな場所になりやがって。

昔は、天国みてえなところだったんだ。

全く、驚き桃の木山椒の木だゼ」

真下がざわざわしだした。

「見つけたぞー!」と声の方向を見ると、白い男の胸元から小型のミサイルのようなのが発射され、葉っぱの根元がスパッとつらぬかれる。

万事休す、落下のその瞬間、おっちゃん、フーっとたばこの煙をオレに吹っ掛けた。

「うわ--------------------------!」

落下を感じながら意識が遠のく中、おっちゃんの声がした。

「めんぼくねえ!」

 

 

ドサッと目を開けるとベッドの中だった。

もう随分日が高かった。

6畳の部屋の真ん中に目をやると時計はいない。

やべー!バイト行かなきゃと大急ぎで外に出ると、

電信柱の脇には、他のゴミと一緒に回収されたのか、振り子時計はなかった。

「おっちゃんありがとう!」

そうつぶやいてバイトに行った。

 

捨てられている冬の時計のガラスの部分を叩くと、たまに時空を超える時があると言う。

 

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