叶う・形になりうれしい と、 今までの思い込みが緩みラクになる と 本当のあなたはは何か について
3記事くらいに分けて書きます。
この記事では、叶う・形になりうれしいについてです。
■叶ってうれしい、形になって楽しい
叶ったら、嬉しいですよね。
それが、お金に関するものならば、【お金を十分に得て、いろんなことに使える】のは【楽しい】って
ことになるでしょう。
好きな仕事を得て、やりがいや環境も良ければ、嬉しいし、やったるぜ〜ってなりますよね。
そういうことが形になれば、楽しいこと間違いなしです。
なので、前記事にもかいたように、お金がほしいのでなく、お金を得て、使って楽しい。
友達や仲間と一緒に自由につかえて楽しい、のであって、【お金がある、得る事自体が楽しい】わけではない、
って方が圧倒的に多いはずです。
なので。
あなたの望みは【お金や仕事、恋人自体がほしい】のではなく、それらとの関係や過ごす時間、体験に喜びや
ワクワクを感じるのであって、【対象そのもの=望み】ではない、ってことは、早く気づくと良いです。
(よく言う「欲しい」って意図は、「欲しいっていう状況」を忠実に生み出す【実現】になりやすいっていうのは
こういう感じです)
■あるからゾクゾク
さて、ここからは、ちょっと難しいので、読み飛ばしもありです。
想像してみてください。
あなたの好物、大好物が目の前にあります。お腹も空いてる。もちろん、その大好物はあなたが自由に
食べて良いものです。
あなたは、ちょっとの間、食感や味わい、香りなんか想像して、もうウズウズ、ワクワクしてます。
そう、あなたには【好物があって自由に出来るって実に自然な確信、当たり前すぎる確信】があります。
なので。
それが、手に入らないとか、急に消えて無くなるなんてことは、【考えすら、思いすらしません】
もう一度書きます。
それが、手に入らないとか、急に消えて無くなるなんてことは、【考えすら、思いすらしません】
そう。おわかりかもしれませんが、ある!って認識や感覚は、実に自然で揺るぎないものです。当たり前で自然です。
ところで、【絶対無】についてちょっと思いをめぐらしてください。あるものが減ったとか、なくなったわけでもなく、
そもそも、はじめかっらないっていうのが絶対無です。
この絶対無を、さっきのあなたの好物に当てはめてください(難しければ読み飛ばしてください)。
好物なんて、はじめっから、なかった。一切なかった。存在すらない。
すると、さっきの好物の話は、一切成立しません。もちろん、味だの食感といった概念すら、出ません。ありません。
なにせ、一切、ないんですから。そうないんです。なくなったんじゃなくて、無い。無し。無。
ここで、質問です。目の前に実際にないのに、好物を思って自由に出来ると思うと【今、その瞬間に喜びが湧くのはなぜですか?】
目の前に<無い>のに、なんで、食べた想像して、ワクワクしちゃんですか。
ここが認識の変更、視点の大転換なんですが、こうは言えませんか。
【実は今、有るからこそ、ワクワク出来るのではないか】
だって、「今目の前にないじゃない!!どう見たってないものない!」って怒るかもですが、【好物の絶対無】なら、
【そもそも、食感なんて想像すら出来ません】
さらに、言えば、あなたが【好物を想って、【今】ワクワク出来るは、実際に今この場で、あるからこそワクワク出来る】とは
いえませんか?
ここで、試しに、例の気づきやってみてください。落ち着きや思考がゆっくり、かすかになり、静かで穏やかになる感じ味わって・・・
いろんなものが止まってる・・・ここで、ゆっくりと、【あなたの好物】に想いをスライド、または、軽く気づいてください。
どんな感じします?
中には、背筋がゾクゾクしたかもいるかもです。私はゾクゾクしました。ちなみに私の好物はカウンターで食べる寿司なので、想った瞬間に、ゾクゾクゾクでした笑
で、多分、これ、近い内に形になります。私は、実際に、近々この(変化と動きの)現実世界で、寿司を食ってます。
想像するからワクワクするんじゃない。実際に既に今あるからこそ、想像も出来るし、ワクワクも出来る。
それが、変化と動きの世界に出現するまでに、エゴが不思議がらずに納得出来る形やプロセスを経るだけです。
絶対無なら、対象を思うことすら出来ません。
■動き止まったあなた=今ある→意図→うれしい・楽しい・ゾクゾク
気づきで動きが止まる、今あるんだから、意図。で、実際にあるから、楽しい・ゾクゾク。おしまい。
あとは、エゴが納得する形で、出現、手にします。
この時に、出現や手にするまでの時間とかに、3つのカンケイの2つ目が絡みますが、それはまた別記事で。