先程父の七回忌を終え、今何となくのんびりしています。


蛙の鳴き声が心地いい。


で、


お経のうちに「修証義(だったかな?)」なるものがあって、それを読んでいてはっとした。

と言うのも、これは悟りを開く過程みたいなもので、本当なら肉体の無い魂に捧げるものではなくて、生きている自分達が修業(瞑想)して仏にならなければならない事を知る為のもの。って事に今更の様に気付いたから。

「仏」は悟りを開いた人であって、肉体の無い魂ではない。普通に死んでも「仏」にはなれない。


本当に今更の様に気付いた。