暮らしの変化 | hachiのブログ…from time to time

hachiのブログ…from time to time

今の気分、きまぐれに

お久しぶりです!

皆様 お元気でいらっしゃいますか?

更新するのは 2019年の12月以来です。

 

ここ3年ほどは ほとんど更新してないので 実質は違いますけど

このブログを始めたのが 2011年6月27日ですから

すでに11年経っていますね。

なんだかそんなに経ったんだと しみじみ思います。

 

ブログで知り合った方の中には コンスタントに更新されてる方もおられて

頭が下がる思いです。

 

このブログには まだ ある程度のアクセスがあるのですけど

それはSHINeeのチカラなんですよね、すごいです。

 

 

K-POPの情報は 唯一 K-StyleのLINEから知るのですけど

K-styleのフォローを続けてるのは どこかで離れがたい想いがあるからなんだろうなと思います。

 

 

いつの間にか 3人は 軍隊から戻ってきて 相変わらず活躍してて

末っ子テミンは 軍隊に行ってしまったのですね

隔世の感ですよ・・・

 

さてさて ひさしぶりにここに来たのは

皆様に可愛がって頂いた エリカこと娘と リトルミノこと息子が

我が家から巣立っていったご報告

 

 

娘は 25歳 

大学1年で 国際大会で優勝して(ジュニア枠ですが)

大学2年のシーズンオフで 競技生活に区切りを付けました。

一緒に頑張っていた仲間の数人は 今回のオリンピックに出場します。

 

東京オリンピックの強化メンバーの世代で

常に東京オリンピックは どこかで目標であった部分もありますが

世界の舞台で優勝できたことで 自分の中で 区切りが付いたというのが

大きかったようです。

 

ジュニアの日本代表(U-18)までは たどり着けたけど

「ここから先の道は とんでもない急な坂道で 自分はそれを登れるような根性も実力もないと思う」と

そのとき言っていたのですが 当時は 「そんなのやってみないとわからない」と思いましたけど

本人の意思も硬かったし もう大人だから 自分で決めるべきだと思って

本人の意思を尊重して 引退となったのですが

今 振り返っても 正解だったと思います。

 

残りの2年をコーチとして 本当に楽しそうにしてましたし

自分が中学3年で 出場した世界大会に コーチとして 教え子を連れて遠征できたりと

コーチとしても 充実していました。

 

大学では スポーツ健康科学を専攻していたので

卒業後も競技に携わるのかと思っていたら

やたら堅実な娘でして お堅い電子部品のメーカーに就職しました。

 

勉強は全くしてない学生生活なので 実力では入れない会社ですが

AO入試のような 自己推薦枠があって 競技生活の経験が評価されたのか入社できました。

 

根性だけはあると見込まれて 

最初の勤務地は 九州の工場の総務

かっこいいオフィスビルに総合職で勤められると思った夢が砕け散り

作業服にヘルメットを被り 社員食堂の建て替えや 社員寮の建設に奔走してました。

 

「みんな お酒が美味しくて、温泉があって 最高の場所ってみんな言うけど

ここはおじさんの単身赴任には最高でも 23歳の女子には 文化がなさ過ぎる」と

強い心もポッキリいきかけましたが

 

本社の上司が ちゃんと見ていてくれて 1年半で 本社転勤で

関西に帰ってきました。

 

一度住民票を九州に動かしていたので 世帯主になっていたため

転勤は会社都合ということで 本来なら実家から勤務可能だったのですが

会社の200mのところにある借り上げ社宅に住まわせていただけました。

 

入社4年目 同期の彼とも2年ほど付き合ってたのですが

この春 結婚することになりまして・・・

5/19 ガッキーと星野源と同じ日に結婚しました。

 

半年前くらいに会ってたのですけど そのときはまだ結婚の話ではなく

ちょっと会わせたいという軽い感じでしたが

娘は総務で 社員寮の関係の仕事をしてるので

不動産物件に詳しくて 結婚して住むなら 

積水のシャーメゾンか大和ハウスのD-roomが良いと。

 

どちらも 新婚さんには大人気の物件で みんな空き待ち状態だからと

会社のすぐそばの物件を空き待ち予約していたら

今年の2月に突然空きがでたので

彼がプロポーズをしてくれて ほんとにバタバタと

挨拶、顔合わせ、入籍となりました。

 

私は古い人間なので 順番は守れと ずっと言っていたのですが

コロナ禍では 式はままならず

でも 家賃もったいないからと(彼だけ住めばいいやんと言ったけど もったいないと聞かない)。

 

じゃあ とにかく住むなら入籍しなさい 式は後でいいからと

2ヶ月の間に すべての用意をして嫁いでいきました。

 

家を出て3年ですし、元々合宿などで ほとんど家に居ない子でしたから

結婚したという感じもないままです 笑

 

初めて彼に会ったとき 

とにかく娘と気が合う様子だったのと

案外猫かぶりで 人見知りする子が 私の前と同じように言いたい放題していたので

安心しました。

 

エリカっぷりは そのままですが

優しくて穏やかな婿は そんな娘も 今は可愛いようで・・・

まあ 貰って頂けて ありがたい限りです。

 

私は バブルの嫁入り世代なので 結婚となった瞬間

「うわ~大変だあ」と ちょっと張り切ったのですけど

イマドキは なんでも二人でするのが普通のようで

ちょっと肩すかし

 

嫁入り布団も座布団も タンスも要らない

食器もお鍋も 「持ってるので十分」

それでも 嫁に出すのに 手ぶらではと

買ってあげると言ったら いらないを連発するくせに

自分たちの欲しいものだけ(そんなものは必要ないというようなもの)は

甘えてくるので ちょっとイラっとしました 笑

 

嫁に行って1ヶ月

二人で楽しそうにしてるので 何よりです。

 

11月に 家族だけで教会で式を挙げることにしたので

今は ドレス選びをしています。

これまた エリカっぷりが酷くて

「あんなのが良い、こんなのが良い」とうるさかったのに

いざ試着したら 自分の希望のスタイルが 全然似合わず

「私はドレスというモノが似合わない」と拗ねだして

 

私が 選んだのを着せたら すごく似合ったのですが

ちょっと今風ではないので どこか不満そうです。

あと何回か試着に行くので 先が思いやられます・・・

 

 

変わり者の息子は 22歳

物理学の道に進みました。

 

運良く希望の大学に合格し 4年間自宅から通いました。

4回生はコロナで ずっと家に居ましたが 

座敷童のように 家に居たけど なんの苦もなさそうでした。

 

大学院で 海外の道も考えてましたが

コロナで それも難しく

自分の大学の院に進みました。

 

大学院って その大学に行ってたら誰でも行けると思ってたのですけど

入学試験ってあるのですね・・・

理学部だけでも 3つの大学院があって

その中で 自分の希望の研究所に院生として合格できて

物理学・宇宙物理学専攻で素粒子論てのをやってるらしいです。

 

「それは何?」と聞いても 「聞いて解るのか?」と返され ぐうの音も出ません。

 

工学部とは違い 理学部で さらに物性ではなく 理論

実験などをするわけでなく 頭で考えて ずっと書いてます。

 

イメージは 福山雅治のガリレオですけど

あんなかっこいいものではなく ずっと本を読んでいるか 書いてます。

 

先々 仕事にありつけるかも不明

息子の研究は 企業でやってるようなことではなく 

宇宙やらブラックホールやら時空やらとかで まさに霞を喰うような研究

まあ 食べて行けたら良しです。

 

通学時間がもったいないから

大学院に行ったら 自立すると決めていたらしく

4月に出て行きました。

 

「授業料だけ払ってくれ、あとは自分でなんとかする」と

世間知らずの息子は 言ってましたが

バイトばかりでは 本末転倒

 

授業料と家賃だけは 払ってやるから あとは頑張れということにしました。

 

高学歴の理系あるあるで

「俺はなんでもわかってる」みたいなことをいうのですが

実際は 浮世離れした 世間知らず

 

電気が止まるのも 米を買うお金がないのも

社会勉強です。

学校に行けて 寝るところが安泰なら 今の世の中なんとかなります。

同い年の同級生たちは 社会人として頑張ってますので

なんとかやっていって欲しいものです。

 

親孝行のつもりなのか 栄養補給のためか

月に一度は帰ってくる(って電車で1時間ですから)と

帰ってきてます。

 

普段はお金がないから 肉が買えない、魚は贅沢品だと言うので

帰ってきたら せっせと肉と魚を食べさせてますが

コロナ太りをしていた身体がスレンダーになりました。

まだまだ成長期なのか 背が伸びていて たぶん182cmくらいありそうです。

 

 

というわけで 我が家は ダンナと二人暮らしとなりました。

 

狭いマンション住まいですから

子供部屋を置いとくのも非効率ですから

二人には「要るものは 全部もって行け、残ったものは全部捨てる」と宣言して

ほんとに全部捨て 部屋もリフォームしました。

スッキリです。

 

初めて帰ってきた息子 何にも無くなった部屋を見て

一瞬言葉を失ってました。

 

 

娘が嫁に行き 同じタイミングで 息子も自立して

私の人生も 新しいステージです。

 

リフォームするので 思い切って断捨離

子供のものだけでなく 自分のものも かなり処分しました。

 

子育てと仕事に追われた10数年の 垢が家中に溜まってました。

 

コロナもあり 時代が一気に変わり 価値観が大きく変わりました。

今まで必要とされていたものが 要らなくなったり 形を変えています。

 

いろいろ買うのが好きで 溜めていたモノも

ただただ置き場所を取ってるだけだなと 思い切って処分しました。

 

その最たるものがK-POP関連

写真集、DVD、CD,グッズ・・・

まあどんだけあるんだってくらいありました。

 

数年前にSHINee関係は 友人の姪っこちゃんに譲りましたが

それでもまだまだありました。

 

LIVEのDVDだけは 手放せないなと思ったので 今回は残しましたが

CDはすべて 音源をPCにいれて 処分

グッズはすべて処分です。

 

今のご時世 売れるんですよね・・・

別にお金が欲しいのではなく ゴミにするには忍びないし

買ってもらえる価値があるなら その方が良いなと。

 

いくつかの業者さんに売りましたが

後半 良い業者を見つけて ちゃんと査定してもらえたのですが

最初のうちは ホントに二束三文で 写真集ダンボール一箱で ¥342とか

CDも50枚くらいで¥500とか・・・

 

でも いろいろ査定してもらううちに 値段のつく理由がわかってきて

面白かったです。

 

経済ですからね・・・業者もビジネスです。

需要と供給 それがすべてです。

 

東方神起は やはり とにかく売れたので 数がありすぎるとことと

ファンの年齢が高く モノを持ちたがる世代なので それ以上の需要がないので

本当に値段が付かないのです・・・

ほとんど¥0 たまに¥1

 

でも 面白かったのが オロナミンCの空き箱には¥10つきました 笑

ガチャポンのミニュチュアCDコレクションも すべてコンプリートしてたので

¥800とかつきましたよ。

 

SHINHWAは ¥0はほとんど無く 安いですが 値段がつきました。

おそらく売れた数がそんなにないからですね。

 

BIGBANGも 東方神起に近かったです。

やっぱり大物のは 生産数が多いので 付加価値が付きにくい

 

そんな中 一番健闘したのがSHINee

たまたま 今回カムバックしていたので タイミングも良かったのだとは思いますが

現役感があり まだまだ新規ファンが着く可能性もあり

若いファンには 私のコレクションは 価値があったのかなあと。

 

一番高かったのが CDに入ってるカードです。

最低でも¥250くらいで 一番高かったのが¥1400でした。

 

シングルCDは SHINeeでも ほとんど¥0なのに

その中に入ってるカードは 価値がある

面白いです。

 

ちなみに東方神起のカードは お値段つかずです。

たぶん世代の問題

 

最初のうち CDにカードを入れたまま査定にだしてたのですが

そこの業者は そこまで査定してくれず CDの査定額だけだったので

シングルは ほぼ¥0

ちゃんと価値を見てくれる業者に出せば良かった、惜しいことをしました。

 

調べてるとCDより LIVE DVDは 査定額が良かったのですけど

それはやっぱり手放せません 笑

老後の楽しみです。

 

もう老後が近づいてますから 身辺整理してますが

私が手放したものたちが どこかで誰かが喜んでくれたら 嬉しいです。

 

 

てなわけで 休みの日には断捨離をする日々です。

親としての役割は一段落

また娘が里帰り出産でもしてきたら 忙しくなるでしょうが

しばらくは 自分の暮らしと 仕事に没頭できそうです。

 

コロナで 仕事の在り方も変わりました。

店も12年目を迎えます。

 

このブログを始めた頃は

店も 駆け出しで 必死で奮闘してましたが

今では 中堅って感じでしょうか?

お客様も恵まれて 楽しい時間ですが

子育ての時間がなくなったので

もっともっと極めて行きたいと思ってます。

 

 

と 久しぶりに近況報告でした。

皆様は、いかがお過ごしでしたか?