家族に尽くした1年 その3 母の一人暮らしをどうするか? | hachiのブログ…from time to time

hachiのブログ…from time to time

今の気分、きまぐれに

その2から 続きます。

 

家に帰ると 娘夫婦が 母に会いにきてくれてました。

こういう時は 娘は優しいです。

おばあちゃんが不安にならないように

つわりで辛いのに来てくれました。

 

兄は ホテルの支配人をしている関係で 緊急事態宣言が出ている県外に出ることが難しく 父が陽性なら帰れないと言われていました。

 

仕方ないとはいえ 最初は

「は?私は?」と思ったものです。

私は自営なので 自己判断だけで動けますが 立場のある会社員は 違うのだと知りました。

これで父が陽性なら 私と母は しばらく隔離になるとは 考えもしなかったので。

 

父のPCR陰性確定後 段取りをつけてくれて深夜までには帰宅出来ると連絡があり 明日からの休暇を取り 2~3日 実家に泊まってくれることになりました。

ホテルの繁忙期ではなかったので 幸いでした。

 

母には 「お母さんと同じ病気だから 心配は要らないよ」と伝えて 晩御飯を一緒に食べてからその日は帰宅しました。

 

翌月曜日 朝一番に ケアマネージャーさんから電話がありました。

父が入院した病院は 地元に根付いた高齢者医療に力を入れている病院で

在宅介護支援センター、ヘルパーステーション、在宅医療診療所、訪問看護ステーションを併設していて

ケアマネージャーさんも 看護師さんも そこの人でしたので

すべての情報がすでにすべて共有されていて 現在の父の病状もすでにご存じでした。

 

このケアマネージャーさんは 最初に母についてくださったケアマネージャーさんで

要支援2の父は 本来は地域包括支援センターの管轄でしたが

夫婦ということで 同じく担当してくださっていて 

今までの家庭状況やフルタイムの自営の私の状況、遠方に住む兄、 

通院してる診療所(同系列)からも すべて把握してくださってることも とても楽でした。

 

父の入院中 母をどうするかが 直近の問題でした。

ケアマネージャーさんが すぐに来てくださり

まずは 母の生活をどうしていくかの 話し合いになりました。

 

この時点では みんな父の入院は 一時的な事なので

当面どうするかだけで良いと考えてました。

それを踏まえて 母は 「お父さんが闘病してる間は 私は家で頑張りたい」と。

 

7年前の脳出血の後遺症で 右半身が動かないのですが

杖を使って なんとか歩行して 入浴以外は すべて自分で出来る人です。

ただ 物を持って運ぶことと 転倒して 自力で立ち上がることがとても難しい。

デイサービスや訪問看護、訪問リハなど 日曜日以外は

どこかに行くか 誰かが来るかの生活をずっとしているので

ケアマネージャーさんも

「ずっと見てきましたが お母さまなら 少しサービスと足せば なんとかやれると思います」と

母の気持ちを尊重しましょうとなりました。

 

問題1 食事をどうするか?

朝食、昼食は いつも母が自分で準備(トーストや麺類の軽いものですが)出来ているので

問題なし


夕食は 生協さんのお弁当を届けてもらっていたので それを継続

問題は 父が日中家にいて受け取りして 台所まで運んでいたのですが

届く15時頃に居ない日があることや

居ても 玄関で受け取っても それを運ぶのが困難であること。

 

解決法として

まずは 生協さんに連絡して 母が一人になったことを伝え

協力を要請(生協さんは 高齢者の見守り活動をしているので とても協力的でした)

 

在宅してる曜日は 台所まで運んで テーブルの上に置いてもらうことに。

配達のおじさんは もう長年父と母のことを知ってくださる方なので

家に入っていただくことも なんの抵抗もありませんでした。

 

留守の曜日は 玄関に 保冷ボックス置き場を設置して そこに入れてもらうことに。

ケアマネさんが デイサービスに連絡してくださり

送迎のスタッフが 母を送る際に お弁当を箱から出して 

台所に運び、母が台所に座るまで 見守ってくださることになりました。

(このあと このデイサービスの送迎スタッフさんたちに 何度も助けられることがありました)

 

問題2 買い物をどうするか?

買い物は 母が倒れて以来 生協の宅配を利用してました。

 

生協のシステムは 商品の載ってるチラシを見て 注文書に記入して

その商品は 翌週届きます。

届いた時に また翌週の注文書を出すので

今冷蔵庫に足りないものでも 今週届くものがあり

先週頼んだものを把握していないと重複することがあり

若い人でも 結構面倒です。

 

でも 食品から日用品、衣類や雑貨まで なんでもあるので

出掛けられない人にとってはありがたいシステムです。

 

最初のうちは それなりに注文出来てたのですが

近年は 問題が頻発してました。

 

週に7個食パン買ってしまい 食べきれないから取りに来いと電話があったり

行ってみてみると ヨーグルトが50個くらい入っていたり

 

「冷蔵庫が壊れたからすぐに来て」と仕事中に呼び出され 店を閉めて駆け付けたこともありました。

行ってみると 野菜室が中途半端なところで引っかかり開かなくなり

無理に閉めようとして レールから外れて 投げ出されてました。

 

以前も注意したのですが 父は 引き出し冷凍庫と引き出し野菜室の区別を

なんど説明しても理解できず 冷凍庫が満杯になると

冷凍食品を引き出し野菜室に入れて 溶けてしまうことが何度もありました。

その時も 引き出し野菜室の上段トレイに 冷凍餃子のジャンボパックが置かれていて

それが溶けて腐ってガスが発生し ぱんぱんに膨れ上がり 引っかかっていました。

 

「なんでこんなことするの!!」とぶち切れてしまい(いつも親にはキレてしまう)

父と母は 「なんでかわからんけど たくさん届くから仕方がない」と。

 

棚には 賞味期限の切れた食パンが7個くらい並んでるし

冷蔵庫には 大量のヨーグルト

冷凍庫は いつ買ったのかもわからない食品がギュウギュウ

 

これは何か手を打たないと思い 生協のコールセンターに電話で相談して

配達員の人に 明らかにおかしいもの(週に牛乳6本とかの大量注文)はチェックしてもらうことにしましたが

忙しい配達員さんでは結局対応しきれず 調べると

ネット注文できるように登録したら 紙の注文書の修正ができることがわかりました。

 

それから 毎週注文書が反映されたタイミングで 確認するようにして

頼み過ぎたら削除することで なんとか頼みすぎを回避できるようになりましたが

履歴を確認してみると 月に14万円の注文をしていた月があったりと驚くことがいっぱい出てきました。

 

毎週 確認しても やはり牛乳や卵 ヨーグルトやパンは

頼み過ぎていることが多くて なぜかと考えたら

チラシには 特集ページがあり

そこでも牛乳が出てくるし あとのページにも 普通に牛乳が出てくるし

見るたびに マークシート式の注文書にチェックを入れているようだと だんだん謎が解明してきました。

 

と、話は脱線しましたが

私が WEBで確認して 足りないものは足せばいいし 明らかに頼み過ぎてたり間違いとわかれば削除できるので

今まで通り 生協さんで 注文してもらうことにしました。

 

問題は、受け取りと 買い物の片づけ

届く日は 母が在宅してる時間でしたので 受け取れますが

玄関までなので それをひとつひとつ冷蔵庫やストックに整理するのは

至難の業

 

そこで その日には ヘルパーさんに来てもらうことにしました。

そのとき冷蔵庫の整理をしてもらい

母が取りやすい位置に 並べて 中身も分かりやすくして

賞味期限切れの破棄などもお願いすることになりました。

 

このヘルパーさん 父の居た頃にも 何度も入れようとしましたが

父がどうしても嫌だというので いれられずに来ましたが

母が一人で暮らすには必要と 受け入れてもらいました。

 

 

問題3 ゴミ捨てはどうする?

 

実家の自治体のゴミは 月木が燃えるゴミ

水曜が プラごみ

月に2度 燃やせないゴミ

月に1度 再生ゴミでした。

 

玄関から 門の外のゴミを出す場所へは 距離もあり 階段も2か所もあります。

ゴミを持って出すのは母には不可能でした。

 

父が居た頃は 最初はなんとか出来てましたが

公園の集積場まで持っていかないといけない再生ゴミや

燃やせないゴミは 最後の1年くらいは お勝手裏に 山積みにされていました。

 

ある日 灯油をいれて帰ろうとお勝手裏に回ったら

ここはゴミ屋敷かと思うほどのペットボトルと空き缶、瓶、紙パック

電球や 乾電池 その他の家電などが 積み上げられていて ビックリ

 

よく 親が自立できなくなるサインは ゴミだと聞いてましたが

いよいよこの日が来たんだと 背筋が冷たくなりました。

 

行くたびに 再生ゴミを持ち帰り 近くの再生ゴミステーションの運びましたが

行けども行けども 減りません。

私的には1年分くらいと思ったのですが 実はもっと前からだったのかもしれないです。

 

そういう状況は把握してたので そのあたりのゴミは 私が時々回収することにして

とりあえず燃えるゴミだけは なんとか出さなくてはいけないけど

週2回 朝の7:30に私が通うのは 正直現実的ではないと判断

ケアマネさんに相談すると ヘルパーは1単位15分からは入れるので可能だけど

その時間に行ける人が少ないとのこと。

でも緊急事態だから 弊社のヘルパーステーションでなんとか対応しますといってくださいました。

 

ゴミのヘルパーさんは 月木の朝7:30から15分

水曜日には 生協の買い物の片づけと 掃除に45分

火曜、土曜日には 家事の手伝いに45分

とスケジュールが決まりました。

 

どこのケアマネさんでも 一生懸命コーディネイトしてくれるものですが

うちのところのように 在宅介護支援センターとヘルパーステーション、在宅医療ステーション、病院が

同じ法人だと かなり対応力があるので とにかく1日の空白もなく すべての体制が整いました。

 

問題4 夜間はどうする?

 

母が一人で暮らすにあたって 最大の問題は 夜でした。

平日は毎日人が出入りす体制は すでにあったので 万が一倒れていても 

半日以内には発見されますが 夜だけは どうにもなりません。

 

セコムなども考えたのですが とりあえずの状態での一人暮らしスタートでしたので

それはおいおい考えるとして 毎日生存確認と 緊急時の体制は 決めなくてはなりません。

 

幸い 母はガラケーですが メールは出来たので

朝起きると 起きたよのメール

寝る前に お休みのメールを私と兄にすることでスタートしました。

 

夜中にトイレに行くこともあるので

とにかく携帯だけは必ず持っていくこと 

何かあったら電話してくることを約束しました。

 

朝起きてから もし転んで 連絡できなくても 3時間以内には 

誰かが 来るスケジュールがあるので発見されます。

また夕方までは誰かが出入りするので 母が寝る時間になっても連絡がない場合は

私が行けば 発見できるし お休みメールがあれば 安心して眠れます。

 

朝メールがないときは いつも電話してましたが 

大概寝坊していたので いいモーニングコールになりました。

 

父の入院中は 母も緊張状態だったので

このルールで うまく回るようになっていました。

 

また 契約している訪問看護ステーションは プラス500円で 

24時間いつでも駆け付けてくれるオプションがありました。

このサービスはありがたく 父もこのおかげで 日曜日に コロナ禍にも関わらず すっと入院できました。

 

もし母が倒れても 電話すれば すぐにかけつけてくれるという安心感は大きかったです。

 

 問題5 洗濯物や雨戸の開け閉め

 

父が居るときは 父が洗濯して 庭の物干しに干していました。

 

洗濯機を回すことは 母でも出来たので

母の分だけなら 毎日する必要もないので 母が自分ですると言い張りました。

ヘルパーさんに頼むのは嫌だったようです。

 

ただ 片手でハンガーに掛けたり 広げたりが 至難の技だけでなく 

段差がある庭には出られないので 部屋干ししかなく 部屋干しも 高いところや遠い部屋には 難しい。

 

母の動きを最低限にするために

日中の暮らしは 台所(今でいうDK)で完結するように 部屋を片付けました。

 

そこに 母が片手で引っ張れる小型のキャスター付きの室内物干しと キャスター付きの洗濯かごを ホームセンターに買いに行きました。

 

その際 ケアマネージャーさんから

緊急事に 駆けつけた人が家にはいれるように 玄関にキーボックスをつけることを提案されたので それも購入

 

キーボックスの暗証番号の運用は

当面はケアマネージャーさんだけに知らせておき 何かあれば 駆けつけた事業所が ケアマネージャーさんに問い合わせた時のみ知らせることにしました。

こういうことも頼めることを 初めてしりました。

 

古い実家の雨戸は 建て付けが悪く 父でも リビングの雨戸は 半分くらいしか 開けてない日がほとんどでした。

 

それを母がすることは不可能。

私が毎朝開けに行き 夜閉めに行くも不可能。

 

昼間は留守がちとはいえ ずっと暗い部屋で換気もしないのは 忍びないので

ヘルパーさんが着いたら 開けて換気して 帰る時に閉めてもらうことで 週三回は換気できることにしました。

 

幸い 母の居場所の台所の東向の腰窓と 

 キッチン前の北窓には雨戸がないので ずっと暗い中で過ごすわけではないので

助かりました。

 

その他 母の水分補給のための麦茶や毎日飲んでるパックの野菜ジュースは 箱買いしてるので ヘルパーさんが勤務時に ストックから 次に来る日までの必要本数を テーブルに並べて 母がいつでも飲めるように ペットボトルの蓋を緩めておく(片手なので自分では難しい)など 今まで父に頼んでいた 些細だけど 一人では出来ないことを(例えば割り箸を割ることも片手ではできないなど様々) 書き出してヘルパーさんのルーティンにしてもらいました。

 

 

母のスケジュール

 

月 9:00~17:00 デイサービスA(リハビリ、入浴)

火 9:00~10:00 訪問看護(体調管理、フットケア)

  11:00~11:45 ヘルパーさん

  13:00~17:00 デイサービスB(リハビリ)

水 9:00~13:00 デイサービスC(マッサージ、リハビリ)

  15:00~15:45 ヘルパーさん

木 午前中 薬剤師の訪問(2週間に一度 薬の管理)

  14:00~16:00 訪問リハビリ(家での動きのリハビリ)

金 9:00~17:00 デイサービスA(リハビリ、入浴)

土 9:00~13:00 デイサービスC(マッサージ、リハビリ)

  15:00~15:45 ヘルパーさん

日 予定なし 終日家

 

ほぼリハビリの毎日ですが 続けないと すぐ歩けなくなってしまうので

母が なによりも大事にしていたのがリハビリでした。

 

日曜日は 唯一ゆっくりできるので 朝寝坊をして 私が実家に行き昼食を取るのが しばらくのルーティーンとなりました。

 

実は 母が病気になって以来

父に何かあった場合は 母はどうにもできないので

すぐに施設にお世話になるしかないと考えていました。

 

私の家に引き取るということも考えましたが

半身不随の母は 慣れた動き以外は とても緊張してしまい動けなくなります。

なので 常に家でもリハビリをして

この場所では こういう風に体を使うという風に

トレーナーさんと練習してるので それ以外の場所では 暮らすのは不可能。

 

3センチでも段差があると超えるのが難しく (敷居がギリギリ可能)

うちの家は マンションなのに 謎の15cmの段差が何か所もあるため

家にいるか どこかでお世話になるかの2択となりました。

 

「お父さんは病気と闘ってるのだから 私は一人で頑張る」という母の気持ちを最優先して

母の一人暮らしは スタートを切りました。

 

その4に続く