家族に尽くした1年 その5 主たる介護者になるということ | hachiのブログ…from time to time

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今の気分、きまぐれに

その1その2その3その4から続きます

 

 

父が入院してからは 母、病院、母の関係の介護関係の人々から 

一日中 電話が鳴っていたり

いろいろな連絡事項で 電話も掛けなくてはならず

休めない自営業なので 毎日出勤だけはしてましたが 仕事にならない状態でした。

 

電話が鳴るたびに ハっとして 夜も 母から電話が掛かるかと思うと

気持ちが休まりませんでした。

携帯も常に手放せなくなりました。

 

コロナ禍ではありましたが 久しぶりにコレクションを見に東京に行く予定や

買い付けの出張もすべてキャンセル

当面は予定が立てられない状況になりました。

 

母が最初に倒れた後 退院時にケアマネージャーさんに初めて会ったとき

「主たる介護者はどうされますか?」と聞かれ

私は仕事で忙しく 兄は遠方に住んでいるため 父ということになりました。

 

実際 車で15分の近所に住む私が主たる介護者となるよりも

高齢の父が看るとなると 介護認定のつき方も変わるし

介護事業者さんの関わり方も変わります。

 

別にわざと避けたと言うよりも 私もまだ 息子の受験や娘の競技のサポート

仕事も忙しく とても介護をできる状況ではなかったし

81歳だった父もこのころはまだしっかりしていて いろいろな判断もできる状況でした。

 

私は 父だけでは判断が難しい場合と 緊急時の連絡先という位置づけになってました。

 

7年間の間に 母の状態はあまり変わりませんでしたが

父の老いが進み 判断力や行動範囲が狭くなってきて 

ケアマネさんから 連絡や相談が来ることが 少しづつ増えてました。

1年半前の夏ごろ 父がデイサービスで 低血糖を起こしたと連絡がありました。

 

そのデイサービスは 私の店の 斜め向かいにあり

元々鍼灸治療院で 私が通っていたところで デイサービスを始められることになったときに

運動不足になっていた父も通うようにお願いしていた所でした。

 

電話をもらって駆け付けると 猛暑で食欲が落ちて 朝ごはんを食べずに来たらしく

糖水を飲ませてもらい 回復しましたが

スタッフさんからも

「最近 お父さん かなり腰が痛くてつらいようですよ」と聞かされました。

 

私が行ったときは そんなことを言ってなかったので

母に確認すると 「お父さん食欲が落ちてるので心配」とのこと

 

月一回の診療所への通院に 初めてつきそうことにしました。

 

父と母の診察が終わった後 医師と看護師さんと初めて面談したところ

「ここに通い始めた頃は お父さんがお母さんを連れてきていた感じだったけど

 今は お母さんの方がしっかりしていて お父さんを連れてきている感じですよ」と。

 

父はどこかが悪いと言うよりは 老化が進んでいることで

気力も体力も落ちてきているようでした。

 

介護タクシーは ケアマネさんが通院日に合わせて予約をしてくれていて

診察のあと 近くの薬局に回ってもらって帰っていたらしいのですが

私が薬をもらいに行くと 薬剤師さんからも

「だんだんお薬の管理も出来なくなって来られているようなので

 私たちが調剤した薬を配達に行って お薬カレンダーに整理した方が良いと思います」との

提案がありました。

 

特に2人が何も言わないので 出来ていると思ってたのですが

関わってきてくださっている方々は そろそろ老々介護も 綻びがでてきていることに気づいておられたようで ショックを受けました。

 

それでも 付き合いの長いケアマネジャーさんは 

私の仕事を理解してくださり どうしてもの時以外は 私を通さず 手続きをしてくださってました。

月一度のケアマネージャーの訪問日や介護計画表なども 父と進めてくれて

私の役割は

父や母から頼まれたものを届けたり

不定期に様子を見に行き ゴミの回収などでした。

 

ちょうど同じ頃から 父が銀行に行くとき カードを紛失する事件があり 

自信がなくなった父から

通帳とキャッシュカードを渡されて お金を下ろして届けるようになってました。

 

行く回数は増えて来ましたが

実家への滞在時間は 長くて30分

実家に行くと いろんなものが目にはいると 怒りたくなることだらけ

話をするとトンチンカンな事ばかり

 

母は 脳出血の後遺症としては 右半身麻痺している以外は軽い方ではありましたが やはり脳の一部が傷ついていて 短期記憶に問題がある他 言葉が出にくかったり 少し子供のような感じになっていて、しっかりしていて 頼りになる母の面影は なくなっていて そんな母も向き合うのは 悲しくて なかなか受け入れるのに時間が掛かりました。

 

また父も 腰が痛くて 思うように動けないことがもどかしいようで 情けないようで 「情けないけど 出来んのや」が口癖になってました。

 

今日は怒らずに 話をちゃんと聞いてやろうと 好物を買って玄関を開けると 間違えて買ったらしい膨大な量の柔軟剤が目に入って

「なんでこんなに買ったの⁉️一生かかっても使いきれへんやん!」

「俺にもわからんのや お前が持って帰れ」ととぼけられると カチンと来て ずっと怒ったままで 用がすんだら 逃げるように帰ってしまいました。

 

実家に行く度に魂を吸いとられたかのようにクタクタになりました。

 

出来るものなら 行きたくない。

でも行かないのも気になるし

行ってやらないと困るのは目に見えてる。行ったら キレてしまう。自己嫌悪して クタクタになる。

たいした介護もしていないのに そんな有り様でした。

 

 

それが 主たる介護者の入院によって

いよいよお鉢が回ってきました。

 

兄もいますが

近くに住んでるのは私

地元に精通して 動きやすいのも 駆けつけられるのも私

 

誰もなんの疑問もなく 聞かれることもないまま

緊急連絡先1には 私の名前と携帯番号が書かれていきます。

 

各介護事業所にも ご主人入院により 今後の連絡先は 娘さまと通達されていきました。

 

要介護3の母が契約していた介護事業所は全部で7箇所

毎日2箇所くらいをなんだかの形で利用していたため 母に ちょっとでも何かがあると 事業所さんは 介護者に報告義務があり 連絡をくださいます。

 

父が居るときは 送迎や訪問の折りに 口頭で済むことが 私だと わざわざ電話になります。

 

「今日は少しお元気がなく 看護師が看診ましたが 異常はありませんでした」

「足のマメですが 先週より良くなってるので経過観察します」

ちょうどコロナ禍

「送迎車に同乗されている方のご家族が陽性で お母様は濃厚接触者の濃厚接触者なので PCR検査を実施しましたが 陰性でした。」

じゃあ しばらく経過観察で自宅待機かと慌てると

「今は検温で平熱なら大丈夫です」と。

 

などなど 当たり前なのですが

幼稚園の連絡帳ごとく 報告の電話が続きます。

 

私も接客中でも

介護事業所からの電話は 緊急事態の可能性があるので 出ないわけにはいかず 

でれば込み入った話になることもしばしばで 後ほどと言っても 先方の営業時間内に話すのも約束できず 困り果てました。

気が付くと お客様のおられないときは ずっとどこか業者さんと話していたこともしばしばでした。

 

 

父が回復して退院出来ても もう主たる介護者になることはできないだろうし

この先 長く続くであることを考えると

体制を整えないと 私も持たないなと

ケアマネジャーさんに相談しました。

 

①私の仕事時間中(平日9~18時)は 緊急事態以外の連絡は 連絡しないで欲しいこと。

②報告事項は メールかLINEにして欲しい。

③私の判断が必要なことは メールをもらい 翌日以降の返事をすること。

④私からの要望は 基本的にはメールで行うこと。

⑤私が繋がらないときは 兄へ連絡して欲しいこと。

 

を要望として出しました。

するとケアマネージャーさんからの回答は

「残念ながら この業界はすごく遅れていて 未だに利用者さんとの間ではメールは普及してません。LINEはありえません。すべてがほぼ電話で行っていて 最大に譲歩して FAXになります。また 介護事業所の営業時間はほとんど 9:00~17:00なので 時間的にこれでは連絡がとれなくなります。」とのこと。

 

妥協案として 朝9:00~10:00を 私との連絡可能時間として その時間に連絡をもらうこと。

急がないことや 報告だけの場合は FAXをもらい 私が時間があるときに 連絡することになりました。

 

連絡先や 時間などを詳しく書いた要望書を作り ケアマネさんから各事業所に通達をお願いするとともに

会ったこともない人たちに 私の都合を押し付けるだけではいけないと 時間を作って 全事業所を訪問して ご挨拶をしました。

みなさんが 母を支えてくださることで すべてが成り立つことの感謝を伝えて

勝手なお願いだが ご協力をお願いしますと。

 

そうしていくうちに 全国規模で展開しているような業者は メール連絡でも対応してくださることも分かり やはりすべて人任せにせず ちゃんと対面で話せば 糸口は見えてくるものだとわかってきました。

 

 

介護のことは わからないことだらけだし

出来ることならば避けて通りたい気持ちがあるので

積極的には動けないものですが

あちらはプロですし 人と人は 誠意をもって話すことが大事だと痛感しました。

 

 

介護のイメージは 身体の世話をすることのように思われがちですが

実際は それがなくても ケアマネさんをはじめとする かかわってくださる方と

打ち合わせをしたり その時々の変化に合わせて 対応を考えたり

基本的には 介護事業所の方が考えてくださるのですが

それをジャッジしたり 連絡したり 親のそばにいること以外に 

かなりの時間が費やされることだと この頃わかるようになっていました。

 

さらにコロナ禍

毎日のように 陽性者が出て 濃厚接触者だらけで

デイサービスが閉鎖したり 隔離されたりと 状況が目まぐるしく変わりました。

 

でも うちの置かれている状況や 母の生活がデイサービス等の寄って成り立ってることを理解してくださり なんとか行けるように考えてくださったりと

感謝しかありませんでした。

 

 

 

兄は 休みの時には 泊りで帰ってくれて

家の中を片付けたりしてくれますが 

自分の地元に戻ってしまうと 誰からも連絡が来ない為

私が報告しないと 何も知らないことになります。

 

せん妄を起こしている父になじられて 心が折れてしまって

さらに母のことに翻弄されて 精神的にいっぱいいっぱいになっている私を心配した旦那が

「全部 かねもっさん(兄は元阪神の監督の金本に顔が似てるので うちではそう呼ばれてる)に 報告せなあかんで。お前だけの親やないんやからな。」

 

私が一番掛かってきたらドキドキしてしまう電話は 父の病院だったので

「病院の緊急連絡先は かねもっさんにしてもらい。

 ジャッジせなあかんことも 大きすぎることになる可能性もあるし 」とアドバイスをしてくれました。

 

兄に せん妄の話もして

「お母さんのことは 地元にいる私がすることになるので 今のままで良いけど

 お父さんの件は お兄ちゃんを連絡先にして欲しいし お兄ちゃんの判断に従うから」と頼むと

 あっさり「いいよ」と言ってくれました。

 

勝手に私がやらなきゃと思い込んでいたんだなと。

少し肩の荷がおりました。

 

旦那は 一人っ子なので 

「兄妹がいるだけいいやん 俺なんて全部ひとりやわ」と。

 

介護の時は 兄弟で 揉めることもあると聞きますが

うちは 兄が独身でお嫁さんがいないことも 気楽でした。

兄もお嫁さんに気を遣わなくていいし

私も自分の親だけど「義姉は なんで来ない?」とか思わずに済みますから。

 

 

 

 

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