不登校のカウンセリングなんかで

よく、「お子さんと向き合いましょう」なんてこと

言われることがあります。



その言葉通りに 向き合うのだからと

一生懸命、なだめてみたり、

現実を突き詰めるような言葉を吐いたり

とにかく、全身全霊で その問題(不登校)を

受け止めてしまいます。



私も最初はそうでした。


よく行ったのが、 『せめて、これくらいやろうよ・・』

せめて、朝はきちんと起きよう

みんなが勉強してる間はゲームやめよう

少しは勉強しよう

などなど・・・・



これって・・・このことばの陰に

『学校へ行ってないんだから・・・』

という言葉が隠されているのですよね。



子供はそんなこと とても敏感にかんじています

でも、そのときは 私にそんな余裕はない



結局、自分なんです。

親の私が 辛いから 学校へいってほしい・・・

他の子と 同じように 成長してほしいという

親のエゴ・・・(願いと書くときれいですが・・・)



そして、親のストレス発散としての

言葉の攻撃をしてしまっていました。



それがわかるまでに 随分かかりました。


ずいぶん酷いことも言いました。



その分、長男は 私にもそれ相応の 行動で返してきていました。





全部、今思えば・・・ ではありますが。





「向き合う」って 子供に向き合うんじゃなくて

子どもと同じ位置にたって、学校という世界に対して向き合う のかも

知れないな なんて思います。


今、言えること ゆっくり休んだ後は 必ずエネルギー出す時がきます


うちの子も そして 一緒に悩んだ仲間の子も みんなそうです。



絶対大丈夫 「私の子だもん」 そう思えば

信じてあげられるはずですよね。




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