次男、高校に入学して 約1か月
最初は自分の希望校ということもあり
「いい学校だ~」と喜んで 通っていた姿をみて
私も とても うれしく感じ 
「これで ひと安心だ」「とにかく 高校生になれば落ち着く」
などと 思っていたら・・・・

先日 ぼそっと 言った言葉が
「なんで みんな高校に行くのかな?」
「なんのために 高校の勉強が必要なん?」
「好きでもない勉強に自分の時間をつかうのは 時間の無駄」
と言い始め・・・

「十分 よ~く考えたら やめてもいいかな やめたい と思う」
などと言い出すではありませんか・・・

(休むじゃ なくて やめるですか・・・)
 アスペルガーの特徴 → 〇か×か 、白か黒か で
 適当ということがありません
 なので 余談ですが「適当にやっといて~」という指示が
 一番混乱するのですね・


不登校 学校を休ませる ということについては
もう順応性が出来てる私ですので そういう発言には
動揺も少なく対応できるつもりですが

さすがに「やめる」という言葉には
めちゃくちゃ 反応してしまいました。

この親の反応するのが 良くないのは
十分わかっていたのですが・・
でも 反応してしまった。。。。

「なんで 急にそんなこと言うの?」
と自分は冷静に言葉を出しているつもりだけど
結構 鼻息荒く 言葉を出していたかも・・

「何も 今答えを出さなくても いいじゃない 
まだいろんな経験出来るよ」などと とにかく
やめないのがいいこと を強調してる・・・

そして その後 ひとりになると・・・
「あちゃ~~、あそこで あんなに反応しなければ よかったのに」と思うわけです。

私が反応すれば するほど 次男に「やめる」ということ
を よりインプットしてしまうのに・・・

娘が行きたくない と言った時も そうでしたが
神様は ひとつのステージになれると
どんどん新しい試練を与えてくださいます。(笑)

というか 彼も成長してるんですね。
おかげで こちらも成長させてもらえます(笑)

まあ そんなこんなで 
母「やめて どうするの?」
次男「本を書きたい、本を読みたい」(本を書くことが夢の次男)
母「学費だって払ってるんだよ」(私立高校のため授業料無償じゃない)
母「本を書くためにも いろんな知識はいるでしょ」
次男「そんなのは そのときに調べていけばいい」
などなど のやりとり

そして、私が
「とりあえず、あなたの気持ちはわかったから 落ち着いて」
と言えば・・・
なんと 彼は・・・
「僕は ずっと落ちついてるけど」

その後、私が「落ち着け」というセリフを
何度か言ったのですね
そしたら「なにを何回も いってるの?」・・・・

そう 彼のいうように 彼は落ち着いていたんでしょうね
落ち着いてなかったのは私のほうだったんでしょう

しかし・・・

そのやりとりの中でいった次男の言葉

「努力するということは 好きな言葉だし 大事なことだと思う
だけど それが 楽しくないことは努力じゃない
楽しいことだから 努力出来る」
「だから この勉強に対しての努力はできない」
「努力の意味を感じない」

と・・・・

確かに ・・・

確かにそうです。。。。

ただし、「今のあんたは ごちゃごちゃ言わず 取り組む時期だ」
とは言わなかったけど そういうこと言いたい気持ちと
「あなたの言うとおりだよね」という気持ち

大人になって また心理を学んでいて
本当にココロが喜ぶことをするのが 大切と
思うのに・・・

教育の場面では それが生かされない
ある意味 画一的に出来なくてはいけない という状況
そして そこを通過しなくては いけない 現実

そんな本音と建て前が 理解できなかったり
許せなかったり する 子ども

あ~~~なんと いろいろ気づかせてくれる子なのか

ある意味真理だね

というやりとりがあったけど
その後 普通に学校には行ってます。

表情も大丈夫そうには見えるけど
ここは しっかり様子をみてないと・・・と思います
でも、過度に 反応しすぎて 様子を伺うと
これも またダメで・・・

これがカウンセリングの学びにある
センターにいる ということなのかななどと思っています。
(やめてもいいよ でもなく やめちゃダメでもなく
ただ ただ平常心にて 対応できることとでも言うのかな・・・)

こんなに学ばせてくれてありがとうですよ。。。(笑)