昨日、おとといの二日間は
街に出かけると、あちこちで晴れ着やスーツ姿の新成人を
たくさんみかけました。

SNSの中では、「成人おめでとう」と我が子の
晴れ姿をアップする投稿が流れてきて・・・

そんな一面がある反面
成人式にもいけない 我が子を思い
辛く苦しんでいるお母さんもたくさん
いるんだろうな~と思ってしまいました。

昨年の長男の成人式
彼は成人式には出向かず
普通の1日を過ごしていました。

それは、それで十分OK出せているのです
彼は彼なりの1日を過ごしている
みんなの中に行っても、苦しいだけ・・
そんなことは百も承知、わかっていること
受け止めている事なのです。

それでも、どうしようもない気持ちが
あることも事実、1年経った今でも
他のお子さんの姿を目にすると

親としての劣等感や、ふがいなさ
はたまた自分の育て方が悪かったのか
普通になんでもこなせるように
産んで上げられなかった自分が悪いのか・・
などなど 思っても仕方がない事を思ってみたり・・


うちは男の子なので
女の子の晴れ着には、さほど心が痛まないのですが
スーツ姿で「我が子がイケメン!」
なんてのを目にするととても胸が痛みました。

この気持ちは、小学校のときからの
積み重ねです。
音楽会、遠足、運動会、修学旅行、
行事のたびに感じ、その数だけ積み重なっていく・・
不登校、基本は子どもが一番しんどいのです
でも、同じだけ親もしんどいんですよね

そんな想いを成人という節目のときに
更に感じるわけですから
本当に母親の苦しみは・・・

そうは、言っても そんなこと
たくさん積み重ねている分
もうひとつの心は、「これがうちの子なんだ」
と思える気持ちもあるはずなんです。

ただ、ゆれる心はどうしようもないんですよね。
どうしようもないから、その気持ちを味わうだけ
味わってください。

「いいよね、仲間と楽しそうな笑顔が出来て」
「うちは、まだひとりぼっちだよ」
「いつになったら、元気な笑顔が見られるのだろう」
「このまま、まだこんな時間が続くんだろうか・・」

思いっきりネガティブに浸り続けると
今度は、不思議と落ち着いてきます。

そして、もうひとつの心でわかっている
気持ちがしっかり自分をつつんでくれる
のです。

「そうは言っても あの子はあの子なりにやれてるよね」
「みんなと同じが いいわけでもないよ」
「同じに出来ない分、特別な人生を歩んできたよ」
「たくさんの すばらしい人との出会いは 大変だったからこそ」

そんなふうに、ありのままの子どもの姿を
素直に受け止められるものかも知れません。

この二日間はざわついた私でしたが
こうやって記事を書きながら
自分の気持ちを見つめていくと
まんざらでもないよね
なんて思えてくるから不思議です。

そういう私も、来年の娘のときは
晴れ着姿の写真を「見て~」と
アップしているのかも知れません。。

浮いたり、沈んだりを繰り返す
子育てですが ありのままのこどもを
受け止めるのと同じように
ありのままの母親自身の気持ちを
素直に感じてみてもいいんじゃないかな

そんなこと思いました。