フェイク 第1345号 (発行=12.11.22)



謗法の日精が持ち込んだ猿芝居
大石寺の御大会は「見学禁止」で世間と隔絶
「形骸化した時代錯誤の死せる仏教」





 全国各地の日蓮宗系寺院では今月、お会式が営まれている。なかでも日蓮大聖人御入滅の地である東京・大田区の池上本門寺では各地から集まった数多くの万灯が池上の地を深夜まで練り歩いて大賑わいになり、最も盛大のようである。日蓮大聖人とは無縁の日顕宗の大石寺でも「御大会」と称し十一月二十・二十一日の両日、約三千人が登山して行われた。


 式の起源は定かではないが、大石寺の場合は、徳川三代将軍・家光の時代の寛永九年(一六三二年)二月に登座した京都・要法寺出身で造像読誦論者の日精の頃に、現在の様式が出来あがったと言われている。


 宗門では宗祖大聖人の滅不滅を祝う儀式だと説明しているが、仏法上の意義は何もない。所詮は謗法坊主の日精が要法寺から持ち込んだ形式的な儀式の猿真似にすぎない。



 式の流れも、池上本門寺や中山法華経寺などが地域融合の行事になっているのに比べて、大石寺は三門に「見学禁止」の看板を立て、坊主と法華講員だけで世間から隔絶した陰鬱な行事になり、地元の人達からは「大石寺の自己満足だろう」との声もある。


 二十日の御逮夜は夕刻、ニセ法主の日如を中心に役僧、坊主、総代らが境内を練り歩いた。これを「お練り」と称しているが、仏道修行はおろか、「書」の練習もしていない〝ブクロの寛チャン〟が、参列者の唱題の声が響くなか、差しかけられた真っ赤な大傘の下を得意満面で歩く姿は滑稽である。


 宗門では「古式豊かな中世の絵巻」と自慢しているが、単なる生臭坊主どもの行列で「形骸化した時代錯誤の死せる仏教を象徴する猿芝居」との見方が強い。



 この「お練り」の際、片手に提灯を持った助番僧が次々に日如の説法を願うため、一礼しに走ってくる。


 法華経涌出品になぞらえた「上行座」という高い台の上に登って説法するのも馬鹿げた演出である。


 これを上行菩薩の涌出の姿とか、日蓮大聖人の出現を意味する等と説明しているが、とんだ茶番劇だ。


$紅蓮の破邪顕正ブログ-fake_1345_2



 ここで日如は寿量品の説法をしたが、その原稿は今年八月に開設した教学研鑽所の所長・永栄義親が下書きしたものと思われる。


 説法は権威づけのために難解な仏法用語を多用して、法主だけが仏法の本質を極めているかのように装う。


 これは日蓮大聖人の仏法を訓詁注釈の狭い領域に封じ込めて、信徒の日常生活から遊離させるに等しい。小憩の後、三三九度の盃の儀に移って御逮夜は終った。


 二日目は午前九時から日如による献膳、方便・寿量品の読経に続いて申し状の奉読、自我偈・引き題目と続いた。


 午後一時からのお花くずしで終了。この後、布教講演会となった。こんな愚の骨頂の講演会はせず、供養を浪費して建てた堂宇を開放して見学させた方が今の世に適い、理解も進もう。


ニセ法主の「三文芝居」に信徒は辟易したであろう。





$紅蓮の破邪顕正ブログ-fake_1345