「最近の若い者は」という言い方は上から目線な感じがして、私自身大嫌いなので、したくないのですが、本当に恐縮なのですが、たまに自分よりも若い世代の人の言動に違和感を抱くことはあります。


 たとえば、自分より4歳以上、年下の女性で、クシャミを我慢してしまうのを何度か見たことがあります。しかも、これ決して見下す意図はないのですが、正直に言ってクシャミをするのが見られるとイメージに影響を及ぼすような感じではない方、もう少しぶっちゃけてしまえば、容姿にコンプレックスを抱いた経験があることが推定できる方ばかりでした。それゆえに、本当に失礼なのですが、何ぶりっ子してるんだよって当初は感じておりました。


 しかし、しばらくして、それって中高生時代に容姿が原因でイジメ等に遭い、少しでもその火種となることを避けるためにクシャミを我慢するようになり、そのまま大人になったのではないかと思うようになりました。


 近年は、イジメ問題が深刻化しているようですが、今の中高生まで行かなくても、自分より若い世代の人と話していると、若くなればなるほど、画一的な価値観を持つことが当然であって、異質であることが悪と感じているように見受けられます。


 たとえば、ニュース等で叩かれた組織や人が出ると、自分のことでもないのにヒステリックに批判する人って若い人ほど、よく見かける傾向があります。

 もう少し言うと、表面的なことで甲乙をつける傾向が強いような気がします。


 実は私、自分では、そうは思っていないのですが、中高生の頃、いや大学のときも、相当に不細工に見られていたようで、そのことを随分とからかわれて厭な思いをしました。 

 本人達も悪気はないようなので、あまり意に介さないようにはしていますが、若い方と話していると、当然のように、あなたは不細工なので結婚してませんよね?的な趣旨のことを言われることがあります。

 要は、中高生レベルの表面的な基準で人の価値を判断してしまう傾向が垣間見えるのです。


 しかし、その一方で、たとえば同性愛だとか事実婚だとか言った、少なくとも自分は受け入れられないと感じる形態は若くなるほど増えているような気がします。


 そう考えてみると、異端を受け入れる度量がないゆえに、都合の良い極端な事象のみを受け入れ、それを寛容と勘違いしているようなところがあるように感じます。


 そう言えば最近、本人は正義のつもりなのでしょうが、少し道に外れたことをする人が出ると、そこまでやるかと言わんばかりに徹底的に叩く傾向があるように感じます。

 そこには、異質なものを排除してしまうがゆえに、極端な方向に流れてしまうという底流があるように思います。


 「異端」と「極端」は、ともすれば似たような意味にも捉えられがちですが、その間には大きな隔たりがあるように感じます。


 もっとも、自分が10年前、20年前を振り返ってみると、随分と偏狭な価値観しか持っていなかったなと感じることはあるので、オマエはどうなんだと言われれば窮さざるを得ないのですが、自分が最近感じたことを述べさせていただいだ次第です。