秘書に執拗に暴言を吐いた上、暴力まで振るった議員が問題になっていますが、こういう方がいるために、無関係な人までに影響を及び得ることを懸念しています。

 

というのも、この方が超一流と言われる私立の女子校から東大に入り厚生省に勤めていた経緯があることから、「私は高学歴者が偉いとは思っていない」と言った趣旨の批判が出ていることです。

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170622-00000117-dal-ent

 

私が経験する限り、東大だ京大だと高学歴と言われる方で、それを鼻にかけている人を見たことはありません。確かに、少し変わったところがある感のある人は、少なからずいましたが、今回話題になっている議員のような方は見たことはありません。

それにも関わらず、高学歴と言うだけで、「威張るんじゃねえぞ」と言った逆差別的な風潮となる懸念があります。

 

実は私も、こういう国家資格に基づく仕事をしていると、全然大した学歴はないのですが、一応難関資格であるためか、同じ趣旨のことを言われることが、たまにあります。

実際、同業の方を見ていると、露骨ではないにせよ、ご自身が相当エライと思っている方は、少なからず見かけます。

しかし、そうでない方も多くいますし、私も自分がこの資格を持っているからと言ってエライなどと全く思っていません。

 

ただ、他の同業の方がどうかは知りませんが、少なくとも優秀でない私の場合、この資格を獲得するために相当努力をしました。

容姿が良い人、運動神経が優れる人、会話で説得力がある人等、先天的ないしはその要素が強いことでアドバンテージを持つ人が、それゆえに優遇される傾向がある以上、後天的な努力によって結果を出しているのならば、それはそれで少なくとも同等に評価されるべきとは思っています。

 

それを、たとえば「世の中の人は弁理士などエライと思っていない」などと、別に威張ってもないのに宣うのであれば、それは、むしろ評価しようとしない方が問題なのではないでしょうか。

 

そもそも、上述の先天的要素が強い人においては、それによって「エライと思うな」などと言われるのを聞かないのに、逆に努力の結果得られた成果については言われるのであれば、それはヘイトスピーチと相通じるものがあるように思います。

 

それと思うのは、こういう趣旨のことを仰る方を観ると、一応、大学は出ている人であったり、業界経験はあるけれども弁理士になれなかった、あるいはなろうとすらしなかった人だったりで、大学まで進学しなかった人達からしたら「高学歴」と言える人であることが少なくないです。

 

要は、そう言った人たちが、ご自身が能力はあるのに努力をしなかったことを正当化するために、努力をした人達を、いかにも、生まれつき頭が良かっただけなのに威張っていると言うように、最近よく出る言葉で言えば「印象操作」をしているように感じます。