やっぱりな母 | 自分らしくしなやかに

自分らしくしなやかに

自分の人生をいきたいと願いつつ還暦になってしまいました
母の縛りはますます強固に、介護という名で重くのしかかっています

今日は少し入院の記録はおいておいて

母のことを書きます

 

もう、自分が病気になってでも

逃げたい、休みたい、離れたいと

本当に願っていた私は、

病院のベットで

心底ホッとしました

 

24時間を自分のために使える感覚

自分のことだけを考えていい時間

三食の献立も考えなくも

美味しいご飯が食べれる

入院生活は

私にとってはシェルターの様でも

ありました

毎日、本当に安心できた日々でした

 

入院中、母のところには、

前から週に1〜2度来てくれていたSさんが

とりあえず毎日来てくれました

 

私がしていたように

母の身の回りの世話をして

3食を作って

通院にもお買い物にも付き合って

 

夕方に夜のお茶と果物、

朝のアイスコーヒーを保冷庫に入れてと

私と同じ様にしてをして

夕飯の下ごしらえをして

帰ってくれました

 

夜にヘルパーさんがきて

それを温めたり仕上げをして

母に食べさせて着替えを済ませてくれました

 

夜には主人が帰りますが

もう、声もかけずに滅多に顔も合わせませんでした

 

ほぼ母にとっては実質的には

不自由なく過ごせていた2週間だったと

思います

 

急な入院だったし

それも途中から延びてしまったので

その体制で何とか2週間は

やりくりしましたが

日曜以外休みなしというのは

Sさんも続きません

 

これから私が戻っても、私は極力母に関わらず

自分の療養に努められる体制を

ケアマネさんに組んでもらいました

 

ケアマネさんも

「お母さんはショートは無理だし、施設入所なんて全く考えてないし、

ましてや自分のことがムスメの病気に影響してるなんて思ってないから、

戻っても、娘さんの方から距離をとって関わらないほうがいい」

 

そこまで言ってくれました

 

そうなるといくぶん持続可能な

体制を作ってもらう必要がありました

 

実は私は退院したものの

すぐに家に戻らず

主人が仕事場件逃げ場用に

買っていたマンションにいます

 

長男が今は住んでいるので

お邪魔している感じです

 

母が新しい体制に慣れたら

戻ろうと思っています

あと1週間の予定です

 

そして先週から

新しい体制で母をみてもらっています

 

Sさんが週に3回、あとはヘルパーさんが

朝昼件の時間(11時前後?)と夕飯の時間(5時〜)に2回来てくれる

と言う形で何とかやっています

 

スマカメという見守りカメラを置いているので

時々見てはいますが

私が居なくても何ら変わりなく

元気にやっています

 自分で着替えてるし、

自分で歯磨きにも行ってます

 

むしろ居てるときより

元気でしっかりしてそうに

見えます

 

今までの私はなんだったのでしょう?

母に費やしていた時間はなんだったのでしょう?

 

見守りカメラのスマカメは聞こうと思えば声も聞けます

 

入院してまだ間もない頃でした

Sさんと母がなんだか 

話し込んでいました

何かまたやらかしたのかと、

揉めているのではと思い

声を聞いてみました

 

すると

私が母の世話でストレスがたまって

病気になったというSさんに

 

「私もあの子育てて受験やら結婚やら 

色々ストレスあったけど

そんなん(病気)ならへんかったよ」

 

「そんなに何もしてもらってないし、

あの子の好きなように暮らしてるのに

何がストレスが貯まるんやろ」

 

母に言わせると私の受験も結婚も

ストレスだったそうです

 

なんだったら

産んだことも、育てたことも

ストレスだと言い出しかねません

 

そう、住まわせてやってるから始まって

一緒に旅行に行ったり

ご飯食べに言ったりしても

連れて行ってやった、

お金出してやったって言いますからね

 

ケアマネさんやSさんからの報告によると

母は私の病気のことについて

これっぽちも自分のせいとか

自分の世話が負担だったなんてことは思っていないらしいです

 

前から言っていたように

「そんなに何も世話かけていないのに」

「家のこととかか、仕事のこととか色々忙しかったのでそれが負担やったんやろか?

でも、私は手伝われへんし、、、」

など、お門違いなこと言ってるそうです

 

認めたくないんでしょうね

 

自分が娘に負担をかけているってこと

 

自分は常に娘の上にいて

采配して

私は逆らわず「はいはい」と

言うことを聞く存在

むしろ顔色を伺い、忖度しながら

動く道具なんですよね

 

だから今はとても不便なだけ

 

たいして私のことも

心配もしてきないみたいです

 

それでもスマカメで見たときに

 

夜中に起きてたり、何か取ろうと

立ち上がって伝い歩きをしていたりすると

心配になるし

 

誰もこない時間、ひとりでポツンと

車椅子で半分寝てるのか起きてるのか

テレビの前で座っているのを見てしまうと

かわいそうにも思ってしまうのです

 

まだまだ甘い

振り切れない自分にあきれます

 

今年母は87歳になりました

 

数えでは米寿だと

春からアピールしていました

 

デイか何かで同じ歳の人に言われたそうです

だからこの敬老の日か次の連休あたりに

子供たちにも声をかけて

最後に1泊か無理ならご飯でも・・・

と、考えてはいました

 

いつもはちゃっちゃと段取りしたり

予約したりができるはずなのに

考えもまとまらず、億劫になっていました

 

ちょうど入院してしまい、それどころで無くなり

昨日敬老の日を迎えてしまったのですが

子供たちからも何も言ってこないし

ちょっと可哀想に思って

せめてもと16日の午前中に着くように

大好物のうなぎを母のお気に入りのうなぎ屋さんから

で送ってもらいました

 

先日、Sさんからそこのうなぎが食べたいと言ってると

聞いていたので

さすがに喜んで食べてくれると思っていました

 

でも、結果は

「今日はうなぎなんて食べたくないわ」と

拒否したそうです

 

やっぱりね〜

そんな風に言える人なんだ

 

私なら嬉しくって昨日食べたところだとしても

喜んで戴くだろうね・・・

 

母は私のことを心配しているというより

むしろ

自分を放っておいて入院している私を

怒っているのかもしれない

そんな風に思えます

 

来週にはいったん自宅には帰りますが

自宅療養ということで

しばらく母の世話は今の体制でお願いしています

 

そして、そう遠くないうちに

母が施設入所を選ばなければ

私が家を出ることにします

 

そうでないと

自分を守れない

 

もう少し母が弱るまで

通いでもお世話はできると思います

 

ショートを定期的に利用して

私から離れる時間を作ってくれれば

ここまでならずに最後まで家でみれたかな?

 

もう母との関係が限界だったから

やっぱり無理だったのかな?