(羅州博物館・後半)


さて、羅州博物館後半です( ´艸`)

そのまえに、博物館のおさらいをキラキラ


栄山江(ヨンサンガン)流域には、古代日本と朝鮮半島との交流が活発に行われたことがわかる前方後円形古墳と大形カメ棺古墳が数多く残っています。

栄山江流域に位置する羅州(ナジュ)市の潘南面 新村里、大安里、德山里一帯には百済文化と異なる30余基のカメ棺古墳郡群があり、その中心部に2013年に開館した全羅南道初の国立博物館である国立羅州博物館があります。

潘南(バンナム)古墳群は、まだ百済勢力が及んでいなかった4~5世紀ごろ集中的に造成された馬韓(マハン)勢力のカメ棺古墳として知られています。

特に直径34メートル、高さ5メートルの新村里9号墳は1917~1918年に調査され、カメ棺11基、金銅冠(国宝295号)、金銅靴、環頭大刀、日本古墳時代の円筒埴輪とよく似ている円筒形土器が多数出土されて韓日古代史の研究に貴重な資料となっています。

といった、展示物が後半にごっそり出てきますから( ´艸`)



まずは、古墳の形(形態)のお勉強から。




そして!これが!「カメ棺」です(≧▽≦)


え?カメ棺って何?

って、思いませんか?

カメ棺て、これです↓笑



”甕(カメ)棺”ですね(・ω・)/

これは、栄山江流域独自の古墳だそうです。

1~6世紀にかけて、栄山江流域には馬韓には馬韓勢力が存在していたそうです。

その馬韓勢力は、百済が領域を拡張する中であっても、固有の伝統を維持するために力を注ぎ、伽耶・新羅・倭と活発に交流を行ったそうです。

その流れから、甕棺を利用した甕棺古墳と多様な副葬品は、栄山江流域の馬韓勢力が長期間にわたって独自的な勢力を維持しながら固有の文化を発展させてきたことを物語っています。



とても広いスペースにたくさんのカメ棺が上げ上げ




ちょっと形がひわいに見えるのは私だけでしょうか笑




カメ棺にもいろんな形があります。








そんなカメ棺をどのように使っていたかというと・・・

カメの蓋のほうに死体を入れて、そのあとにもうひとつの甕で蓋をした感じで使われていたそうです。



このように↑カメ棺のエリアに入る前に映像で紹介してくれます。

が、めっちゃ早いので写真を撮るのが大変でした(>_<)



カメ棺がたくさん展示されている所にも、

カメ棺の中に死体を埋葬する映像があるので、よくわかりました!笑







その時代に作れた土器達や首飾り。












少し時代が進んで・・・


日本との文化交流があったことを伺える、「円筒形土器 」














「金銅冠(国宝295号)」




金銅靴、環頭大刀







展示質の奥にはシアターがあったり、

そのすぐそばには、カメ棺の実物大の石室があったり






その石室から発掘されたものたち











器壺。水筒みたいですね。







日本との交流




と、まあ、一番の展示室はこんな感じで、「甕棺」がなんといっても目玉なのですが、

ほかにも、貴重なものがたくさんでしたキラキラ☆


ロビーに出ると、子ども達にもわかりやく勉強できる部屋もあって、

入りたかったんですが、リダが子ども用だからダメってううっ...




ここ羅州にもお土産ショップがあったので、ちょっと覗いてみましたが、





これといった、面白いものもなく、スルー。

ちょっと、古墳群の中だしリダと期待してたんだけどなー。



せっかくなので、地下の展示室にも行ってみましたおんぷ



遺跡発掘の様子や


古墳の模型から






カメ棺の修復室

その修復するための内容や方法も説明する部屋が!




さらに、全羅道(南道だけ?)の古墳や遺跡の本がたくさんきらきら









あんまりにも見所たくさんで、楽しくって、たっぷり一時間以上いましたが、

まだまだ居たかったですが・・・外にも展示室があるそうでそこにも行ってみましたおんぷ



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