「もう…嫌です」
最上さんの細い腕が俺の胸を押し返す。
触れ合っていた唇が離れる。
「敦賀さんとキスするの、嫌です」
突然の拒絶。
さっきまで俺の腕の中に納まっていた華奢な身体は、彼女の腕の分だけ距離が開く。
「最上さん…」
☆☆☆
最初は演技の練習の延長線上だった。
新しいドラマのワンシーン。
食事を作りに来てくれていた俺の部屋で、読み合わせに付き合ってもらった。
幾多のすれ違いを乗り越えて、想いを告げ合う主人公とヒロイン。
台本にはなかったキスシーン。
彼女との練習中の雰囲気で思わずそっと唇を寄せた。
唇が触れ合う直前、ふと役が抜け、我に返った。
あわてて身を引こうとした瞬間、彼女はその大きな瞳をそっと閉じたんだ。
吸い寄せられるように触れた彼女の唇は、想像以上に柔らかくて。
その温もりと、すこし湿った唇に、切ないほどに胸が高鳴った。
どのくらいの時間、唇を合わせていたんだろう。
彼女が身じろぐ気配で、唇が離れた。
触れ合うだけの幼いキス。
唇を離した後の彼女の甘い吐息に酔っていると、先に口を開いたのは彼女の方だった。
「お、遅くなってしまったので、そろそろ…帰ります」
そう言って俯き加減に荷物を用意する彼女。
「…送るよ」
遠慮する彼女を何とか引き留め、車に乗せることに成功した。
☆
車内では、俺も彼女も無言だった。
気まずい沈黙の中、彼女の下宿先近くに到着した。
「最上さん…着いたよ」
「……く…ださい」
「え?」
俯いたまま降りようとしない彼女が、小声で尋ねた。
「ごめん…なんて?」
「役者の法則……無かったことにしたくないんです。…もう一度キ、キス…してくれませんか?」
「それは…」
声が震えた。
「さっきのキス…なかったことにしたくないんです」
そう言って俺を見上げる彼女の瞳。
「うん。いいよ」
そう言うのが精一杯だった。
彼女の肩を抱き寄せ、震える唇に触れるだけのキスをした。
☆
会話の途中。
車の中。
撮影の合間。
目と目が合って、彼女が瞳を閉じる。
俺は何か神聖なものに触れるかのように、そっと口づける。
唇を離した後の彼女は、どこか安心したような顔で俺を見上げ、微笑んだ。
その笑顔は一瞬にして俺の胸を、理性を打ち砕く。
その先への欲求を刺激する彼女の表情をなるべく見ないように、俺はすぐに目を逸らす。
そんな日々が数か月続いたある日。
「もう…嫌です」
「え…?」
トンッ
そんなに力が入っているわけではないのに、突然のことに不意を突かれ、腕を離してしまった。
「敦賀さんとキスするの、嫌です」
突然の拒絶。
さっきまで俺の腕の中に納まっていた華奢な身体は、彼女の腕の分だけ距離が開く。
「最上さん…」
俯く最上さんの表情は見えない。
指が白くなるほどに握りしめた彼女の拳が震えている。
「敦賀さんとキスすると、胸が苦しくなるっ」
地面がぐらりと揺れたような気がした。
「後悔してるんですよね。私とこんなこと…」
「なん、で…?」
「私、狡いんです。こうやってキスを続けていたら、敦賀さんが少しは私を好きになってくれるかも…なんて馬鹿な期待をして……でも」
震える声で話す最上さん。
「気づいていました。敦賀さんがキスの後、私から目を逸らすの」
「あれはっ…」
「いつか好きになってくれるかもと思う自分が浅ましくて大嫌いっ」
俺が自分の欲に目を逸らしている間に、こんなに彼女を傷つけていたなんて…
「キスを続けることで私はどんどん敦賀さんに溺れていくのにっ…」
「最上さんっ」
堪らくなって、彼女の華奢な身体を強く抱きしめた。
「はなしてっ、ください…」
「嫌だ!」
俺の声の大きさに、腕の中でもがく彼女の肩が震えた。
「好きだ」
「っ…」
最上さんの髪に顔を埋め、耳元に震える声で呟く。
「ごめんっ…悩ませて、悲しませて…」
「…つるがさん」
腕の中の温もりと甘い香りを全身で感じようと深く息を吸い込む。
抵抗するように拳を作っていた彼女の小さな手が、そっと俺の背中にまわり、ジャケットを握る。
その小さな感触さえ、鳥肌が立つほどに気持ちいい。
「君に触れたら、我慢できなくなるから…」
「え…?」
「溺れているのは俺の方だ」
「なっ!?」
驚いて勢いよく顔を上げた最上さんの頬をそっと撫でる。
「キスする度、俺も願っていたよ」
ゆっくりと顔を近づけていく。
最上さんもそっと瞳を閉じる。
願いを込めて、宝物に口づける。
「キスをする度に、君が俺を好きになってくれるように」