※誤字訂正しました 12/25





『お願い!キョーコちゃんっ』


朝一番にかかってきた電話は、カッスカスに掠れた声の社さんからだった。

 



 

「あの、敦賀さん…」

「ん?あ、最上さん、コーヒーの蓋開けてくれる?」


なんとなく居心地が悪くて背中を付けられないでいる助手席で、右隣の運転席に座る相手を見上げれば、サングラスをかけたくらいじゃ隠しきれないオーラを車内に充満させた敦賀さんが、声だけで応えてくれる。

運転中なので前を向いたままだけど、ハンドルを握る指先がトトンと軽やかにリズムを刻む。

少し厚めのセクシーな唇の端っこがちょっとだけ上がって、なんだかとてもご機嫌な様子。


「すみません、私なんかが……あっ!」


コーヒーを手渡しながら謝ったけれど、少しだけ触れた指先に敏感に過剰に反応してしまった。


「ごめんっ熱かった?」

「いえっ…ちがいます」


安心したのか、敦賀さんの口角がまた少し上がる。


「社さんには悪いけど、俺は嬉しいよ?最上さんが久しぶりに代マネしてくれて」


そう。今敦賀さんと二人で車内にいる理由は、私が代マネをすることになったから。

ことの発端は昨日の社さんからの電話。数日前からのどに違和感を感じていた社さんがついに発熱してしまった。

熱が高いことから、季節柄インフルエンザにでも罹っていたらマズいということになり、出社停止になってしまった。そこで私に代マネとして白羽の矢が立った。

ちょうどドラマの撮影がクランクアップを迎え、三日ほどオフをもらった私に、社さんは申し訳なさそうに電話口で謝りながらバトンタッチを願い出た。


『他の誰かに頼むくらいなら、断然キョーコちゃんが安心!キョーコちゃんと一緒なら蓮は無茶もしなけりゃ食事もちゃんと摂るし。蓮はキョーコちゃんの言うことは聞くから』


随分と買いかぶられているとは思うけれど、久しぶりに敦賀さんの芝居を間近で見ることができる絶好のチャンス。


(こんなに敦賀さんの近くにいられるし…)


「最上さん熱い?少し窓開ける?」


不覚にも顔が火照るのを掌でパタパタ仰いでいたら。敦賀さんに気遣われてしまった。


「いいいいいいえっ、大丈夫ですっ」

「そう?…それにしても、最上さんのその恰好…」


信号が赤の間、頭のてっぺんからつま先までを敦賀さんの視線が往復した。

実は今日も私は、以前先生とクオンごっこをした時と同じく、15歳くらいの男の子(アメリカ育ち)設定。


「敦賀さんっ現場に着きましたら、私のことはクオンとお呼びくださいっ」

「…なんでこんなことに」

「だ、だって…いくら代マネとはいえ、敦賀蓮がこんなのっぺり娘と行動を共にするなんてとんでもないっ。今日と明日は『LME所属俳優見習いのクオンくん15歳』でお願いします」


胸を張って言いきっると同時に信号が赤から青に変わり、敦賀さんはまた車を走らせた。


「今日から二日間、付き人としてじゃんじゃん御用を申し付けてくださいね。そして敦賀さんから一流俳優としての極意をばんばん盗みとってやりますから、覚悟してくださいねっ」

「わかった。最上さん…いやクオンくん。俺も本気で行くから覚悟してね?」

「は、はい」


一瞬だけ背筋がゾゾっとした。実は社さんから風邪を貰っちゃったのかしら。

敦賀さんに貸してもらっていたひざ掛けをぐいっと引っ張って暖をとった。

 

 

 


「敦賀さん、お疲れ様です」


撮影現場に着くと、スタッフさんが駆け寄ってきた。


「お疲れ様です。今日はよろしくお願いします」


敦賀さんが丁寧にあいさつする一歩後ろで私もお辞儀をした。


「すみません。実は撮影がかなり押していて、敦賀さんの出番までしばらくお待ちいただくことになりそうなんです」

「そうなんですか」

「で、申し訳ないんですけど、先に今夜泊まる宿へご案内しますので、少し休憩なさってください」

「いいんですか?長距離を運転してきたので正直助かります」

「ではご案内しますね…ところで、後ろの方は?」


敦賀さんが移動を快諾してくれて安心したスタッフさんは、ようやく私に気付いたみたいだった。


「彼は今日と明日俺に付いてくれるクオンくんです。マネージャーの社が体調を崩していしまったので、俺の面倒をみてくれるんです。LME所属の俳優の卵なので、今回は現場見学も兼ねて」

「あぁLMEの。どおりで美少年ですねぇ!」


スタッフさんのお世辞が気に入らなかったのか、敦賀さんを取り巻く温度が下がった。

スタッフさんはそのことに気付かない様子で、現場からすぐ近くだという宿へと私たちを案内した。

 



 

「だいたい二時間くらいでお呼びできると思いますので、少し休憩なさってください」


案内された部屋に絶句している私を気にも留めず、スタッフさんは慌ただしく部屋を出て行った。


「あ、あの」

「どうしたの最上さん?喉乾いた?なにか飲む?」

「いえ、そういうことではなくてっ…お、おかしくないですか?」


部屋を見渡して慌てふためく私に、心当たりがないとキョトンと小首をかしげる敦賀さん。可愛いじゃないの…ってきゅんとしてる場合じゃない。


「なんで私たち同室なんですか?」

「さっき説明されたでしょう?今日はクリスマスイブだよ?一人一部屋押さえたら他のお客様の迷惑でしょう?」


敦賀さんの言うことは最もだ。でもっ!


「スタッフさんたちなんて六人部屋でザコネだっていいてたよ」


この時期の旅館がとんでもなく繁盛するのも、旅館育ちの私は心得ている。でもっ!


「見て見て最上さんっ露店風呂あるよ!あ、足湯までっ」


はしゃぐ敦賀さんはレアでとんでもなく可愛い。けどっ!


「ところでザコネってなに?」

「………一つのお部屋でみんなで寝ることですよ」


それ以上は私の口からはちょっと…。


「なにそれ楽しそう!俺たちも今夜はザコネする??」

「な、ななななな何てことをっ」


いたずらっこみたいな表情でにやって笑う敦賀さん。


「だって俺たち男同士だし?同室もザコネも不自然じゃないよね?クオン君」


うう…いじめっこだ。

悔しくって目頭が熱を持った。でもこんなことで動揺は見せられない。

私はクオン。LMEの新人俳優クオン。アメリカ育ちの15歳。

ぐぐぐっと目を見開いて、全開の笑顔で敦賀さんを見上げた。


「いいよ。ザコネ」

「え?」

「オレもザコネっていうの、やってみたい!楽しみだねっ」


クオンを憑けて思いっきり乗ってみた。


「さ、敦賀さんは少し休みなよ。ずっと運転してたから疲れたでショ?呼ばれたら起こしてあげるからさ」


そう言って寝室へと少し強引に敦賀さんを押しやって襖を閉めた。

襖の向こうが静かになるのを待って、倒れこむように脱力した。

 



 

当初押していた撮影も、他の役者さんやスタッフの方々、そして何よりもノーミスで全カットを撮り終えた敦賀んさんのおかげでほぼ予定通りの時間に終えることができた。

旅館に帰って部屋に入った私が目にしたのは、居間から続く寝室に敷かれた二組のお布団。

ふたつのお布団の隙間はわずか30センチほど。それを見て呆然とする私に気づいた敦賀さんが、一組の布団を抱え上げた。


「俺は居間の方で寝るから、最上さんはここで寝て」

「え、でも…」


戸惑っているうちに、敦賀さんは寝室を出て行ってしまった。


 


 

微かに聞こえる水音に、眠りの底からゆっくりと意識が浮上した。

見慣れない天井。慣れ親しんだ、だるまやのお布団とはちがう重みと枕の高さ。


(そうだ、ここは旅館だ)


部屋の外から気配を感じて、露天風呂へと続くガラスの引き戸に近づく。

そこには足湯に浸かる敦賀さんの姿。

月の光を浴びて空を見上げる敦賀さんは神秘的で儚くて、そのまま月に吸い込まれていなくなってしまうんじゃないかと胸が急いた。

慌てて扉を開けて外に出ると、私に気づいた敦賀さんが少し驚いた後、気まずそうにはにかんだ。


「ごめん。起こしちゃったかな」

「いえ…」


敦賀さんがこちらを向いてくれただけで、手の届かないところから戻ってきてくれたかのように感じて、胸が苦しくなった。

逸る鼓動を抑えたくて、浴衣の襟をぎゅっと握りしめた。


「そんな薄着じゃ風邪をひいちゃうよ」


自分の身なりを改めて見下ろしてみれば、浴衣一枚。しかも寝起きで乱れ、きっと髪の毛も跳ねている。

慌てて部屋に戻り、浴衣を伸ばして帯を締めなおす。茶羽織を羽織って髪を梳かす。ついでにリップも薄めにひいた。

深呼吸をして外に出ると、敦賀さんは楽しそうに足湯の中で足を揺らしていた。


「足湯って気持ちイイね。初めて入った」

「私も好きです」

「…え?」

「足湯」


さりげなく座っている位置を少しずらし、隣に私を招いてくれる。

促されて隣に座ると、肩が触れ合う距離だった。

お湯が跳ねないようにそっと足を浸ける。

十二月の外気に晒されていた素足は思いのほか冷えていて、浸けた足はじんじんと温かさが浸み込むようようで気持ちい。


「ふぁ、あ~~気持ちいい~」


そのまま見上げた空は、冬の澄んだ空気で星がよく見えた。


「きれいですね」

「うん」


隣で敦賀さんんも空を見上げる。

キンッと冷えた静寂の中、時折揺れる水音だけが二人の間を流れる。


(静か…)


「静かだね」


心の内を言い当てられてしまったかとドキッとした。


「そう…ですね」


そう返事をした時、敦賀さんの手元でスマートフォンが光った。

音は鳴らない。


「あ、時間だ」


画面を見た敦賀さんが、私の方へと向き直った。


「最上さん」


まっすぐな敦賀さんの瞳に、私もつられて居住まいを正した。


「はいっ」

「誕生日おめでとう」


そう言って手の中に弑さな何かを握らされた。 

ゆっくり開いた手の中には、ピンク色の石が埋められたイヤリング。


「………」

「よしっ、今年は一番に言えたっ」


子供みたいに嬉しそうな敦賀さんの、なんの陰りもない笑顔。

胸がくるしくてくるしくて、息が止まってしまうんじゃないかと思うくらい。


「最上さんが起きてきてくれてよかった」


肩まで揺らすほどに足を動かすから、波打ったお湯が私の膝のあたりまで温める。

水面に浮かんだ月がゆらゆらと形を変える。

敦賀さんもそれに気づいたのか、見比べるように空を見上げた。

つられるように私も。


「きれいだね」

「はい」

「明日も晴れるね」

「はい」

「代マネ、よろしくね」

「はい」

「最上さんがすきだよ」

「は……え?」


そっと指先に敦賀さんの指が絡まる。

咄嗟に手を引こうとしたら、そのまま絡め取られた。


「愛してるよ」

「~~~っっ!!?」


ニヤリと笑って敦賀さんは、お湯から上がって、自分のお布団がある居間の方へ入っていった。

長い間お湯に浸かっていたせいで、敦賀さんのふくらはぎから下は赤く色づいていた。

真冬の空の下、いくら足湯に浸かっているとはいえ、身体は寒いはずなのに、顔は熱いし、激しい動悸のせいで汗までかいている。

タオルを持って再び現れた敦賀さんが慌てて立ち上がらせてくれるまで、私はその場から動くことができなかった。

 

 



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