フィフィ発言集

「海外にある日本人学校でも学費かかるのに、なんで日本にある一部の外国語学校を無償にするか否か議論してんの?アメリカンスクール、インターナショナルスクール、中華学院、中華学校、インディアンインターナショナルスクール…は学費払ってるよ?」

「子供に民族思想を学ばせたい外国人は子供連れて帰国してるよ?難民でもなければ、国から拒否されてるわけでもなく、日本に生きるのを選択したなら、その国で甘えちゃダメでしょ。日本は外国人に十分配慮してる方だよ?
今の日本は学校通わせるのに苦労してる人もいるの。同じ想いで苦労する気が無いの?」

「誰かを非難しするつもりもない…外国人であれ、日本に生きている以上、日本人がいま苦境に立たされてることを理解して、その想いを分かち合っていくのが真の共生。私が伝えたいのは、どの国籍であれ、利益だけを求めて日本に寄生しようとすれば共感は得られないよ、という事。」
◆併合時の日本政府から朝鮮総督府への通達

一、朝鮮人は対等の関係を結ぶという概念がないので、常に我々が優越する立場であることを認識させるよう心がけること。

一、朝鮮人には絶対に謝罪してはいけない。勝利と誤認し居丈高になる気質があり、後日に至るまで金品を強請さるの他、惨禍を招く原因となる。

一、朝鮮人は恩義に感じるということがないため、恩は掛け捨てと思い情を移さぬこと。

一、朝鮮人は裕福温厚なる態度を示してはならない。与し易しと思い強盗詐欺を企てる習癖がある。

一、朝鮮人は所有の概念について著しく無知であり理解せず、金品等他者の私物を無断借用し返却せざること多し。殊に日本人を相手とせる窃盗を英雄的行為と考える向きあり、重々注意せよ。

一、朝鮮人は虚言を弄する習癖があるので絶対に信用せぬこと。公に証言させる場合は必ず証拠を提示させること。

一、朝鮮人と商取引を行う際には正当なる取引はまず成立せぬことを覚悟すべし。

一、朝鮮人は盗癖があるので金品貴重品は決して管理させてはいけない。

一、朝鮮人には日常的に叱責し決して賞賛せぬこと。

一、朝鮮人を叱責する際は証拠を提示し、怒声大音声をもって喝破せよ。

一、朝鮮人は正当なる措置であっても利害を損ねた場合、恨みに思い後日徒党を組み復讐争議する習癖があるので、最寄の官公署特に警察司法との密接なる関係を示し威嚇すること。

一、朝鮮人とは会見する場合相手方より大人数で臨む事。

一、朝鮮人との争議に際しては弁護士等権威ある称号を詐称せる者を同道せる場合がある。権威称号を称する同道者については関係各所への身元照会を徹底すべし。

一、朝鮮人は不当争議に屈せぬ場合、しばしば類縁にまで暴行を働くので関係する折には親類知人に至るまで注意を徹底させること。特に婦女子の身辺貞操には注意せよ。

一、朝鮮人の差別、歴史認識等の暴言に決して怯まぬこと。証拠を挙げ大音声で論破し、沈黙せしめよ。

一、朝鮮人との係争中は戸締りを厳重にすべし。仲間を語らい暴行殺害を企てている場合が大半であるので、呼出には決して応じてはならない。

先方は日本との友好を壊したいのかな?嘆


「WiLL」2011年4月号に鈴木史朗さんの記事がありました。


【南京大虐殺は真実ではないと思う理由】


 鈴木史朗(フリーアナウンサー)
 1938年、京都生まれ。62年、早稲田大学法学部卒業後、TBSに入社し、アナウンス部へ配属、その後報道局なども経験。主な出演作品に、TBS『さんまのスーパーからくりTV』、『水戸黄門』(ナレーション)、日本テレビ『オジサンズ11』など。著書に『鈴木史朗の健康道場 ご長寿TVで長寿のコツ』(小学館文庫)。

〈「もう一度南京へ」〉


 TBSのバラエティ番組『からくりテレビ』の名物コーナーで、私が司会を務めていた「ご長寿早押しクイズ」。毎週数名のご長寿の方にご登場いただき、クイズに答えていただく人気コーナーでしたが、今から十一、二年前、南京戦に参加されていたという会津若松の方にお会いしたことがありました。

 撮影の合間に南京の話になり、私が「あそこは大変なことがあったから、もう南京には行けませんね」と声をかけると、その方が「いや、私は死ぬまでにもう一度南京へ行きたいんであります」とおっしゃった。私は驚いて、「どうしてですか」と聞いたところ、こんな話をして下さいました。

 「衛生兵として南京で日本兵を助けたが、怪我をした中国の敗残兵も助けた。軍のトラックで送ってやったら中国人の家族が非常に感謝して、家宝の掛け軸をくれたんです。

 さらに『戦争が終わったら、ぜひもう一度南京へ来てほしい。歓待したい。一日千秋(いちじつせんしゅう)の思いで待っている』とまで言われたんです。だから、私は死ぬまでにもう一度南京に行きたい」

 このことでハッと思い出したのは、私自身が幼いころ、南京戦直後に中国にわたり、天津で過ごした日々のことでした。それは、「大虐殺」があったなどとは到底考えられないほど、大変のどかな日々だったのです。

 この方にはその後、もう一度お会いする機会があったので、「南京大虐殺」の証拠写真とされている、松葉杖をついた片足の中国兵と、笑顔の日本兵が並んで移っている写真を持って行ったんです。キャプションには、「残虐な日本兵によって、逃げられないように片足を斬り落とされた中国兵」と書かれていました。

 ところが、この写真を見せたところ、南京戦に参加されたその方がとても喜んだんです。

 「この兵隊のことは良く覚えていますよ。アルマイトがなかったので、ヤカンをつぶして義足を作ってやったんです。いやー、よかった。この写真、いただいてもいいですか」

 他にも、実際に参戦された方々からさまざまなエピソードやをお話しいただきました。

  「たしかに、南京戦で相手の兵士を殺した。だが、それはあくまでも中国の兵士であって、日本兵も戦死しています」

 「トーチカから撃ってくる兵士を仕留めて近づくと、機関銃手はまだあどけない顔の若者で、鎖でつながれていた。武士の情で彼らの墓を作ってやりました」

 「南京戦後、中国人から『兵隊さんありがとう。あなたの靴を磨かせてください』と言われて、泥だらけだからと断ったのだが、どうしてもといわれたので磨いてもらった。気持ちが嬉しくて、飴玉をあげました」

 そして、少しずつ勉強する時間が取れるようになり、勉強しはじめてみると、東中野修道氏や北村稔氏、また『WiLL』に連載されている西尾幹二氏ら「現代史研究会」の研究成果が自分の体験と重なって、歴史を学べば学ぶほど、また中国での日々を思い出せば思い出すほど、「大虐殺なんてあり得ない」という確信を得るにいたったのです。


引用させていただきました:http://kukkuri.jpn.org/boyakikukkuri2/log/eid1115.html