おはようございます!

さんくるです。

 

 

小学校高学年ぐらいから

高校生にかけての

暴れっぷりに関しては

あんまり言うと馬鹿がバレるし

そんなに大したことは

していないんで

軽くスルーで頼んます。

 

抑圧されている

(と、思い込んでいる)

女子中学生がよくやるようなことだから。

 

何しろ歌舞伎町の

ゼノンやら

ニューヨークニューヨークやら

六本木なら

LEXINGTON QUEEN
fou-fou
MAHARAJA
GIZA

 

女子であれば

電車賃だけを握りしめて行けば

飲み食いできる場所は

いくらでもあったし

知らない人についていかなければ

それほど危険なことはなかった。

 

と、当時は思ってた。

 

今にして思えば

単にラッキー

無知だっただけね。

 

自分的に思う危険なことといえば

時々補導されることぐらい。 

 

そりゃもう

両親揃って怒る怒る。

父親と殴り合いになって

パパちゃんの人差し指を折ったのも

今となっては良い思い出?

 

何しろオツムの弱い小娘VS

十分に大人の両親。

 

小娘語彙が貧弱で

何を言っても論破されるから

キャンキャン騒ぐしかなかった。

 

まぁ毎日毎日ギャーギャー

親と喧嘩していたぐらいに

思っていただければコレ幸い。

 

高校生になったある時

終電を逃し

歌舞伎町から歩いて帰って

こっそり家に忍び込もうとしていたら

父親に見つかった。

 

その時父は怒らずに

「さんくる母は更年期がはじまって

とても不安定なんだよ。

それでも一生懸命

仕事してご飯作って洗濯して

僕らの生活を守ってくれてる。

ガミガミ言うのも

キミに良い人生を

送ってほしいからだよ。

もう体力的にキミは母より強くなった。

これからはキミが

母を守る番なんじゃないかな」

 

正確には覚えていないけど

そんなようなことを言って

私を諭した。

 

まぁ

だからと言って

すぐに自分を

律することができたわけでもなく

 

家裁に呼ばれて

親に頭を下げさせたり

 

制服のスカートの裾を

ジャキジャキ鋏で切られたり

 

パーマかけちゃ

父親に頭を五分刈りにされたり

しているうちに

 

だんだんに人間らしくなってったんだけど。

 

実際

今のような親子関係になったのは

父親が急逝してからのこと。

 

年齢的にも母は70過ぎてたってのもあり

みるみる縮んで弱々しくなっちゃったから。

 

とりあえず

大馬鹿娘が

くそばばぁうっせーんだよ!黙っとけ

と、何度言ったか知れないけれど

常に変わらず愛を注いでくれたもんね。

 

そりゃもうもちろん

うっとおしかったけども。

これは贖罪なのか?

 

なんだなんだ!

贖罪期間のが長いじゃないか。

暴れて損したな。

 

 


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母今は自分の名前がわかったりわからなかったり。

私は一番下の妹なんだって。

 

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