こんばんは

夜分遅くに失礼いたします。

 

ご無沙汰しておりますさんくるです。

 

いつか誰もに必ず訪れることに

「死」があります。

 

健康な人たちにとって「死」は

ボンヤリ遠くのほうにあるもので

なんだったら90歳過ぎている人でも

20年先の健康のためにと

食生活に気をつかってみたりするぐらい

遠い遠いところにあるものなのだなと

感じます。

 

それにひきかえ

進行性の病気や

重要臓器に不具合がある人には

とても「死」は身近なもので

己の死に様や死後のことを

具体的にイメージしたことがない人は

いないんじゃないかと思います。

 

同じ時を生きているのに

この乖離に時々驚かされますが、

この具体的イメージは

飽くまで自分の場合にしか

適用されていないことにもビックリです。

 

自分のことであれば

この場合はこうしてもらいたい

そのためにコレコレこのように

ちゃんと準備をしてあるよ

だからお願い!よろしく頼む!

と言えるのだけれど

 

自分の立ち位置が

周囲の人

という立場になった途端に

少しでも長く、

どんな状態でも存在してくれればいいから

なんて

当事者の望みを差し置いて

願ってしまったりするのです。

 

もちろん昔の状態に戻れるのなら

どんなにでも頑張ってほしいと思うのは

当然ですが

健康な時には決して戻れず

本人の希望が

頑張ることではないのなら

 

ただ辛く厳しく苦しい時を

長引かせることを望むより

大切な人との濃密な時を過ごすことが

その人の幸せであるなら、

その形はその人自身にしか決められない

決めるべきと思うのです。

 

 

変な事言ってたらごめんね。

 

ご訪問ありがとうございます。