母の術後2週間検診。

抜糸もできて順調のよう。施設での生活も元に戻り、部屋はホテルのベッドメーキングの後のようでこの上なく今まで通りきれいで、検診に迎えに行った朝も食事の時に他の方のお手伝いをしていたとか、他の方は嫌がってないですか?できない事してくれてるから、喜んでいますよー
ときいて安堵。

診察時間まで待っているときに大好きな氷川きよしのコンサートのYouTubeをみながら
手振りをつけながら、歌っていた。声、小さめに歌ってよと言う私をよそに、ご機嫌で歌っていた。
診察も終わり施設まで送って行った。私が施設を後にする時に、施設の人、みんなで花の種を植えた花壇をみながら、楽しかったんだよー、植えるの。
早くリハビリして家に帰るから、苦労かけてるね、何て、言葉をきいたら、うるうる、これが離れた距離だからでてくる言葉でそして、これがいつもの母なんだよね、
家に帰りたいんだと思うと、やっぱり胸が苦しくなってきた。


母の事をしての日常を過ごしていたら、
Kちゃんの施設から、このごろ暴力的な言葉がでる、家に戻れないからかなぁと言われてしまった。
kちゃんは、家から何度も飛びだしている事を考えて、今回は、自宅には連れてこないで、かつて私が通院で何度も行った諏訪にドライブ行く事にした。

諏訪の御柱も終わったし、ゆっくりお参りできるかなぁ。わかさぎの佃煮も食べたいし…。


今まで、デイサービスでは、
暴力的な言葉何て使わなかったけど、家にいた時みたいに、イライラした時にでるのかなぁ。だから大変だったんだよ。

こんなに楽な人、家においておけないの?と何度も言われたけど。
私は限界だった。毎日でしたと、言いたかったけど、それに、私は1対1だったし。
施設では…
と思ったけど、居させてもらわないと困るし…
やっぱり、家がいいのは、誰でもだし、なら、飛び出ししないでとも思うけど…
それができなかったんだよね、でも、親とは違うし。

手術が伸びた事であいたお休みに連れて行った。これでしばらくおとなしくしてくれていたらとも思いながら、施設に送っていった。

その後、お友達の誘いで、がんカフェに参加させてもらったりした。

私がRFLをやるきっかけとなったのが、昴のがんと告知されてから、過ごした時間、その間に何をみて、何を感じて、どう思ったか
それを知りたいだった。

本人じゃないから、永遠にはわからないけど、私や家族に申し訳ないと思っていた事だけは確かだと、がん患者さんとふれあうと確信でき、
そして、残していく私や家族を心配していた
。頼りない私を1人にできない、その思いが強かったんだなって思う。


そんな頼りない私が年齢も重ねて、白内障の手術になったのだ。
痒疹の免疫異常が白内障をいっきにすすめてしまった。するには、まだ20年は早いでしょと自分に腹がたち、免疫異常も疲れででた事が今頃わかり、母の魚鱗せんも関係あった事も知った。 

信号はかろうじて見える程度。
これで諏訪まで行ったのだからかなり自分でも怖かった。けれど知ってる道だからこそ、行けたんだと。
昴とメイで諏訪湖の白鳥丸に乗り、昴の亡くなった後もカウンセリングをうけに何度も通った道。
だから、行けたのだと思う。
懐かしさと温かさ、この道を通っていったんだなぁ。とそんな事を思っていた数日後の
がんカフェ。
昴の事を想って、また昴の亡くなった直後に知り合った友達の話しに涙が溢れた。

ここのところ昴を思って泣く事もなかったから、もしかしたら、昴を想っての幸せの涙が半分あったかもしれない。


気がかりなメイの事。
ここ何年もずっと苦しかったと言われ、ここのところ私を遠ざけている。

先生を間に入れて今の自分の気持ちを伝えてきた。話しあいでもなんでもない、一方通行。
甘やかしたなといとこに言われた。
甘やかしたつもりもない、昴が亡くなりお金の不自由はかけたらいけない、片親の不自由はさせたらいけない、そう思っていた、ただそれだけで、わかってくれていると思っていた。 

メイには自分の人生を生きてほしいとだけ返した。

私の事をわかって、我慢した結果だったかもしれない。ずっとメイを思っていたのに。
メイにはいつでも、どこでも笑って生きていてほしい。ここ何年も苦しいかったのならこの先は、笑って生きていってほしい。
心が楽になるように生きていってほしい。
こんな事言われるとも思わなかった。
心配になるけど、光をみつけて、生きていってほしい。
ささいな事で大笑いできていた、メイに戻ってほしい。

「大丈夫、メイはひみちゃんとわちきの子だから。」昴はいつでもそう言った。

メイ、私の事は考えないで、いいんだよ。お母さんが悲しむからとか、お母さんに心配かけないようにとか思わなくていいんだよ。
もうじゅうぶん、心配しているし、かけてもいるから。

これから、私は、私の事だけ考えていこう。
目、よく見えるようになるといいなぁ。


友達が今後のために、手術が終わったら
手順やらなんやら、詳細に話してって言ってたから、今はその事だけ考えよう。



みんなが幸せでいられるといいな。