今年一年を振り返って、そして来年に向けて…自分のための覚書ですはなどうぞスルーしてくださいはな


谷川俊太郎さんの「春に」↓



大好きなんですはな



谷川俊太郎さんの詩は、たくさん合唱曲になっているけれど、その中でも特に「春に」が好きです。

「この気もちはなんだろう」という言葉が4回繰り返されて、読む方も「この気もち」って、どういう気持ちなんだろう?と真剣に考えてしまいます。

谷川さん自身が、はっきりととらえどころのない人の「感情」というものを、「なんだろう」と不思議に思いながら、その不思議さごと丸ごと全部大事に思っているような気持ちも伝わってきて、この言葉の繰り返しが、この詩の中ですごく深く響いてきます。

谷川さんが不思議に思っている「なんだろう」という気持ちを、順番に書き抜くと、

「目に見えないエネルギーの流れが
大地からあしのうらを伝わって
ぼくの腹へ胸へそうしてのどへ
声にならないさけびとなってこみあげる
この気もち」
「よろこびだ しかしかなしみでもある」
「いらだちだ しかもやすらぎがある」
「あこがれだ そしていかりがかくれている」
「心のダムにせきとめられ
よどみ渦まきせめぎあい
いまあふれようとする
この気もち」
「あの空のあの青に手をひたしたい」
「まだ会ったことのないすべての人と
会ってみたい話してみたい」
「あしたとあさってが一度にくるといい」
「ぼくはもどかしい」
「地平線のかなたへと歩きつづけたい」
「そのくせこの草の上でじっとしていたい」
「大声でだれかを呼びたい」
「そのくせひとりで黙っていたい」

この詩に表現された気持ち、反対のものがいくつも並んで書かれています。

よろこび⇔かなしみ
いらだち⇔やすらぎ
あこがれ⇔いかり
地平線のかなたへと歩きつづけたい⇔この草の上でじっとしていたい
大声でだれかを呼びたい⇔ひとりで黙っていたい

こんな、相反する気持ちが自分の中で渦を巻いてせめぎあっていて、今溢れようとしている…そんな不思議。

それが、「この気もちはなんだろう」という作者の問いかけにつながっているのだと思います。

まったく反対の気持ちが同時に自分の心の中に存在する不思議。

作者ですら、明確にとらえられない人の心。

だからこそ、人は、素敵だということ。

この、谷川さんの、「人」という存在のとらえかた、「人」への肯定が、とても好きです。

私は、「よろこび」だけでは前に進めません。

自分がやってきたことに対する自信、不安、誇り、戸惑い…いろいろなものがあって、迷ったり心にとげが刺さったように感じたり、苛立ったり悩んだり…そうしているうちに自分の心が一つの方向を見つけて、「自分はここに向けて進んでいこう」と思える。

1つの道を決めて前に進むために、悲しみも、いら立ちも、怒りも、安らぎも、憧れも、全部必要だった。

最初からなんの迷いもなく、「ここに進もう」と決めて、すべてよろこびで心が満たされながら前に進むなんて、私にはできませんでした。

だから、谷川さんの詩にある、前に進みたい、でもじっとしていたい、誰かを呼びたい、でもひとりで黙っていたい…そんな、相反する気持ちが混在する中で、新しい自分になっていこうとする、いてもたってもいられない気持ち、すごくわかります。

そして、こんなふうに、人のいろいろな気持ちを丸ごと全部受け止めて、そうやってもがきながら前に進もうとしていくのが生きることなんだって、詩を通して伝えてくれる谷川さんの器の大きさが好きです。

現実の世界でも、ジェジュンのことでも、同じ現象を見ても人が思うことはそれぞれ違いますが、私はそれが当たり前で、どの感情にも優劣はないと思います。

「嬉しい」と思う人もいれば「悲しい」と思う人もいる。

「希望」を見る人もいれば「不安」を覚える人もいる。

どの感じ方が正しいわけでも優れているわけでもないと私は思います。

「嬉しい」と感じる人に出会うと、私の心の中にある「嬉しさ」の感情が反応してともに嬉しくなる。

「悲しい」と感じる人に出会うと、私の心の一部分がその悲しみに触れてふるえる。

私自身の心の中にあるいくつもの思いが、そのときそのときで出てくる。

そして、その中のどれが立派な感情で、どれが劣った感情かなんて、決められないし、決めるのは間違いだし、どれも今ここにある嘘のない大事な「気もち」の一つなんだということを、私は思います。

「あんなふうに思う人はかわいそう」「自分たちは幸せ」…ほんとに?と私は思う。

悲しみがなければ、文学は生まれなかった。

歌も存在しなかった。

悲しみ、喜び、安らぎ、不安…さまざまに揺れ動く心があって、言葉にはしきれない人の心の不思議があって、そして文学が生まれて、歌が生まれて、大きく言えば芸術が生まれたのだと私は思う。

これまで出会ったたくさんの人たち…私と同じ気持ちを共有してくれる人もいれば、まったく逆の意見をもった方もいて、でも、すべて私にとって大切な出会い、大切な人たちでした。

同じ思いを分かち合える方からは、ホッとする時間をもらえて、自分とは違う思いを持つ方からは、物事にはいろいろな見方があること、世の中は自分が思うよりずっと広くて自分はまだまだ未熟で小さいということを教えてもらえました。

時には心に何かがひっかかるような、棘が刺さるような、そんな気持ちを持つこともあったけれど、心に何もひっかかるものがない人生は怖いかもしれないと今は思っている。

今の自分の考えは本当に正しいのか、自分がやっていることはこれが最上のものなのか、常に問いただされ、「違うかもしれない」と自分を見つめ直すきっかけがあること…それはありがたいことなのかもしれないと、今は思っています。

常に心穏やかにいられないのは苦しいけれど、苦しいと思いながら自分と向き合ったとき、自分が成長し、前に進めているんじゃないかと思う。

だから、私は、自分と同じ思いの人も、そうじゃない人も、すべて大切にしたい。

自分と違う気持ちを持つ人も、どんな優劣もなく、すべて、今を一生懸命生きている一人の人なんだと思いたい。

ジェジュンのことに限るのではなく、現実に自分と関わるすべての人に、そういう思いで接していきたい。

特に、私は、たくさんの人と関わる仕事をしてるんだから、どんな人も見下したり嫌いになったりしたくない。

今、その人が感じている気持ちごと、全部受け止めて、自分の目の前にいる人を大切にしていきたい。



大好きだから、いつもつい鼻歌で歌ってる「春に」。

この歌を口ずさむときに、人の思いを大切にすること、人を大切にすることを、思い出したい。