昨日書ききれなかった残りの和歌です。
ジェジュンを思うとき、つい頭に思い浮かべてしまう和歌があります。
「世の中に絶えて桜のなかりせば春の心はのどけからまし」
光源氏のモデルと言われる在原業平の歌です。
「この世の中にいっそ桜というものがなかったら、桜が咲くのを楽しみに待ったり、散るのを残念に思ったり、そわそわすることもなく、春をのどかな気持ちで過ごしていられるだろうになあ」という意味です。
私は、つい、ジェジュンのことでヤキモキしたとき、この歌の「桜」を「ジェジュン」に変えて
「世の中に絶えてジェジュンのなかりせば人の心はのどけからまし」
と頭の中で呟いてしまうのです…。
ふだん、他人に対して興味が薄いというか、わりと無関心な方で、「人は人、自分は自分」と思って生きてきたのに、ジェジュンのことになると、ちょっとしたことで心配になったり嬉しくなったりソワソワソワソワ…。
ジェジュンがいなかったらもっと穏やかな気持ちで過ごしていただろうに、ジェジュンがいるからこんなに心が乱されてしまう…。
でも、この和歌に込められた思いは「桜がなかったらいいのに!」という言葉通りのものではなく、「桜があるからこんなに心乱されて、そろそろ咲くだろうか、天気は大丈夫だろうか、風が強いから桜が散るのではないか…とはらはらしてしまうけれど、そんなふうに人の心を乱す桜という花は、なんて人の心を強くとらえる魅力のある花なのか」という、桜に対する肯定的な思いだと思います。
同じように、ジェジュンがいなかったらもっと平和で穏やかな毎日だったかも…と思いながら、でも、ジェジュンがいるから、泣いたり苦しくなったりしながらも、その何倍も嬉しい気持ちや感動をもらえて、ほんとにジェジュンがいてくれてよかった…と、この和歌に重ねて思います。
どうしよう!昨日の記事が長すぎたから、今日はさらっといこうと思ったのに、やっぱり長くなってしまう。
あと一つだけ
「思ひつつ寝ればや人の見えつらむ夢と知りせば覚めざらましを」
世界三大美女の一人、小野小町の歌です。
(日本人が決めた「三大美女」なので、外国で語られる「美女」の中に当然小野小町は出てきませんが)
「あの人のことを何度も恋しく思いながら寝たから、あの人が夢に出てきたのだろうか。夢とわかっていたならば、わたしは目を覚まさなかったのに」という意味です。
ついこの間、夢の中にジェジュンが出てきたんです。
ステージでライトをいっぱいに浴びて、自信に満ちた表情で歌うジェジュン。
歌うジェジュンの姿があんまりきれいで、圧倒的な存在感があって、感動して、うっとり見とれて聴きほれていたら、目が覚めました。
しばらく、夢だったとわからなくてぼんやりして、頭の中にステージで歌うジェジュンの姿が焼き付いて離れなくて…そして、「夢と知りせば覚めざらましを」という言葉が浮かびました…。
夢とわかっていたなら、覚めなかったのに。
あのままずっと、ライトを浴びて立つジェジュンの姿にうっとりと見とれて、ジェジュンの歌を聴いていたかった。
本気でそう思いました…。
今年は、夢で見たことが、正夢になるといいなと思います。
ジェジュンの歌を待ち望むたくさんのジェジュンファンが、再びステージに立つジェジュンと出会い、ジェジュンの歌に聴き惚れて、感動を分かち合える、そんな年になるといいです。
おもち、いただきました^^
ありがとうございます
ようやく、ピグ友さんの街の司書ひなに会えました^^
メガネかけて頑張って働いています!