佐藤初女さんの本を読んでいたら、鈴木秀子さんが登場されました。
以前、ジェジュンが紹介していた本の著者の方です。
初女さんと親しく交流していたようで、鈴木秀子さんのお名前が登場したとき、嬉しくなりました。
ジェジュンが紹介してくれなかったら、ここで鈴木秀子さんのお名前が出てきてもよくわからなかったと思うし、エピソードの一つ一つがこんなに心に響かなかったと思うから…。
本の中で、映画『地球交響曲第二番』の監督である龍村仁さんが初女さんに書いたこんなお手紙が紹介されていました。
(※「先生」というのは、初女さんのことです)
「例えば、映画のファーストシーンで、先生がイスキアの裏の雪の中からふきのとうを掘り出されるシーンがあります。
このシーンだって、その日の夜の私たちの食事に、ふきのとうの味噌和えをつくってくださるために始まったシーンでした。
『じゃあ雪もきれいだから、その様子も撮っておきましょうか』
ということで、ごく気楽に始めたのです。
ところが、その初女先生のふきのとうの採り方を見ていて、私は胸が熱くなるほどの感激を覚えました。
スコップか何かを使ってサッと採られるのだろうと思って見ていると、なんと先生は、小さな枯枝れを使って、シャカシャカとさわやかな音を響かせながら、まだ雪の下にあるふきのとうのまわりの雪をやさしく取り除き始めたのです。
『なんと"めんどくさい"採り方をされるのだろうか』、そう思った瞬間、私は、先生がつくられた梅干し入りのおむすび一個が、なぜ自殺まで決意している人の心を癒し、生き続ける希望や勇気を与えるのか、の理由がわかったような気がしたのです」
龍村監督は、初女さんが、ふきのとうを単なる食材とは決して思ってはおらず、ふきのとうの生命力を大切にして、ふきのとうに宿っていた喜びのエネルギーを、料理を通して人の体の中に新しく活かしているんだと考えました。
私、この初女さんのエピソードを読んだとき、自然とジェジュンの歌が浮かんで…。
ジェジュンの歌に、傷ついた心を癒されて、生きる希望や勇気をもらった人、たくさんいると思います。
ジェジュンが使うものは食材ではないけれど、ジェジュンが、雪の下にある言葉や音を、そっと優しく掘り起こしている、そんな映像が頭に浮かびました。
スコップでザクッと取り出しても、目に見えるものは何も変わらないのに、小枝で優しく思いやりながら取り出した食材が生きるエネルギーをいっぱい蓄えて人の体の中に届くように、思いを込めて大切に取り出した言葉や音は、癒しや希望の力を人の心に流し込んでくれるのかなって…。
ジェジュンがどんなことを考えているか、どんなふうに曲を作り、どんなふうに歌っているか、私たちは見れないけれど、目に見えないのに何か伝わってくるものがある…それって、やっぱり、ジェジュンの、人に対する感謝や、想像力や、そういうものなのかなって、思いました。
私の勝手な思い込み…かもですけど
本の最初に、初女さんのこんな言葉が載ってます。
耐えがたきを耐え
忍びがたきを忍び
許しがたきを許し
あたたかい太陽を思わせるやさしい言葉
冬のきびしい寒さにも値する愛情ある助言
慈しみの雨のように涙を流して共感する
なごやかな風を思わせる雰囲気
それが母の心
ジェジュンは母じゃないけど、あたたかい太陽のような言葉、愛情ある厳しい助言、慈しみの雨のような共感力…ジェジュンの中にあるものって、こんな感じじゃないかなって思います。
私も、こんな人になっていきたいなあ