七夕になると、大好きな『建礼門院右京大夫集』の七夕歌を思い出します。
源平合戦で、恋人の平資盛を失った右京大夫が歌った七夕歌。
幸せだった頃は、二星に同情的で、七夕の風習を客観的に詠んでいるのに、資盛が亡くなってからは、年に一度会える二星が羨ましいと我が身を嘆いたり、むしろ二星に同情を求めたり…。
彦星のゆきあひの空をながめてもまつこともなきわれぞかなしき
彦星と織姫が今頃年に一度の逢瀬を交わしているのかと空を眺め、もう二度と資盛を待つこともできない自分の身が哀しい
歌集に収められている五十首を超える七夕歌の変遷を眺めると、右京大夫の心の変化が伝わってきます。
そして、最初は「お嬢様芸」と言われていた右京大夫の歌が、資盛の死という耐えがたい経験を経て、「真実かなしい歌をうたう抒情詩人に成長した※」と言われるのがわかります。(※大岡信)
右京大夫の歌の変化を見ていて思うのは、真実人の心を打つ言葉は、自分の経験からでなければ生まれない、ということです。
もちろん、人には好みがあるので、「真実かなしい歌」ではなく、軽くて楽しい歌を好む人もいるだろうし、それは人それぞれだと思うのですが、私が右京大夫の歌と出会ったとき心掴まれたのは、言葉の奥から溢れてくる「誰にも理解されないかもしれないけれど歌わずにはいられないかなしみ」が胸に響いたからです。
ジェジュンの歌を聴いていても、同じことを思います。
ジェジュンの経験した人生が、歌になってそのまま伝わってくること。
「真実かなしい歌」
「真実しあわせな歌」
そして
「真実、人を思う歌」
ジェジュンの口から紡がれる歌に乗せて、ジェジュンの真実の思いが伝わってきます。
普段自分が生きていて、嬉しいこと、悲しいこと、苦しかったこと…あからさまに全部丸出しで表現したりしません。
心の中に一人でしまって、声にしない思い、たくさんあります。
ジェジュンの歌は、そういう、心の震える場所に触れてきます。
ジェジュンの歌を聴くことは、自分の人生とジェジュンの心が出会うことのような気がします。
だから、たまらなく涙が出て、ジェジュンの歌を聴くと心が癒されて、1人で抱えていたいろいろな思いが浄化されていきます。
ジェジュンの歌には、誰にも言わず一人で越えてきたたくさんの悲しみや苦しみがあり、たくさんの人との出会いや別れがあったんだな…と感じさせる深みがあります。
そして、人の悲しみも苦しみもそのまま受け止める大きな愛情があります。
ジェジュンの人生そのままの、温かく、悲しく、幸せな、愛情に溢れた歌。
これからジェジュンがどんな道を歩いていくかわからないけれど、たとえ何年経っても、年を重ねるごとに、もっと深く、もっと胸に響く歌になっていくに違いない…そう思える歌に出会えたことがとても幸せです。