1、実験テーマと目的
実験テーマ
 光の吸収による電子の励起現象について解析する。一方では分子軌道計算をもちいて励起エネルギーの理論値を求める。また、一方では吸収する光の波長を測定し吸収スペクトルとして表示することで、最大吸収波長をエネルギー換算する。今回はシアニン色素を実験対象とし、分光光度計を用いた吸収スペクトルの測定、Spartanを用いたモデル分子の分子軌道計算を行う。

目的
様々なシアニン色素分子の可視吸収スペクトルを測定し、分子の色、吸収波長、共役π電子の励起エネルギー、及びπ共役構造の長さが互いにどのように関連しているのかを理解する。また、分子軌道計算を用いて、シアニン色素分子のπ共役構造をモデル化した分子の分子軌道を調べ、電子エネルギー準位と共役π軌道の形状との関係を明らかにする。




2、実験操作概略
器具・装置
分光度計、吸収セル、セルホルダー、オートビュレット、20mlメスシリンダー、試験管、試験管立て、洗浄瓶、300mlビーカー、キムワイプ

試薬
シアニン染料(x=0~3)メタノール溶液、50%タノール水溶液

実験手順
実験1
1)試料母液の希釈
 測定する4種類のシアニン染料溶液の調整を行った。まず、オートビュレットから試料母液5,0mlを試験管に取った。ここにメスシリンダーで量りとった50%エタノール水溶液15,0mlを加え希釈した。溶液の攪拌は、乾いた試験管を一本用意し、2本の試験管の間で溶液を交互に3、4回程度、こぼさないように入れ替えることにより行った。子の希釈したシアニン染料溶液を測定用試料溶液とした。

2)吸収セルへの試料溶液の充填
 吸収セルは、セルの側面が擦りガラスと透明ガラスからなる。光は透明ガラスの面を透過するようになっているので、この面が皮脂などで汚れると正確な測定ができない。従って、吸収セルをもつときは必ず擦りガラス面をもつようにした。
 吸収セルは、100mlビーカーの50%エタノール溶液中に保存されている。吸収セルを取り出し、セル内のエタノールをビーカーに戻した。測定用試料溶液は、実際に用いる量(3~4ml)に比べて多めに調整してあり、余分な量はセルの共洗い用とした。共洗いは2~3回行い、洗浄後の溶液はすべて廃液として回収した(300mlビーカーに一時貯めておいた)。共洗いの後、試料溶液を吸収セルの8割を目安に満たした。このとき気泡が入らないように注意した。セルの外側の水滴を、キムワイプを軽く押しつけるようにして吸い取り(こするとセルのガラス面に傷がつく)、セルホルダーにセットする。このようにして、4種類の測定用試料溶液を吸収セルホルダーにセットした。ここで、各試料の溶液の色を記録した。
 最後に、対照試料として、50%エタノール溶液を満たした吸収セルを用意し、これもセルホルダーにセットした。

3)吸収スペクトルの測定
1、試料室に何も入れない状態でベースライン測定を行った(900~350nmまで)。
2、セルホルダーを試料室内のセルホルダー皿に載せ、対照セルとして50%エタノール溶液の入ったセルを対照セ    ルホルダーにセットした。
3、4種類の測定試料の吸収スペクトルを測定した。ただし、各試料の測定直前に必ず波長900nmでオートゼロ(自動ゼロ点調整)を行った。
4、測定が終わったら、それぞれ吸収極大の波長と吸光度を読み取り、記録した。
5、4種類のスペクトルを重ねて表示させ、プリントアウトした。
測定終了後、シアニン染料を含む溶液(セルに入れた溶液も)は、すべて廃液として専用ポリタンクに回収した。また、吸収セルは純粋で十分すすいだ後、再び50%エタノール溶液に浸しておいた。

実験2
 吸収スペクトルを測定したシアニン染料分子のπ共役系をモデル化した分子の分子軌道計算を行った。分子軌道計算ソフトとしてSpartanを用いた。

【x=0分子の計算】
 x=0分子を作成し、分子軌道計算をした。分子軌道を表示させ、全てのπ軌道の形状をスケッチした。また、各分子軌道のエネルギーを記録した。さらに、両端のN原子間の分子骨格に沿った距離を調べた。

【x=1~3の分子の計算】
 分子軌道計算をx=1~3について行う。計算終了後、全てのπ軌道のエネルギーを記録し、x=0と同様に両端のN原子間の距離を調べた。
3、実験結果・観察事項
1、吸収スペクトルの測定
 吸収スペクトルの測定により求められた吸収極大波長と吸光度を以下にまとめた。また観察した溶液の色を載せる。




2、x=0分子のπ軌道の形状








3、x=1~3分子のπ軌道のエネルギー







4、N原子間距離




4、考察
1、シアニン色素分子の吸収波長の光の色と、溶液の色の関係
 溶液の色は、最大吸収波長における光の色の補色に見えていると推定される。
 最大吸収波長と呼ばれるようにその波長の光は溶液に最も吸収されやすい。光において補色の関係にある二色とは、その二色を混ぜ合わせたときに白色となるものとされているから、ある色が吸収された場合には、その補色である色が私たちの視覚に認識されることになると考えられる。

2、試料のモル吸光度係数εの計算
吸光度A、溶液濃度c[M]、光路長l[m]として


の関係があるから、


ここで溶液の濃度は

x=0のとき
シアニン染料分子の分子量71より5.0ml 5.0gとみなせば、溶液濃度  は

同様にして

x=1のとき、

x=2のとき、

x=3のとき、

それぞれでε求めると、






この値からx=3、x=2、x=1、x=0の順に光を吸収しやすいということがわかる。
3、吸収ピークの波長のデータを用いた準位間エネルギーの計算と最大吸収波長のデータを用いたπ共役系の長さの推測
吸収ピークの波長のデータを用いた準位間エネルギーの計算
 励起エネルギーをE[J]、プランク定数をh[J・s]、光の速度をc[m/s]、光の波長をλ[m]とすると、

が成り立つから、ピーク波長の値を用いて

x=0において、

x=1において、

x=2において、

x=3において、

【最大吸収波長のデータを用いたπ共役系の長さの推測】
HOMOの分子軌道がN番目、プランク定数をh[J・s]、電子の質量を   [kg]、励起エネルギーを E[J]とすると、


が成り立つから、


x=0において、

x=1において、

x=2において、

x=3において、


4、π軌道準位エネルギーと、電子雲の形(ローブ)や節の数についての考察



 上の表は、x=0におけるπ軌道エネルギーと節の数についてまとめたものである。これから、π軌道準位エネルギーが高くなるにつれて、節の数が増えていくことがわかる。
 これは、一次元箱型ポテンシャル内の電子を考えることによって説明しようと思う。
 一次元箱型ポテンシャルの解は、      に電子が存在するという条件では


である。
 一つ目の式から、エネルギー準位が高いほどnが大きいということがわかる。ただし、ここでエネルギー準位の実験値が負となっているが、それはポテンシャルエネルギーの基準値の取り方が異なるからであり、問題ではなく、相対的な高さを考慮すればよい。また二つ目の式から、nが大きいほど三角関数   の周期が短くなり、振動数が増えるということがわかる。つまり     における波動関数   の節の数が増え、その点における存在確率は0となり、節の数が増えると考えられる。
以上のことからエネルギー準位が高くなるほど、振動数が大きくなり、節の数もそれに伴って増えると言える。

5、HOMOとLUMOのエネルギー差とπ共役系の長さの関係



上の表からπ共役系の長さが長くなるにつれて、HOMOとLUMOのエネルギー差が減少していくことがわかる。     によってLの計算をしたのだから、このことは  さらにはEの式           
(n=1、2・・・)に帰着される。つまりは、  が  に比例していること、に反比例していることに起因している。

6、色が変わる分子の例
 色が変わる分子の例として、コレステリック液晶があげられる。
 コレステリック液晶は液晶材料の1つであり、光を透過するか反射するかの2つの状態を,電力を加えずに維持することができる「双安定」という特徴を持つ。反射時には,ある特定の波長の光のみを選択的に反射するという性質を持つ。
 コレステリック液晶は棒状の分子が幾重にも重なる層状の構造を持っている。層内ではそれぞれの分子が一定方向に配列しており,互いの層は分子の配列方向がらせん状になるように集積している。コレステリック液晶の原料として中心となっている分子は4-ヘキシルー4-シアノビフェニルであり、その分子が極性を持つことが表示素子機能を果たす上で重要な役割を担っている。それは電場をかけたときに液晶分子に激しい運動をきたす要因となるからである。液晶上下の電極に印加する電圧を調整してらせん状の分子を横向きにすれば,全ての光を透過させるようになる。
 温度により分子の長さが変わるため,反射する光の波長が変わる(結果として私たちの目に種々の色として認識される)という特長から液晶温度計として利用されたり,また双安定性の特徴から電源を切っても表示の消えないディスプレイの材料として使われたりしている。





参考文献
http://www.intgrl.co.jp/about_cholesteric/index.html コレステリック液晶とは
http://techon.nikkeibp.co.jp/article/WORD/20060308/114408/ コレステリック液晶とは-NE用語
アトキンス物理化学(上)P.W.ATKINS著 p、336-338
化学Ⅰ・Ⅱの新研究 卜部吉庸著 p、95