皆様方 ご心配をおかけ致しております。
温かい励ましのお言葉を頂き心よりお礼申し上げます。
ありがとうございます。
今回の豪雨災害
犠牲となられた方々の御冥福をお祈りいたします
行方不明の方が一日も早く愛する方々の元にお戻りになられるように
どうか一日も早く とお祈りいたしております
甚大な被害を受けた球磨村で光ケーブルの回線が破損して、インターネットが全く使えない状態でしたが、仮回線が別のルートで確保出来たとのお話により
昨日2020/07/11早朝より、インターネットがスムーズに通じるようになりました!
Wi-Fiも使用可能となりました!
昼夜を問わずの工事が行われ、多くの方々がご尽力頂いたお陰であります。
心から感謝いたしております。
今まで、当たり前のように、インターネットを使い、当たり前のようにWi-Fi経由でスマホを使い、便利な環境が・・そう当たり前のように生活致しておりました。
スマホに関しても電波が通っている事により、情報が得られているのです。
大切な方々とご連絡がスムーズに取れるのです。
電波が通じづらい状態、インターネットが使えない状態を数日・・たった数日1週間程ですが、経験して、本当は『当たり前』ではなく沢山の方々の御力で、便利な生活が出来ているのだと言う事を、痛感いたしました。
昨日の早朝、インターネットが使える事に気が付いたのですが、私の住む球磨郡あさぎり町は日付が変わる頃から、激しい雷と豪雨で、ブログを書く事が出来ないでいました。
スマホからの防災情報が立て続けに響き、Jアラートの放送が集落内に響き渡り、非常に緊張した一夜でした。
避難指示が発令されましたが、私の家は、外に出るより安全な場所でもありますので、2階の部屋に待機しておりました。
先週の豪雨以降、2階には水と非常食を常備しております。
一睡も出来ない夜を過ごして、外が落ち着いた6時半頃、体力維持の為に眠りにつき3時間程は熟睡いたしました。
ただ、球磨川、さらに川辺川の水位が上昇しておりますので、周辺の方々は、今も緊張した状態が続いていらっしゃいます。
先週の豪雨以降、何度も豪雨に見まわれておりますが、そのような中でも、多くの方々のご尽力により、生活が少しづつ変わって来ております。
私の住む、球磨郡あさぎり町岡原地区は、山間部にある浄水場が大きく破損していて、復旧のめどは全く立っていません。
防災の意識が低かった私は、ポリタンクの準備を行っていませんでした。
日頃から2リットルのペットボトルの空容器は数本準備しておりましたので、この容器に水を入れて頂いて、過ごしました。
しかし高速道路が通れるようになり、すぐに、ホームセンターに23リットルのコック付き容器が大量に入りましたので、2個購入して、水を給水して頂き、キッチンのシンク横に設置、ようやくご飯を炊いたり、野菜を洗ったりする事が出来るようになり、家族の健康を考えた食事が作れるようになりました。
空の2リットル入りのペットボトルも併用して、ポリタンクへの水の補給に使っています。
もちろん水は大切ですから、食器は紙皿を使ったり、サランラップを張って使ったりと工夫しております。
給水車は熊本市から派遣して下さっています。
旧岡原村役場まで、主人と二人で頂きに行っていたのですが、ナント!昨日7月11日から、
私の住む宮麓集落の公民館に給水車が入って下さるとの事で、近くなってとてもありがたいです!
お風呂は、多良木町の温泉を有料で利用していたのですが、7月9日より、あさぎり町上地区(旧上村)の薬師温泉ヘルシーランドが、あさぎり町内の断水地区の人達に無料開放して頂けるようになりましたので、こちらを利用させて頂くようになりました。
家から5~6キロメートル程離れているのですが、親戚の椎葉のおじ、おばを連れて
昨日もありがたい温泉に入らせて頂きました。
心から感謝いたしております。
家がある事、電気が通っている事、プロパンガスが使える事は
もっともっと大変な状況にあられる方々の事を考えると、自分達は恵まれている、と皆口々に言われています。
大変な状況にあられる方々のお気持ちを考えると、心がとても痛いです。
だから少しだけの不自由は十分に我慢出来ます。
私の周囲の方々の中に、不平不満を言われる方はどなたもいません。
何よりもありがたい事は、命がある事、生きていられていると言う事です。
何時どこで何があるか解らない自然の脅威の中、助かった命を大切に生きていきたいと思います。
大変な状況・・・
ニュースでは大きく取りあげられる事はありませんが、私の住むあさぎり町では床上浸水47戸
床下浸水64戸の家屋被害がありました。
町内には、道路が崖崩れにより通行不可能になり7月8日まで、連絡が取れず、孤立状態にあった集落もありました。
皆越集落(みなごえ集落)です。
22戸の方々が孤立状態で何日も過ごしていらっしゃいました。
私がいつもブログで書く、黒原山と白髪岳の中間あたりに位置する山深い集落です。
自衛隊の方々が昼夜を問わず、道路を復旧して下さり、ようやく束の間の晴れ間が見えた7月8日、自衛隊、海上保安庁のヘリコプターが現地に向かい、飲料水、食料、トイレットペーパーなどの物資を届けて下さいました。
同じ日、お隣の多良木町槻木集落(つきぎ)にも自衛隊、海上保安庁のヘリコプターが現地に向かって下さり、救援物資を届けて下さいました。
槻木集落は、私の家からみると黒原山の反対側に位置する山深い集落となります。
槻木集落では64世帯100人以上の方々が孤立状態でいらっしゃいました。
村の避難所で、4日間、救助を待って、集落の方々が力を合わせていらっしゃいました。
具合の悪い方、高齢の方々はヘリコプターで救助されていらっしゃいますが、皆越集落は道路が復旧しても危険な為一般車は通行不可能、槻木集落は道路の復旧のめどが立たず二つの集落は現在でも孤立状態です。
7月8日以降も、雨が小康状態となると、ヘリコプターが現地に向けて飛んでいます。
私は、家の近くの上空を飛ぶヘリコプターを見上げながら、「ありがとうございます!」と手を合わせています。
救援物資が届くまで、電話も使えず皆さんどのように生活なさっていらしたのか?とても不安でいらしたでしょう、怖かったでしょう、どうか皆様御無事でと祈りながら家の上空を飛ぶヘリコプターを見上げながら手を合わせておりました。
甚大な被害を受けた球磨村の方々。
7月10日の熊本日日新聞社様の記事によりますと
球磨村は指定避難所が被災して使用できないため、村外2か所に避難所を開設。
そのうちの一つ、多良木町の旧多良木高校には9日午後5時現在、153人が肩を寄せ合っている。
昨春閉校した多良木高校は村(球磨村)中心部から約30㌔。第一陣は6日夕、県警のバスや自家用車などで78人が到着したという。
村によると、その後も孤立集落だった神瀬(こうのせ)地区などの住民が次々と移動してきている。
避難者には、3階建ての校舎の24教室と二つある体育館を解放。
新型コロナウイルス感染症防止対策で、各教室で最大10人までとしている。
施設を管理する県の担当者は
「全教室にエアコンがあり、熱中症の危険は少ない。体育館はスポットクーラーで応急対応し、エアコンも近く設置予定」と説明した。
陸上自衛隊中部方面後方支援隊が、敷地内に野外の臨時入浴施設を設置。
この日から、午後3時~同10時の入浴が可能になった。
以上 7月10日の熊本日日新聞社様の記事より抜粋致しました。
球磨村御出身の方、ご親戚が球磨村にお住まいの方、お友達、知人の方が球磨村にお住まいの方、多くの方々が情報を知りたい!とお考えではなかろうか!?と考えて、一つの情報としてお伝えさせて頂きました。
☆昨春閉校した多良木高校
実は、私の母校です。 昨春の閉校の際は、閉校式には伺わず、早朝に正門の前に立ち
母校に向かって大きな声で「ありがとうございました!」とお礼の言葉を叫びました。
私なりの母校へのお別れの儀式でした・・・
母校、多良木高校が球磨村の方々の避難所となった・・!
記事を拝見して、とても驚いたと同時に、母校は、いつの時代も閉校しても
球磨・人吉地方の方々に寄り添っているのだ・・
そう考えて熱いものがこみ上げて参りました。
多良木は私の住むあさぎり町岡原(旧岡原村)の隣町です。
言葉には表せない恐怖を経験された球磨村の方々が心の休息をされて、前を向く力を持って頂く事を祈っています。
私は・・・5年前に球磨に戻ってきました。
再婚して主人は宮原家の養子になってくれました。
熊本地震の際、度重なる余震、さらに被害を受けた方々のお話をテレビで見て
父は・・いつも泣いていました。
身体的にも精神的にも、とても強い父が泣いていました・・
熊本地震の際、主人と私は、父の姿を見て
この地に帰って来ていて本当に良かった・・と思いました。
今回の豪雨は、地元を襲い、愛するこの地が変わり果ててしまいました・・・
熊本地震から4年。さらに歳を重ねた父は、精神的にとても不安定になっています。
私と主人は高齢の父をとても大事に思っています。
父に負担が無いように、水の配給等は、主人が一生懸命に対応してくれています。
私は、主人に心から感謝しております。主人がいてくれるから、父も私もこの事態に大きく動揺する事なく向かう事が出来ています。
心無い人達
被災した球磨・人吉地方に、「人の心を持たない」悪人たちが入ってきたようです・・・
数日前、私の町に「あさぎり町役場」の職員を名乗り、わざわざ名札までぶら下げて
「水道料金の徴収に来ました」
と男が家を訪問してきたそうです・・・
町では戸別に家まで伺って水道料金の徴収を、行う事は決してありえない!
と町民に注意を呼び掛けています。
「断水」の情報を得て、「水道料金」と言う発想に至ったのかもしれませんが・・・
心無い悪人の所業 です
人吉市内でも家屋の修理に便乗した悪質商法や空き巣狙いとみられる不審者が訪問する事案が発生していると、熊本県警が注意を呼び掛けています。
心無い悪人の所業 です
皆様方
この地方に、ご家族やご親戚、ご友人、知人の方がいらっしゃる御方は、ぜひ、この事を「心無い悪人に注意して頂きたい!」という事をお伝え頂ければと願います。
特に、ご高齢の方々の不安な気持ちに漬け込むような悪人の所業は許しがたい!
と私は思います。
参考 火事場泥棒 ウィキペディア 昔からいたのですね・・・
『江戸時代、火事場泥棒は即刻市中引き回しの上、磔(はりつけ)となりました。』
と言う記事も拝見しました。
悲しみにくれる人の心を踏みにじる心無い悪人には重い罪を科して頂きたいです
激しい言葉が出てしまう私も、まだまだ、心が不安定なのかもしれません・・・
前を向きながらも、梅雨が明けるまで、油断は出来ない状況です。
不安な気持ちは、たまにブログで書かせて頂く事もあるかもしれませんが
強い人でありたいと思いながら、自分の弱さも、よく解ってはいるのです・・・・
お詫び
皆様、私は今、歴史の探求を行う心のゆとりが全くありません・・・
心の痛みが、歴史を探求する心を押しつぶしています・・・
このブログで書いたような今の生活を行う事、生きていく事、命を守る事、家族を守る事で
精一杯です。
ですから・・・今までの調査の続きはしばらくお休みさせて頂きます。
歴史の事ではなく、報道はされない被災地の自分が経験した事、知った事等をこのような形でしばらくは書いていければ・・と考えています。
私の歴史探求を応援して下さる皆様方には本当に申し訳ありませんが、
しばらく時間をください
息子の気持ち
親ばかですが・・・私とは違って口下手だけれども、とても優しい心を持った息子です。
ただ、普段から二日に一度は電話をかけてくる娘とは違って、
息子は自分から連絡をとってきたりは・・全くありません。
ラインを送っても、どうかすると既読にもならない息子です。
そんな息子が・・
先週、豪雨の真っただ中にニュースを見て、早朝に電話をかけてきました。
「お袋大丈夫か!!? すぐに逃げなくて良いのか!! 」
「命を守る事だけを考えて行動してね!」
私は、凄く嬉しかったです。
息子には「外に出るよりここが安全と考えているから大丈夫よ」
「情報を見ながら、事前に安全な行動を心がけるからね!」
と答えました。
当日は、仕事の途中、仕事終わりと何度も電話をかけてきてくれました。
断水しているけれど、大丈夫よ・・と伝えておきました。
数日後の一昨日・・
夜中1時過ぎに突然息子からラインが入りました。
通信状態が悪い中で、ようやく受信出来た画面には、YouTubeに公開されている動画3曲が添付されていました。
通信状態が悪い中で途切れ途切れで流れる「その曲」に、私は真夜中なのに・・・
号泣してしまいました。
昨日7月11日、インターネット回線が繋がり、Wi-Fiも繋がり、あらためて息子が送ってきてくれた曲を聴きました。
息子が・・言葉の代わりに、自分の気持ちが伝わる曲を送ってきてくれた事にあらためて感謝し感激して、あらためて号泣してしまいました・・・
(この事をブログに書く事は息子には内緒です・・きっと叱られてしまいます・・)
でも、とても嬉しかったので、 親ばかですみません。
心が張り詰めていたので、曲を聴いて、
張り詰めていた気持ちがぱ~っと解放されたような楽な・・温かい気持ちに変わりました
息子が送ってきてくれた曲の中の2曲をご紹介させて頂きます。
私とおなじように、心が苦しい、心が痛い、そういう気持ちでいらっしゃる御方にもぜひ聞いて頂ければと思います。
くるり Remember me
♪遠く 離れた場所であっても ほら 近くにいるような景色
どうか 元気でいてくれよ・・・・
くるり 奇跡
♪いつまでもそのままで 泣いたり笑ったり出来るように
曇りがちな その空を 一面晴れ間に 出来るように
神様 ほんのすこしだけ 絵に描いたような幸せを
分けてもらうその日まで どうか涙を溜めておいて
言葉は転がり続け 思いの丈を通り越し
上手く伝わるどころか 掛け違いのボタン 困ったな
あぁ いつもの君は 振り向いて笑う
ため息交じりの僕を許してね
退屈な毎日も当然のように過ぎてゆく
気づかないような隙間に咲いた花 来年も会いましょう
さぁ ここへおいでよ 何もないけれど
どこへでも行けるよ 少し身悶えるくらい・・・・ ♪
最後までご覧頂きましてありがとうございました。
全国、何処で何が起こるか何処で豪雨が発生するのか、予測できない今
皆様方、どうかご無事にお過ごしになられて下さいと 祈っております。
十分にお気を付けになられて下さい。
愛する球磨の地より ひろっぷ でした
次回『負けたくない! 知恵と工夫で井戸水が配水されました!』 に続きます。