前回のブログ『今後の為の記録 台風接近前と通過後・・濁流に注ぐ清らかな流れ』より

続きます。

https://ameblo.jp/hirom0211/entry-12623696340.html

 

私が球磨から発信するこのブログを御覧頂き ありがとうございます。
お読み下さった皆様方には心から感謝いたしております。

 

度重なる自然災害、さらに新型コロナウィルスの感染により、
お亡くなりになられたすべての方々のご冥福を心からお祈り申し上げます
感染した方々の早期回復を心からお祈り申し上げます

 

前回のブログを書かせて頂いた後、

台風10号の通過によって、あらためて感じた事がありました。

幸いな事に台風10号は猛烈な勢力に発達する事はなく、九州西方沖を通過しました。

 

れきたんくん様から頂いたコメントへの返信でも書かせて頂いたのですが

台風10号は・・・奇跡の台風だったようですね!
奇跡を起こしていたのは 台風9号!
 

海水温が高い地域を台風9号が通過した際に、海の海水をかき混ぜた事により
水温が低い海底の海水が上に上がって、水温が下がっていたそうです!
猛烈な台風に10号が発達しなかった理由は台風9号が先に通過していたから!


私達人間は・・自然の脅威にさらされながら、知らず知らずのうちに
自然に守られている・・

と言う事を知りました。

 

実は、とても不思議な事があったのです・・・・

9月5日・・

台風に備えて家の周囲をあらためて確認していた際に、家の周りにお供えしている「榊」が気になりました。

以前から、過去ブログで何度も書いていますように、家の宮原家の習わしとして私の家の周りには、榊を11か所お供えしています。(正確には榊を立てています)

※門の横  ※氏神様(東北 鬼門)  ※家の敷地の南西の角(裏鬼門)

※湯川の水の神様(2か所)  ※溝の水の神様(2か所) 

※湯川にお移り頂いた御方々の御魂に4か所 ※こちらの御方々については何れお話させて頂く事があるかもしれません・・・

 

全ての榊は「野花立て」に入れて地面に刺しています。

野花立て 画像はお借り致しました

野花立て (小)|the-fuji

 

台風の暴風で、榊を刺した 野花立てが飛ばないかな・・・・🙄・・・😥

と心配したのですが・・・ただ、うちの習わしから言うと、

門の榊は神々様をお迎えする為

氏神様(鬼門にお祀り)は我家をお守り下さっていらっしゃる

裏鬼門(南西)の榊は邪気・厄を払う為

・・・・どうしよう

と考えた結果、お守り頂く事に心から感謝して、榊はそのまま立てておく事にしました。

(この考えが防災の観点から言うと正解だったのかは・・解りませんが・・)

 

前回のブログをご覧頂いた御方々はお解りになられると思いますが

台風10号が通過する前後、家の周囲は豪雨であり暴風でした。

翌朝、吹き返しの風がおさまってきた所で、外に出た際、一番最初に各所に立ててある榊を見に行ったのですが・・・

11か所・・・飛んでいく処か! 一か所も倒れていなかったのです!

ただ土に刺しただけの榊が 一か所も倒れていなかったのです!

 

前回のブログでご紹介した「あの暴風」の中で です!

榊はしっかりと立ったまま・・・でした

 

凄い・・・・

ビックリしました・・・

 

お守り頂いた・・・と 心から感謝致しました

 

もちろん湯川(ゆがわ・ゆご)の榊も一本も倒れていませんでした。

 

湯川(ゆがわ・ゆご)・・・

前々回のブログ『(再投稿)球磨(久米)の古代久米人が継承した治山治水

https://ameblo.jp/hirom0211/entry-12621016123.html

 

 

このブログを書いて、私は、自分が住んでいる「地」が古代において如何なる土地であったのか・・・はっきりと見えて参りました。

※未だ御覧頂いていらっしゃらない御方はぜひご覧頂ければと願います。

 

私は黒原山(くろばる山)の麓に住んでいます。

 

※私のスマホでの撮影が下手くそで、アップにして撮影したのですが、実際に窓から見える

景色はこのように、黒原山は目の前に聳えています

 

私の部屋から見える黒原山

 

黒原山

久米郷とは・・・昭和54年編纂の「多良木町史」によると

『久米は黒原山の裾野一帯である』

と記されています。

 

太田亮博士は・・・この地を 大書「姓氏家系大辞典」にて

肥後の久米部
和名妙、當國球磨郡に久米郷あり。
久米部の発祥地か。

とお書きになられていらっしゃいます。

 

さらに

黒原山は

日本国内におけるわずか4か所の水銀鉱床群の一つ

九州南部水銀鉱床群の一部 であり

「黒原山」からは水銀(丹)、「辰砂」も採掘されます。

黒原山には肥後宮原銀山もありました。

 

この黒原山の麓である私の家の前に湧き出す「湯川」

湯川周辺は・・・倭人伝に記された古代の倭人の地の原風景が今でも残っている事に

気が付きました・・・

 

気が付いた きっかけは・・

私の家の前、湯川や井口川沿いに生えている「」から始まります。

 

①大葉に似た「草」が群生・・

以前、主人が、

家の周りの道沿いには大葉の群生地がある!😀」

と喜んだ事があります。

大葉・・? 家庭菜園じゃなくて・・?

妙だな・・? と思った私は、主人と一緒に外に出て、その「大葉」を見に行くと、

それは形は似ているけれど大葉じゃない(ー_ー)!! 植物でした。

「何だ!これのこと😁 これ似ているけど大葉じゃないよ!!🤣」

と、私が言うと 主人は少しプンプンして

じゃあ これはナント言う植物???」 と聞くので・・・

私も (?_?)・(?_?) 何だろう・・・??  と答えると・・・

「ここで育っているのに 知らないの!?」 と 主人・・・

「その草」は子供の頃から道端に沢山生えていたから「何の植物か!」までは興味を持つ事さえ今までありませんでした🙄

 

 

その「大葉」みたいな「草?」がこちらです・・・ こんな感じで100m程群生しています。

一番きれい?な「草」を撮りました😊

※この写真は先にご紹介した黒原山の写真を撮った日(8月29日)に散歩しながら撮りました

 

写真を撮って・・・やはり「この草」が気になって・・・調べたのですが

「この草」の正式な名称は・・・

紵麻  カラムシ

でした・・・

 

カラムシ ウィキペディアより

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%A9%E3%83%A0%E3%82%B7

 

画像 ウィキペディアより

 

カラムシ(苧、枲、学名:Boehmeria nivea var. nipononivea)は、イラクサ目イラクサ科の多年生植物。南アジアから日本を含む東アジア地域まで広く分布し、古くから植物繊維をとるために栽培されたため、文献上の別名が多く、紵(お)、苧麻(ちょま)、青苧(あおそ)、山紵(やまお)、真麻(まお)、苧麻(まお)。など。

 

利用
今でこそしつこい雑草として嫌われる場合もあるが、茎の皮から採れる靭皮繊維は麻などと同じく非常に丈夫である。

績(う)んで取り出した繊維を、紡いで糸とするほかに、糾綯(あざな)って紐や縄にし、また荒く組んで網や漁網に用い、経(たていと)と緯(よこいと)を機(お)って布にすれば衣類や紙としても幅広く利用できる。分布域では自生種のほかに、6000年前からヒトの手により栽培されてきた。

 

日本における利用
歴史
日本において現在自生しているカラムシは、
有史以前から繊維用に栽培されてきたものが

野生化した史前帰化植物であった可能性が指摘されている。

古代日本では朝廷や豪族が部民(専門の職業集団)として糸を作るための麻績部(おみべ)、布を織るための機織部(はとりべ、はとり、服部)を置いていたことが見え、

『日本書紀』持統天皇7年(693年)条によれば、天皇が詔を発して役人が民に栽培を奨励すべき草木の一つとして「紵(カラムシ)」が挙げられている。

以上 ウィキペディアより転記致しました。

 

ただの・・「草」じゃなかったんだ \(◎o◎)/!

凄く面白くなって・・・もっと調べました(p_-)

すると・・家の周りに生えている「草(失礼な!)」と同じ葉の画像を見つけました😀

 

花の縁様 サイト

5)アサとカラムシ=麻と苧/紵/紵麻  より

http://kakashi.sakura.ne.jp/100hana2014pdf/040305asa-karamushi.pdf

 

勝手ながら 転記させて頂きました<m(__)m>

アサはクワ科アサ属の一年草で普通は大麻のことをいう。原産地は中央アジアで
人類が繊維をとるために真っ先に栽培した植物の一つである。茎は四角柱で高さ 3m
に達し、上部で枝分かれして葉は掌状に深裂し縁には鋸歯がある。雌雄異株で夏、枝先
に円錐花序を出して、淡黄緑色の雄花をたくさん咲かせる。雌花は苞葉に包まれて葉腋
に集まり、短い緑色の穂状になる。
この仲間には大麻の他に亜麻、紵麻、黄麻など
の強靱な繊維を持つ植物が多く
、いずれも茎の繊維は糸や布地に加工されてきた。
和名の由来は
アオソ(青麻)の転じたものと言われている。

 

※家の周囲に生えている凄く似た紵麻の写真は サイト様のページ7ページに載せていらっしゃいます。

 

なるほど🙄

球磨は求麻とも言われて、

古代から麻や楮の生産地でもありました。

球磨川は別名「木綿葉川(ゆうば川)」

 

木綿(ゆうば)とは 木綿(もめん)の事ではありません(ー_ー)!!

木綿 (ゆう) ウィキペディアより

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%A8%E7%B6%BF_(%E3%82%86%E3%81%86)#:~:text=%E6%9C%A8%E7%B6%BF%EF%BC%88%E3%82%86%E3%81%86%EF%BC%89%E3%81%A8%E3%81%AF%E3%80%81,%E6%8E%9B%E3%81%91%E3%81%AB%E3%81%97%E3%81%A6%E7%94%A8%E3%81%84%E3%82%89%E3%82%8C%E3%82%8B%E3%80%82

 

木綿(ゆう)とは、楮(こうぞ)のことであり、それを原料とした布のことである。

楮の木の皮を剥いで蒸した後に、水にさらして白色にした繊維である。

伊勢神宮の神事など麻を原料として単に木綿(ゆう)と記される。

神宮式年遷宮や他の神社でも遷座では頭に巻いたり、たすき掛けにして用いられる。

真麻木綿(まそゆう)とも。

 

万葉集の代表的歌人である柿本人麻呂(かきのもとのひとまろ)の歌
「肥人 額髪結在 染木綿 染心 我忘哉」。
 

漢文の読み方。
肥人(こまひと)の額髪(ぬかがみ)結へる染(しめ)木綿(ゆふ)の染(し)みにし心我れ忘れめや。 
意味は、
球磨人(くまひと)が草木染めの麻で髪を結われていた珍しい姿が心に染みついて離れないように、あなたのことがどうしても忘れられない。

この歌では、「木綿 ゆふ」は麻のことであると解釈されている。

なるほど🙄・・・

 

 

 

中国のサイト様にも 画像がありました。

https://kmweb.coa.gov.tw/subject/subject.php?id=39515

 

 

うわぁぁぁぁぁぁぁ

家の周辺、そこら中に群生している 「」 は、古代からとても重要な草? じゃない(ー_ー)!!

紵麻  カラムシ

と言う「植物」だったんだ・・・と 理解した時に気が付いたのです・・

 

紵麻  カラムシ・・・ 紵麻・・? どこかで見たぞ・・・(?_?)・・(p_-)

あっ!! そうでした!!

魏志倭人伝!!

 

②黒原山の麓は、湯川の周囲は、・・・・

  倭人伝の原風景のよう・・

魏志倭人伝 ウィキペディアより

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AD%8F%E5%BF%97%E5%80%AD%E4%BA%BA%E4%BC%9D

 

原文 抜粋致します

 

男子無大小、皆黥面文身

男子は大小の区別なく、みな顔や体に入墨する。

 

自古以來、其使詣中國、皆自稱大夫。

むかしからこのかた、その使者が中国にゆくと、みなみずから大夫(卿の下、士の上の位)と称する。

 

夏后少康之子、封於會稽、斷髪文身、以避蛟龍之害。今倭水人好沈没捕魚蛤、文身亦以厭大魚水禽、後稍以爲飾。

夏后少康(夏第六代中興の主)の子が、會稽(浙江紹興)に封ぜられ、髪を断ちからだに入墨して蛟竜(みずちとたつ)の害を避ける。いま倭の水人は、好んでもぐって魚やはまぐりを捕らえ、体に入墨して大魚や水鳥の危害をはらう。のちに入墨は飾りとなる。

 

諸國文身各異、或左或右、或大或小、尊卑有差。

諸国の入墨はおのおの異なり、あるいは左に、あるいは右に、あるいは大きく、あるいは小さく、身分の上下によって差がある。

 

計其道里、當在會稽東冶之東。

その道里を計ってみると、ちょうど會稽の東冶の東にあたる。

 

其風俗不淫。男子皆露紒、以木緜頭。其衣橫幅、但結束相連、略無縫。婦人被髪屈紒、作衣如單被、穿其中央、貫頭衣之。

その風俗は淫らではない。男子は皆髷を露わにし、木綿 (ゆう)の布を頭に巻いている。

その衣服は幅広い布を結び合わせているだけであり、ほとんど縫われていない。

婦人は髪に被り物をし後ろで束ねており、衣服は単衣(一重)のように作られ、中央に孔をあけ、貫頭衣である。

 

種禾稻・紵麻、蠶桑緝績、出細紵・縑・緜。

稲、紵麻(からむし)を植えている。

桑と蚕を育てており、糸を紡いで上質の絹織物を作っている。

 

兵用矛・楯・木弓。木弓短下長上、竹箭或鐵鏃或骨鏃。所有無與儋耳・朱崖同

兵器は矛・盾・木弓を用いる。木弓は下が短く、上が長くなっている。矢は竹であり、矢先には鉄や骨の鏃(やじり)が付いている。

 

倭地温暖、冬夏食生菜、皆徒跣。

土地は温暖で、冬夏も生野菜を食べている。みな、裸足である。

 

有屋室、父母兄弟臥息異處。以朱丹塗其身體、如中國用粉也。食飲用籩豆、手食。

家屋があり、寝床は父母兄弟は別である。身体に朱丹を塗っており、あたかも中国で用いる白粉のようである。飲食は高坏(たかつき)を用いて、手づかみで食べる。

 

出真珠・青玉。

其山有丹

其木有柟・杼・櫲樟・楺・櫪・投橿・烏號・楓香、其竹篠・簳・桃支。有薑・橘・椒・蘘荷、

不知以爲滋味。有獼猴・黒雉。

真珠と青玉が産出する。

倭の山には丹があり、倭の木には柟(だん、おそらくはタブノキ)、杼(ちょ、ドングリの木またはトチ)、櫲樟(よしょう、クスノキ)・楺(じゅう、ボケあるいはクサボケ)・櫪(れき、クヌギ)・投橿(とうきょう、カシ)・烏号(うごう、クワ)・楓香(ふうこう、カエデ)。は篠(じょう)・簳(かん)・桃支(とうし)がある。薑(きょう、ショウガ)・橘(きつ、タチバナ)・椒(しょう、サンショウ)蘘荷(じょうか、ミョウガ)があるが、美味しいのを知らない。また、猿、雉(きじ)もいる。

以上 ウィキペディアより抜粋致しました。

 

※1種禾稻・紵麻

稲、紵麻(からむし)を植えている。

 

ただの「草」じゃなかった ・・・ 紵麻(からむし)

 

さらに・・・・

※2 其山有丹  其の山には丹があり

水銀(丹) 辰砂が採れる 黒原山

 

 

※3 椒(しょう、サンショウ)

湯川(ゆがわ・ゆご)に自生する山椒

 

※4 蘘荷(じょうか、ミョウガ)

湯川に自生する ミョウガ 

(普段は沢山一面に生えているのですが、葉を台風前に椎葉のおじが刈り取りました😅)

 

 

※5 倭の木には柟(だん)・・・

湯川に繋がる栴檀(センダン)の木と竹林

 

※6 黒雉

家の庭には雉さんはいつも遊びに来ます😀

球磨で雉は珍しくなく、そこら中にいるのです・・・・・(^'^)・・(?_?)

球磨の郷土玩具 雉馬 家にもあります😊

 

 

何故か?背中に 「大」の文字が・・・・??

 

 

黒原山の麓は 古代の倭人が住まれていた土地の原風景のような気がしています・・・

湯川(ゆがわ・ゆご) は 古代から湧き出ている湧水からの小川です。

 

大きな木の根元から水が湧き出しています。

 

凄く大きな木な古い木なのですが、道の上に大きく広がっていても・・どなたも切ると罰が当たると言われて、電気会社の方ですら、「ここは、このままで・・」とおっしゃるくらいです・・・

 

 

 

私も切っては絶対にダメ!だと思います・・・

 

 

木の根元から湧き出る水

 

 

農業用用水の水(雨により白く濁っている)との合流で水が2色に見えます。

 

前回のブログでご紹介したように、どんな豪雨でも濁らない湯川の水は

古代黒原山の麓にいらした、元祖的久米族の方々にとって、生活には欠かせない命の水だったのだ

と・・私は推測しています・・・

 

※1 種禾稻・紵麻

※2 其山有丹  其の山には丹があり

※3 椒(しょう、サンショウ)

※4 蘘荷(じょうか、ミョウガ)

※5 倭の木には柟(だん)・・・

※6 黒雉

 

家の周りを見渡しただけで・・・簡単に・・これだけは直ぐに揃ってしまいました・・・

これは・・普通の事では無いような気がします・・・

何故ならば・・

※2 其山有丹  倭の山には丹があり  ・・・は

何処にでも有りうる事では無い からです・・・

 

さらに・・・ここまで私が書いてきた事を「じっくり」とお読みになられた御方はすでに

お気づきのはずです・・・

 

※7 其風俗不淫。男子皆露紒、以木緜頭。其衣橫幅、

    但結束相連、略無縫。

その風俗は淫らではない。男子は皆髷を露わにし、木綿 (ゆう)の布を頭に巻いている。

 

球磨川は別名「木綿葉川(ゆうば川)」

理由は・・・

球磨は求麻とも言われて、古代から麻や楮の生産地でもあったから・・

 

木綿 (ゆう)の布・・・木綿 (ゆう)とは

伊勢神宮の神事など麻を原料として単に木綿(ゆう)と記される。

神宮式年遷宮や他の神社でも遷座では頭に巻いたり、たすき掛けにして用いられる。

真麻木綿(まそゆう)とも。

 

※8 婦人被髪屈紒 (婦人は髪に被り物をし後ろで束ねており)

万葉集の代表的歌人である柿本人麻呂(かきのもとのひとまろ)の歌
「肥人 額髪結在 染木綿 染心 我忘哉」。
 

漢文の読み方。
肥人(こまひと)の額髪(ぬかがみ)結へる染(しめ)木綿(ゆふ)の染(し)みにし心我れ忘れめや。 
意味は、
球磨人(くまひと)が草木染めの麻で髪を結われていた珍しい姿が心に染みついて離れないように、あなたのことがどうしても忘れられない。この歌では、「木綿 ゆふ」は麻のことであると解釈されている。

 

さらに、この地は古代久米族の発祥の地!

※9 男子無大小、皆黥面文身

男子は大小の区別なく、みな顔や体に入墨する。

大久米命様は・・・目の周りに刺目(刺青)を入れていたと

わざわざ古事記では記されています!

 

※10 以朱丹塗其身體、如中國用粉也。

身体に朱丹を塗っており、あたかも中国で用いる白粉のようである。

黒原山は・・球磨郡は・・・

日本国内におけるわずか4か所の水銀鉱床群の一つ

九州南部水銀鉱床群の一部

黒原山からは 丹が採掘されます・・・

朱丹 = 辰砂

 

何度も書きますが

家の周りを見渡しただけで・・・球磨郡の古代と照らし合わせただけで・・

簡単に・・これだけは直ぐに揃ってしまいました・・・

これは・・普通の事では無いような気がします・・・

 

松野連系図

球磨縣の熊津彦様の御子息は・・ 難升米 様である・・と記されています!

ここは・・おそらく・・・狗奴国では無い・・・・

私はそう考えました

 

きっと・・古事記や日本書紀の編纂者の方々は

真実を御存じであったはずです・・・

その真実を現代においても御存じの方々はおいでになられるはずだと・・・

私は考えます・・

 

何故ならば・・・球磨の文字

その意味が、何かを証明しているような気がするからです。

球磨の「」とは

球とは美玉 すなわち佩玉 の事です

中国の古書『礼記・玉藻』は、

「古の君子は必ず佩玉を帯び、理由なく玉を身から離すことはなかった(古之君子必佩玉,君子无故,玉不离身)」と記述している。

・・・・

 

次回、詳しく書きますが、早く早く・・と ご興味のおありになられる御方は😊

よろしければ以下のサイト様を御覧ください。

 

【漢字トリビア】「玉」の成り立ち物語

https://www.excite.co.jp/news/article/TokyoFm_aUfmKguLVY/

 

漢字/漢和 語源辞典

https://okjiten.jp/kanji473.html

 

徳に喩えられた佩玉

https://www.epochtimes.jp/jp/2011/04/html/d30157.html#:~:text=%E3%80%90%E5%A4%A7%E7%B4%80%E5%85%83%E6%97%A5%E6%9C%AC4%E6%9C%88,%E9%81%A5%E3%81%8B%E3%81%AB%E8%B6%85%E3%81%88%E3%81%A6%E3%81%84%E3%81%9F%E3%80%82

 

頭の中であの曲がリフレインしています・・・

 

 

 

 

今回は治山治水に直接繋がるお話ではありませんでしたが・・・

しかし・・ここに住んでいた方々こそが、古代の治山治水に直接関わっていらっしゃった方々であった事は、ブログ『(再投稿)球磨(久米)の古代久米人が継承した治山治水』で書かせて頂きました。

https://ameblo.jp/hirom0211/entry-12621016123.html

 

最後までご覧いただきまして ありがとうございました。

台風のシーズンはまだまだ続きます。

局地的な豪雨も心配されます。

皆様方、どうか十分にお気を付けてお過ごし下さい。

 

愛する球磨の地より ひろっぷでした

 

次回『球磨と彦の漢字の成り立ちと熊津彦、難升米様親子』 に続きます。

https://ameblo.jp/hirom0211/entry-12626067814.html