前回のブログ『新年のご挨拶と 球磨弁ひろっぷと共に徒然なるままに・・・』より続きます

 

私が球磨から発信するこのブログを御覧頂き ありがとうございます。
お読み下さった皆様方には心から感謝いたしております。
 
度重なる自然災害、さらに新型コロナウィルスの感染により、
愛するご家族、親戚やご友人の方々に看取られる事なく、一人で旅立つ事をよぎなくされた
御方々の御冥福を心よりお祈り申し上げます。

ご家族の代わりに、献身的な看護、そして治療に従事なさっていらっしゃる医療現場の方々の御苦労に心から感謝致しております。 

感染なさった方々の早期回復をお祈りいたします。
この難局を世界中がいち早く乗り切れる日が来ることを心よりお祈りいたします。

 

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ひろっぷあるある?で申し訳ございませんが・・・

今回のブログは前回の補足と、正月3日に気が付いた事を書かせて頂こうと思いました。

その理由は、去年のお正月に経験した事を、いち早く皆様方にお話していなかった事がずっと心の中にあって、反省しているからです。

 

 

今年のお正月に気が付いた事は、会った事がない二人の曾祖父からの私へのメッセージのように感じました。

「この事」を書いて、今年の調査、勉強を始めたい!と勝手ながら考えました。

前々回のブログの続きは、次回以降、自分自身の気持ちを揺るがす事なく書かせて頂きます

 

今回のタイトルは『神楽歌と時空を超えた二人の曾祖父からのメッセージ』です。

皆様、どうかお付き合い下さい<m(__)m>

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1.神楽歌で気が付いた事

※前回の補足

 

前回のブログ最後に球磨神楽の動画をご紹介致しました。

国指定重要無形民俗文化財 球磨神楽一番 「三番(さんばん)」です。

前回、書かせて頂きましたが、文化遺産オンライン様サイト 球磨神楽(くまかぐら)の記述にもありますように

球磨神楽の特徴は

獅子以外はいずれも直面【ひためん】であり

神社の拝殿が舞台となり、拝殿の周囲や、天井から拝殿の四隅と四囲に注連縄が張られ、「三笠」を舞う場合は、拝殿の天井から二つの笠と楕円形の天蓋に似たものが吊される。舞の後段で、これが破れて中から紙吹雪が散る。
 楽器は太鼓(一)笛(一)(「笛揃」の曲で笛(二))及び楽板と称する板(一)で、各々本殿に向い拝殿の入口側に位置する。
 これは球磨郡にのみ伝承される神楽であり、採物舞で古風である。また、神楽歌には古い歌が多い。他に同類を見ない独特の神楽である・・・

 

※他に同類を見ない独特の神楽

※神楽歌には古い歌が多い

 

神楽歌には古い歌が多い・・・・

前回、ご紹介させて頂いた球磨神楽一番 「三番(さんばん)」の神楽歌・・・

皆様方、お気づきになられましたでしょうか?

 

私、凄く気になってパソコンにイヤホンを付けて、じっくりと聞いていたのです。

だからこそ、ぜひ、ご紹介させて頂きたい!と思いました😊

もし、お気づきでいらっしゃらいない御方がいらっしゃいましたら、

ぜひ、もう一度

音量を上げて、神楽歌をお聞き頂ければと思います。

 

5分2秒の動画ですが、3分24秒くらいで、

特に、聞いて頂きたい!と強く願う「お言葉」があります。

 

 

 

そもそも

天津神 国津やしろを 祝いてぞ

 

豊葦原の国は おさまる

 

球磨神楽一番 「三番(さんばん)」神楽歌 より

 

 

 

今の日本、疫病により混乱した 国難の中にある日本

私は、球磨神楽一番 「三番(さんばん)」の神楽歌 心にぐっと響きました

崇高な 古(いにしえ)の方々のお言葉を 受け止めさせて頂いた 

そういう 気持ちになりました

毅然とした心でありたい 強く 強く 思いました・・・

 

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2.時空を超えた

     二人の曾祖父からのメッセージ

 

今年も、主人は仕事上、「正月休み」はありませんでした。

ただ、3日は通常の「休み」が取れましたので

地元の氏神様「岡原霧島神社」様に初詣をさせて頂きました。

過去ブログでも何度もご紹介させて頂いていますが、

岡原霧島神社様は、旧宮原村、旧岡本村が合併し「岡原村」となった後、各村に御鎮座であった中嶋大権現(中嶋霧島神社)、切畑大明神(切畑神社)、稲積妙見(稲積神社)、大炊神権現(大炊霧島神社) 他複数の神社様を合祀、遷座となられた神社様です。

 

創建当時の写真

 

 

御祭神は

天津彦火邇邇芸命(あまつひこほのににぎ)
天津彦火々手見命(あまつひこほほでみ)
火闌降命(ほすせりのみこと)
火照命(ほでりのみこと)
吾田鹿葦津姫命(あだかあつひめ)※木花開耶姫
伊弉美命(いざなみ)
須佐能男命(すさのお)
大歳神(おおとしかみ)天忍穂耳命
市杵島姫命(いちきしまひめ)
豊玉姫命(とよたまひめ)
罔象女神(みずはのめのかみ)
天照大御神(あまてらすおおみかみ)
菅原道真公(すがわらみちざね)
天御中主神(あめのみなかぬしのかみ)
級戸神(しなどのかみ)
健磐龍命(たけいわたつ)
阿蘇津比咩(あそつひめ)
国造速瓶玉神(こくぞうはえみかたまのかみ)
大地主神(おおとこぬしのかみ)
応神天皇(おうじんてんのう)
建御名方神(たけみなかたのかみ)

 

私が過去、頂いていた資料には
『上記の他、葉山神、若山大神、豊嶽神の23柱を御祭神としています さらに

「飛び地境内社として熊野地区の熊野座神社、伊勢元地区の皇太神宮、檜山地区の天満宮、長岡地区の菅原神社、岡麓地区の諏訪神社があります」 』

と記されていました。

 

主祭神 は 現在は天津彦火邇邇芸命 様となられていらっしゃいますが・・・

何故か?昭和16年発行の球磨郡誌には

主祭神 は 天津彦火々手見命 様 と記されております・・・

 

ここで・・<m(__)m> 余談なのですが

過去ブログでは、合祀となられた神社様の中で、中嶋大権現様、切畑大明神様、稲積妙見様の各地に御鎮座であられた当時を描かれた古い絵をご紹介させて頂いておりましたが・・

他の神社様のお姿も見たかったなぁ~ 他には絵はないのかなぁ~と思っていたのですが・・

そのとても貴重な絵(原画)

実は、私が頂いておりました!!

\(◎o◎)/! \(◎o◎)/!  \(゜ロ\)(/ロ゜)/

 

 

球磨郡久米郷の伝承 昭和18年 何を知っていたのか・・で書きましたように

 

 

最近、父が私に書斎を与えてくれましたので、求麻郷土研究会を高齢の為に退会なさった方から購入した相良藩関係の多くの書籍や、頂いた資料、その他、自分で購入した書籍が貯まりにたまっていたので、ようやく整理する事が出来るようになりました。

頂いていた資料の大半は複数の段ボールの中に入っていて、必要な物だけを出して読むの繰り返しだったのですが、やっと本棚に収納する事が出来ました。

 

でっ・・・その頂いていた資料の中に 

綴られた古い絵が何枚も丁寧に閉じられた「物」がありまして

中を開けて見たら・・

ナント! 岡原霧島神社様に合祀となられた 数多くの神社様の御鎮座地での「お姿」が描かれた「原画」だったのです!

 

ぎゃ~!! 原画は 私が持っていたの~!!\(゜ロ\)(/ロ゜)/

と、この時ばかりは もう 驚いてと言うか・・ビックリし過ぎて大きな声で叫んでしまいました。

騒動に気が付いた父が 何だ!? と部屋に来たので、絵を見せながら、事の次第を話すと

「この大バカ者が! 罰当たりな事をして! お前は何をしているのか!!」

とめちゃくちゃ叱られまして、すぐに、多くの神社様の絵は、本棚の一番高い所に置かせて頂きました😥

 

こういう恥ずかしい話、不甲斐ない自分の事も、ちゃんとブログに書いて、自分自身の反省とし、身を正しながら、ご先祖様、古代の球磨を調べて行きたいと思っています。

 

岡原霧島神社様に合祀となられた 数多くの神社様の御鎮座地での「お姿」が

描かれた「原画」は写真を撮って今後、ご紹介させて頂こう!と思います。😊

 

原画を拝見して、驚いた事は、旧宮原村、旧岡本村に御鎮座であられた神社様のお姿は

どの神社様もそれはとても立派な造りで、どうしてこの地には、このような数多くの神社様が御鎮座であられたのか? 疑問に感じる程でした。

 

ただ・・・最近、ある御方のブログを拝見して、

私の住む旧久米郷宮原村の旧名、地名の由来が「后宮の原」であった事を知りました。その方に、転記のご確認をさせて頂いた上で、後日詳しく書かせて頂きますが、

安倍姓「皆越氏・槻木氏」に関わるお話ではないか?と考えている事があり、詳しく調べた上で、ご紹介させて頂きます<m(__)m>

「后宮の原」・・・?

余談でした<m(__)m>

 

岡原霧島神社様のお写真は過去ブログ『お正月早々「宝珠」他、色々発見させて頂きました

でもご紹介させて頂いております😊

 

 

 

 

時空を超えた二人の曾祖父からのメッセージ 本題に入ります<m(__)m>

 

岡原霧島神社様 階段を登ると拝殿となります

 

拝殿でお参りをさせて頂き

 

家に帰ろうとした時に、ふと気が付きました。

 

 

幸野溝(世界灌漑遺産)を渡った先の鳥居のたもとに、石碑が立っていました。

今まで、あまり気にも留めていなかった石碑でしたが、何か凄く気になって、

何の石碑だろう?? と 初めてじっくりと見たのです・・・

 

 

 

 

大正11年旱魃 雨乞満願架橋記念

とありました。

 

お名前が刻まれているなぁ・・(p_-)と思いながら じ~っと見ていると・・・

あっ!! ・・・・ 気が付きました!

 

 


宮原留蔵 !

私の曾じいちゃん(曾祖父)だ!

 

さらに・・・

平川堅蔵 !

祖母方の 曾じいちゃん(曾祖父)だ!

 

\(◎o◎)/! 初めて気が付きました

私の二人の曾祖父の名前が刻まれています。

 

 

大正11年旱魃 雨乞満願架橋記念

架橋と 言う事は 幸野溝(世界灌漑遺産)にかかる この橋の事です!

 

 

 

私の曾祖父 宮原留蔵 については

ブログ『第一回国勢調査から・・うちの宮原家の事がまた少しだけ解りました』で

新たに曾祖父について知った事を書かせて頂いておりました。

 

 

 

祖母方の実家「平川家」の曾祖父「平川堅蔵」

平川の曾祖父は、昭和10年代から旧岡原村の助役(現代の副村長)を務めていた人です。

 

私の祖父母と伯父(赤ちゃん)と共に中国ハルピンで撮影 写真右端が 

平川の曾祖父です

平川曾祖父編集

 

 

子供の頃から、遊び場でもあった岡原霧島神社様

幸野溝に架かる橋は、何度渡った事だろう・・・数え切れない・・・

でも、今まで、全く気が付いていなかった 石碑・・・

 

大正11年旱魃 雨乞満願架橋記念

 

旱魃って何だ?? とここから勉強しなければならない 不甲斐ない私ですが😥

とても気になって調べました。

 

旱魃 ウィキペディアより

 

旱魃/干魃(かんばつ)とは、雨が降らないなどの原因である地域に起こる長期間の水不足の状態である。旱は「ひでり」、魃は「ひでりの神」の意味である。

 

旱魃の影響
旱魃によってその地域の環境、経済、社会に様々な影響が発生する。一般的には次のような事象が起こる。

自然火災(山火事など)
農作物・狩猟・果物などの収穫減少
河川の水量の減少が漁業に悪影響を及ぼすこともある
害虫問題の増加
貧困、生活苦による自殺
避難民、移住者の発生
社会不安
戦争
飢饉(飢餓)
疫病
砂漠化

 

以上 ウィキペディアより抜粋致しました。

 

 

 

あっ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ウィキペディアの記述を読んで、言葉が出ない程・・鳥肌が立ってしまいました・・・

今の・・状況に 似ている・・

 

大正11年旱魃 雨乞満願架橋記念

大正11年と言う事は1922年

1918年から始まったスペインかぜの脅威が1921年(大正10年)感染終焉

大正11年はその翌年です・・・

1918年(大正7年)と言えば 第一次世界大戦終結の年

 

多くの危機を乗り越えた村には 次に・・

大正11年旱魃、つまり干ばつが襲ったようです・・

 

調べてみた所 大正11年は日本全国で大干ばつが発生したようでした。

 

例えば 伊予でも・・

四国災害アーカイブス様サイトより

大正11年の干ばつ

 

 

 

第一次世界大戦中にスペインかぜの脅威が世界に広がり、ようやく落ち着いたと思えば

大干ばつ・・・

 

しかし

当時の行政に関わっていた 私の二人の曾祖父は、この困難を乗り切り

そして、後世、私がこの世に生を受ける事が出来た・・・

二人の曾祖父は、困難に果敢に立ち向かい、しっかりと乗り越えて生きておられた・・

 

私は 二人の曾祖父の名前が刻まれた石碑を見た事で、

二人の曾祖父から

「負けるなよ ひろ●! 

負けるなよ! 必ず乗り切れるから! 負けるなよ!」

 

とメッセージを受けた! そう感じました。

 

「二人の曾じいちゃん 私は負けんけんね!」

 ※負けんけんね = 負けないからね!

 

 

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私は ブログで何度も「負けたくない」と書いてきましたが、それは 

新型コロナウィルスの脅威に負けたくない と 言う意味ではありません。

疫病の脅威はもちろんの事、その事から派生した国難を 皆で乗り切りたい

精神で負けたくない! という気持ちの 「負けたくない」なのです。

 

過去ブログをお読み下さっていらっしゃる御方々はお解りの事と思いますが

おそらく、私は 多くの方々とは異なる、特殊な環境で育ってきました。

祖母の教育・・

父は元 航空自衛隊幹部自衛官・・

 

でも、祖母や父から教わったきた事、祖父の生き方、二人の曾祖父の生き方を受け継ぐ事は「特殊」ではなく、本来、日本人が当たり前に持っていた「精神」の部分だと

私は思います

 

優しい言葉は心地よいものです

でも、優しい言葉は誰でも 言う事は可能なのです(心の内は関係なく・・)

優しい言葉は 簡単だ・・・

 

しかし、厳しい言葉は 真剣に心の底から訴えないと相手には伝わりにくいものです

ただ、厳しい言葉を言える人は 心から相手の事を思いやる事が出来る人だと

私は思います

 

大きな風が吹いてきた時に それが暴風であった場合

優しい言葉を信じるだけでは ふわふわと浮かぶだけではなく

びゅーっ!と 遠くに激しく飛ばされてしまい、取り返しがつかない事になったと

後で気が付いても 遅いのです

飛ばされない為にも、強い精神をもって、信念を持っていれば

自分が望まない所に 飛ばされる事はありません

 

家族を愛する心、故郷を愛する心、友達や知人、そして他人を思いやる心

それが国を愛する心へと繋がっているのだと思います

 

今の脅威に負けたくない

とか

国を守る とか 国を愛する と 言えば、

すぐに、危険な思想 と思われる方々もいらっしゃるようですが

国防とは、武器 と言った・・話だけではなく、 

大切な生活、家族を守るという事に直結している

例えば、災害を回避する事も国防に含まれるのだと私は考えています。

「そういう事なのだ」という事を多くの方々に知って頂きたいと 私は考えます。

 

自由や平和は 

安全が保障されてこそ成り立っている 

と 私は考えます

この考えは子供の頃から 全く変わっていないのですが

 

去年、拝読して たいへん勉強させて頂いた書籍をご紹介させて頂きます。

加藤ジェームズ様 著

 

 

 

 

加藤ジェームズ様のブログは いつも楽しみに拝読して 勉強させて頂いております。

女性にも解りやすいご説明で、とてもありがたいと思います😊

(加藤ジェームズ様 勝手にご紹介させて頂き、申し訳ございませんでした)

 

 

皆様
当たり前の事をちゃんとして
免疫力を高める食事をしっかり取り(茶まん はお勧めです(^'^) )
穏やかな日が早く来るように
日本を皆で守っていきましょう(^'^)


 
私は何度でも言います😊
私は日本が大好きです
他国にはない 超古代からの文化が

連綿と受け継がれている
日本を心から誇りに思います


 
だからこそ
負けんば~い!!! 
😊

 

 

今回は 

1.神楽歌で気が付いた事

2.時空を超えた二人の曾祖父からのメッセージ

と言った内容を書かせて頂きました。

 

 

さて😊

今回ご紹介させて頂く動画は

A Performance From DRUM TAO

 

スティーヴン・タイロン・コルベア氏 司会のザ・レイト・ショーに

DRUM TAO の方々が出演された時の映像です。

 

アメリカの方々の反応をご覧になられると良く解ります。

日本人の魂 スピリット※精神、情熱、根性 に驚きの絶賛の声をお聞きください😊

 

私は元々DRUM TAOさんの大ファンでして 特に江良さんが・・ (*^-^*) 

球磨に戻って来て、実は偶然にも・・

主人の仕事場に息子さんがTAOのメンバーでいらっしゃる方が以前勤めていらして

尚の事、さらにさらに TAOさんを応援するようになりました😊

 

 

 

 

皆様

最後までご覧頂きありがとうございました。

お身体十分にお気を付けてお過ごしになられて下さい。

 

今回はひろっぷあるある?で、前回の予告とは内容が異なりました事をお詫び申し上げます

次回は 必ず 書きますよ~!!(p_-) 

 

球磨の地より ひろっぷ でした 😊

 

次回『合併浄化槽と球磨川とチベット上空と・・・』に続きます。