前回のブログ『合併浄化槽と球磨川とチベット上空と・・・』より続きます。

 

2020/01/25  15:35  再々投稿

2021/01/23 10:34投稿の当ブログ2020/01/24 19:10 に再投稿致しましたが

当ブログのコメント欄⑨、コメント欄⑩に ひろっぷの独り言 と題して

ブログでは書かない 私の経験を通しての感情 を書かせて頂きました。

私のブログをお読み下さる皆様方へ、応援して下さるありがたい方々へ
このコメント欄にて、独り言として書かせて頂きました。

宜しければ お読み下さい。   ひろっぷ
 

 

2020/01/24 19:10以下に追記を加えて再投稿させて頂きます。

 

すでに、当ブログをお読み頂いた皆様に、ご覧頂きたい情報をご紹介致します。

今回のブログに関して、「ひろっぷは 何を言おうとしているのか!?」とお思いになられた方もいらっしゃったかもしれません。

それは、当たり前で、人は其々に様々な考えをお持ちでいらっしゃるからです。

私は「何を言っている!?」とお考えになられた方こそ、ぜひご覧頂きたい!と願います。

ご紹介する記事、映像は「発信源が解らないもの」ではありません。

共同通信社様の記事、さらにテレ東様の公式YouTubeチャンネルです(^'^)

 

2021/01/22/ 22:35  共同通信社様 の記事です。
中国、武器使用認める海警法成立
尖閣・南シナ海で緊張高まる恐れ

 

 

【北京共同】中国の全国人民代表大会常務委員会会議は22日、中国海警局に武器の使用を認める海警法草案を可決、同法は成立した。中国メディアが報じた。海洋権益維持を目的に発足した海警の法整備が完了し、体制や装備も強化される。中国が領有権を主張する沖縄県・尖閣諸島の周辺海域や南シナ海で海警の活動が活発化し、緊張が高まる恐れがある。施行は2月1日。

 海警法は、海上で中国の主権や管轄権を侵害する外国の組織、個人に対し、海警が「武器の使用を含むあらゆる必要な措置」を取ることができると明記した。尖閣周辺の日本領海で警備する海上保安庁や操業する日本漁船が対象となりそうだ。

 

以上 共同通信社 2021/01/22/ 22:35 中国、武器使用認める海警法成立
尖閣・南シナ海で緊張高まる恐れ より 転記

 

2021/01/22 と言う事で

私は、「やっぱりな・・早速か・・」 と思いました。

 

お時間がおありになられる時に 以下にご紹介させて頂く 

テレ東様の公式YouTubeチャンネルをご覧頂ければ、より 「海警法草案を可決」という事が「いかなる事なのか」意味がお解りになられると思います。

 

2020/11/10 公開 テレ東様の公式YouTubeチャンネル

 

今日(1月24日) 先にご紹介させて頂いた記事を見ながら、こちらの動画をあらためて拝見したのですが、 感想は あらためて(p_-)

「やっぱりな・・早速か・・」 

 

私、熊本に帰ってきて、一番残念な事は テレビ東京さんをキー局とする放送局が熊本には無いんですよね・・・・

なので、最近は、テレ東様の公式YouTubeチャンネルを拝見するようにしています😊

他局のニュースより、より掘り下げた情報を拝見出来るのでありがたい です😊

 

本来は、次回に投稿しようかと思っていたのですが、農作業のお手伝いが始まりますので

今回のブログに追記という形でご紹介させて頂きました<m(__)m>

 

以上 追記 でした。   ひろっぷ

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私が球磨から発信するこのブログを御覧頂き ありがとうございます。
お読み下さった皆様方には心から感謝いたしております。
 
度重なる自然災害、さらに新型コロナウィルスの感染により、
愛するご家族、親戚やご友人の方々に看取られる事なく、一人で旅立つ事をよぎなくされた
御方々の御冥福を心よりお祈り申し上げます。

ご家族の代わりに、献身的な看護、そして治療に従事なさっていらっしゃる医療現場の方々の御苦労に心から感謝致しております。 

感染なさった方々の早期回復をお祈りいたします。
この難局を世界中がいち早く乗り切れる日が来ることを心よりお祈りいたします。

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前回のブログは少々言葉が激しかったかもしれません・・・

ただ、多くの方々にお伝えしたかった事は

本質を見極めて下さい」 と いう事でした。

 

前回のブログで泉城様から頂いたありがたいコメントへの返信に書かせて頂いた事です。

最近、特に 私のような田舎の一主婦でも「見える」 とても気になっていた事を書かせて頂いておりました。

 

泉城様から頂いた コメントへの返信より

心から 「ありがとうございます」が言える 子供達

 

日本は元々、「こういう国」だったのですよね(^'^)

ジャーナリズムとは、元々

「国の体制を非難したり、大騒ぎをするだけ」では無かったはずです。
ただ、それは、マスコミ、ジャーナリズムの問題だけではなく
日本人がそれを問題視せずに、受け入れている事にあるのかもしれません。
でも、今、多くの人達が、この1年の間に「疑問」を感じるようになってきた
つまり、目覚めてきた と言う事でしょうか。

今年に入って、地元のテレビ局がSDGSのコマーシャルを流すようになりました。
東京では若い方々が活動をしている と言う事をYouTubeで見ました。

ただ、私は 考える事がありました・・・
それが、今回ブログに書いた内容です。
本質を見極めて下さい」 この言葉です。

球磨地方はブログに書いたように、数十年前から、環境を守る事を地元の人達一丸となって努めてきました。
でも、どんなに、地元の人が努力しても、遠く離れた「根源」が変わらなければ
いえ、遠く離れた「根源」がどんどん破壊されれば
一丸となって守ってきた事は いとも簡単に 壊れてしまう。

その事を多くの方々に伝えたかったのです。

最近経験した事ですが・・・
気温が氷点下5度以下に下がるようになって、ボイラーからのお湯の出が悪くなり、お風呂もためられなくなって温泉に行っていました。
修理を頼んだところ、ボイラーの故障ではなくて
水道の蛇口に装着されたフィルターに石灰が詰まっていました。
修理の方が、「この辺りでは最近この事案がとても多いのです」
「今、水があまり良くないですから・・」
と言われるので、詳しく伺うと
「元々、旧宮原村の水は硬水度が高い地域で
大災害の際に破壊された浄水場に設置の軟水化する装置が壊れていて、現在修理を行っています。
装置が修復されたら、石灰が溜まる事はなくなりますので
もう少し、辛抱されて下さい」
との事でした。

あ~そういう事だったのか・・
と。
家の近所の人や親戚も、お湯の出が・・と言われていたので
「おおもと」で何かあるのかな・・とは感じていたのですが
お話を聞いて安心しました。
相当数の家が、家と同じような状況にあったようです。

皆 「ボイラーや給湯器が壊れたのかな?」
と修理を依頼・・
フィルターの洗浄だけで 問題は解決
でも・・また 直ぐに 詰まる
しかし・・浄水場の軟水化装置が修復したら、問題は解決する
浄水場は 遠く離れた山の中にあります。

つまり 遠い山の中にあった問題の「根源」を見極めて、対応したら
多くの家の「お湯が出ない」 問題 は解決する

と言う事を経験した訳です。

単純な日常のお話のように見えますが
これが「問題の本質を見極めて対応する事」の原点だと思うのです。

 

SDGS・・批判する訳ではありません。素晴らしい運動なのだろう と思います
が、しかし、 ただ「地球の環境を守りましょう!」というだけでは
何の解決にも繋がらないのでは!?
と私は考えた次第です。

何故?日本だけでなくアジア全域で 観測史上類を見ないと言われる豪雨が多発しているのか・・
「問題の根源」が解るように、マスコミの方々が国民に伝える・・・
必要だと思います。

私は前回のブログでも書きましたが
国内の災害を回避する事に努める事は「国防」にあたる
と考えています。

 

以上 コメント欄より 転記 さらに編集させて頂いた内容でした。

 

前回のブログでは、おそらく 国外だけではなく、国内における戦後75年間で積み上がった問題にも触れていたと思います。

都市部への一極集中による過疎化問題

林業の後継者不足による山の荒廃が「他国の環境破壊」による日本を襲う大水害の一つの原因になっている事

日本の農業はもっと活性化すべきである事 ・・・等

 

前回のブログでも書きましたが

パンデミックの中で大災害を経験した 去年から 色々考えてしまうのです・・・
「問題」が この地にいると 目に見えて・・浮き彫りになっているような・・
そう感じています

 

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1.重要な事は情報収集と分析

 

先に書きましたように

※ジャーナリズムとは、元々「国の体制を非難したり、大騒ぎをするだけ」では無かったはずです。ただ、それは、マスコミ、ジャーナリズムの問題だけではなく
日本人がそれを問題視せずに、受け入れている事にあるのかもしれません。

でも、今、多くの人達が、この1年の間に「疑問」を感じるようになってきた
つまり、目覚めてきた と言う事でしょうか。

 

日本人がそれを問題視せずに、受け入れている

多くの人達が、この1年の間に「疑問」を感じるようになってきた

 

私は日本の歴史を大切に思い、未来を担う方々に

ぜひお読み頂きたいと願うお話があります。

 

2021年1月21日に加藤ジェームズ様がお書きになられたブログ

『プロパガンダと情報の行方』です。

加藤様にはご了承頂きましたので ご紹介させて頂きます。

 

 

 

アメリカ大統領選挙における「プロパガンダ」

加藤様

社会学者でいらっしゃり、プロパガンダの専門家のお立場で

論評では無く分析をなさったお話をお書きになられていらっしゃいます。

 

私も僭越ながら、コメントをさせて頂きましたが、その内容に対して加藤様から頂いたお言葉

私は、拝読させて頂き、混沌とする今の世界の中で、私達日本人がどうあるべきか

を勉強させて頂きました。

 

世界中のメディアが印象操作に手を貸すようになった・・

危機意識を高めなければ
アメリカの分断は
明日は日本の番

 

情報収集と分析をしっかりと行い、自らの目で正しい方向を見つめる事

そうする事によって、優しい言葉で忍び寄ってくる「危機」を見抜く力を養う事が出来る

大切な事は

危機意識を高める事である

 

今や、日本の安全保障は国民の意識にかかっている

そういう時代に突入してしまった・・・

私はそう考えました。

 

加藤ジェームズ様 大変勉強させて頂きました。

あらためまして ありがとうございました。

 

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危機意識・・・

時代が変わり始めている

見抜く力・・・

 

そういう言葉を聞くと「怖い」と現実逃避してしまいたくなる そういう御方もいらっしゃると思います。美しい自然や日本古来の風習の中で、それだけを見つめていれば良いとお思いになられる御方々もいらっしゃると思います。

怖い 誰だって そうです。 私だって 怖い

 

だけど 前々回のブログ『神楽歌と時空を超えた二人の曾祖父からのメッセージ

で書いたように

 

本来、日本人が当たり前に持っていた「精神」

 

優しい言葉は心地よいものです
でも、優しい言葉は誰でも 言う事は可能なのです(心の内は関係なく・・)
優しい言葉は 簡単だ・・・

しかし、厳しい言葉は 真剣に心の底から訴えないと相手には伝わりにくいものです
ただ、厳しい言葉を言える人は 心から相手の事を思いやる事が出来る人だと
私は思います

大きな風が吹いてきた時に それが暴風であった場合
優しい言葉を信じるだけでは ふわふわと浮かぶだけではなく
びゅーっ!と 遠くに激しく飛ばされてしまい、取り返しがつかない事になったと
後で気が付いても 遅いのです
飛ばされない為にも、強い精神をもって、信念を持っていれば
自分が望まない所に 飛ばされる事はありません

 

そして・・

その精神を目覚めさせる為には

情報収集と分析をしっかりと行い、自らの目で正しい方向を見つめる事 が大事

危機意識を高める事 が大事

 

私はそう考えます。

偉そうなことを言って・・私は マダマダダメダメ人間です。

今までの生き方の中で、反省している事の方が多い ダメダメ人間です

 

でも 風に飛ばされない 強い信念と人を思いやる心を持つ人

そうなりたい と 

あらためて二人の曾祖父、そして祖父母 ご先祖様に誓いました。

 

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2.歴史に学ぶこと

ブログ『神楽歌と時空を超えた二人の曾祖父からのメッセージ』 では

約100年前の二人の曾祖父も疫病や世界の混乱、自然災害に遭いながら、懸命にその危機を乗り越えていた・・

という事を書かせて頂きました。

 

最近、気になっていた事があります。

優しい言葉ではありますが・・「平等」 という言葉に対しての不安です・・

「平等」の名の元に、日本の大切な歴史さえ、

過去のモノとして葬り去られるのでは ないか・・

という 不安です。

 

私は、自分とは異なる意見を述べられる方のお話も拝見させて頂いております。

異なる意見の方でも「信念」が見えれば、 その方の「信念」に対して敬服する事もあります。

ただ、私の「信念」は変わりませんが・・・

 

日本の歴史を否定する 例えば、武家社会は不平等であった とか 武士が日本を何百年にも渡って混乱に貶めていた・・という考えをお持ちの方々もいらっしゃるようです・・

 

そういうお考えの方のお話を拝見した時に、私の頭に浮かぶ歴史上の出来事は

元寇です。

1度目を文永の役(ぶんえいのえき・1274年)、2度目を弘安の役(こうあんのえき・1281年)という。蒙古襲来とも。

 

元寇 については 多くの方々がもちろん御存じの事でしょう。

元寇 ウィキペディア

 

 

※特に2度目の弘安の役において日本へ派遣された艦隊は、当時世界最大規模の艦隊であった

 

誰もが御存じの元寇については、ウィキペディアをご参照頂ければと思いますが

私は「球磨」から この地の歴史等を発信している立場から、元寇と球磨について

触れておこうと思います。

 

元寇

1度目を文永の役(ぶんえいのえき・1274年)、2度目を弘安の役(こうあんのえき・1281年)

九州各地の武士団、豪族、さらに 四国、西日本の武士団が襲来した蒙古軍、正しくはモンゴル帝国(元朝)・高麗連合軍による2度の日本侵攻に立ち向かいました。

 

相良家文書、古文書、記録等によれば

球磨郡(当時は人吉も含めて球磨郡)からは、相良氏 相良一族犬童氏、平河氏、万江氏多くの相良一族、等の方々が博多へと向かい、モンゴル帝国(元朝)・高麗連合軍と闘いました。

 

相良頼俊公 ウィキペディアより 抜粋致します。

 

相良 頼俊(さがら よりとし)は、鎌倉時代中・後期の武将。相良氏の第3代当主。

相良長頼の三男。通称は六郎。

 

建長6年(1254年)、兄頼親の譲を受けて当主となった。正嘉元年(1257年)9月14日、成恒荘の、その二十日後には刁岡(とらおか)名の地頭職を安堵された。また同じ頃、剃髪して

「六郎法師沙弥迎蓮」を称した。

文永11年(1274年)、文永の役の後、九州の武士団にはそれぞれ異国警固番役が割り振られ、相良家からも人が出て数年に渡って博多湾で任務に就いていた。

弘安4年(1281年)に
蒙古が再来して弘安の役が始まるとすでにかなりの高齢であったが、頼俊は自ら兵を率いて、弟相良頼員(相良西信)と共に参陣した。

 

博多では菊池武房に従って蒙古軍と戦い、嵐で難破して五龍山に避難した敵兵を一網打尽に捕虜として、博多浦で斬るという武功を挙げた。

 

これによって頼俊と頼員の両名は、北条宣時と北条貞時の連署による関東御教書を賜って

激賞された。また菊池武房からも恩賞として葦北郡が与えられた。葦北はすでに相良家の勢力圏だったが、これで晴れて所領と認められたことで、水俣に城が築かれた。

 

弘安10年(1287年)、家督を子の相良長氏に譲って隠居。没年は不詳ながら一説には延慶4年(1311年)、1309年や1310年とも言う。

以上 ウィキペディアより 転記

 

補足ですが

※弘安10年(1287年)、家督を子の相良長氏に譲って隠居。

 

相良長氏、この方の御子息、相良祐長公が、私の祖母方の曾祖母の実家「深水家」さらに

私の曾曾曾祖母の実家であり、家の宮原家とは複数の姻戚関係がある「蓑毛家」の

ご先祖様でいらっしゃいます。(曾曾曾祖母・・ややこしいですが😶)

※相良一族 深水氏・蓑毛氏の祖

 

つまり、元寇で 日本を守るために命をかけて戦った、九州、四国、西日本の武士団の中のお一人「相良頼俊 公」は 私のご先祖様でもいらっしゃいます。

もちろん、先に書いたように、祖母方のご先祖様「平河氏」も元寇で日本を守るために命をかけて戦われました。

 

元寇でもしも・・・蒙古軍が・・・日本に入ってきて 占領されていたらならば・・

と考えたら、 鳥肌がたちます・・・

私は、先祖を含めた、元寇で命をかけて日本を守られた、

全ての武士団、豪族の方々を心から尊敬し、誇りに思います。

 

武士は、 日本を守る、つまり「国防」を担っていらしたのです

 

こういう事を、歴史を後世に伝えて、

古(いにしえ)の方々に感謝して 今を生きる

とても大事な事だと

今の時代だからこそ、 とても大事な事だと

私は 考えます

 

優しい言葉ではありますが・・「平等」 という言葉に対しての不安
「平等」の名の元に、

日本の大切な歴史さえ、過去のモノとして葬り去られる事

決して あっては いけない!

私は そう 考えます

 

補足ですが

球磨郡多良木町御鎮座の「王宮神社」様

 

王宮神社には『金銅板の径十三.八糎の毛彫の聖観音』が

伝来しています。
 

銘文が記されており、内容は
奉納人 王御前 文永十二年正月 内蔵金弘
文永十二年(1275年)。奇しくも文永の役、すなわち元寇の直後の正月です。
『王御前』・・神武天皇様に日本をお守り頂く為の御祈願、御奉納ではなかったのか?と私は推測致しております。


王宮神社様には東漢氏で漢の高祖 劉邦の一族の方々が御関係されています。
東漢氏族「大蔵氏」・「内蔵氏」の内蔵氏です。

『奉納人 王御前 文永十二年正月 内蔵金弘

 

さらに、 

現あさぎり町免田黒田(免田※面田村黒田)御鎮座の

岡留熊野座神社

 

岡留熊野座神社様は 家の親戚のお家が代々宮司をお務めになられる神社様です。

 

ウィキペディアより

 

 

岡留熊野座神社(おかどめくまのざじんじゃ)は、熊本県球磨郡あさぎり町にある神社である。

祭神
伊邪那岐神(いざなきのみこと)、伊邪那美神(いざなみのみこと)、速玉男之大神(はやたまおのおおかみ)を祀る。

由緒
大陸の超大国、元の皇帝フビライが日本に入貢を求めたが、鎌倉幕府は拒否した。

そこで、元は文永11年(1274年)に壱岐・対馬に侵攻し、博多に迫ったが敗退した。

元は、弘安4年(1281年)、再び日本に来襲したが、相良氏第3代当主相良頼俊が、

弘安の役の蒙古襲来の際、相良一族を出征させるとともに、善男善女を集めて勝利を祈願したところ神風が吹き勝利した。

 

この蒙古襲来の二度とも大風が起こって、元の艦船が沈没するものが多く、元が敗退する大きな要因になったといわれる。

この弘安の役の前年、弘安3年(1280年)日本に戦乱が起きるのではという緊張がはしっていた頃、国家の安寧と、敵国降伏を祈るために建立された。

現在の社殿は、昭和6年(1931年)に造営されたもので、国家の保安を祈るために岡留神社を建立したと伝えられている。

 

以上 ウィキペディアより 抜粋させて頂きました

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岡留熊野座神社

弘安の役の前年、弘安3年(1280年)日本に戦乱が起きるのではという緊張がはしっていた頃、国家の安寧と、敵国降伏を祈るために建立された

現在の社殿は、昭和6年(1931年)に造営されたもので、国家の保安を祈るために岡留神社を建立したと伝えられている。

 

ちなみに・・・

最近 気が付いたのですが 岡留熊野座神社様のご社殿の先・・・

古墳ではなく 弥生時代の墳丘墓があります

 

こちらの墳丘墓 神社様のご社殿の先にあった・・という事を最近航空地図を見ながら

初めて・・そう ようやく 気が付きました・・・

 

この一帯は丘陵地です。 黒丸で囲んだ辺りが墳丘墓です

 

 

 

横から 見た 景色 杉の木が立っている辺りは 丘陵地です。

こちらの丘の上に 弥生時代の墳丘墓があります

 

 

 

国家の安寧と、敵国降伏を祈るために建立された

岡留熊野座神社様

ご社殿の先には 弥生時代の墳丘墓・・・
その墳丘墓を この地の人達は
クマソのお墓
と呼ばれています・・・
 
元寇の際に 球磨からは多くの武将が出陣なさった・・・
そして、此の地には
国家の安寧と、敵国降伏を祈るために岡留熊野座神社様が建立された・・・
さらに 同時期
王宮神社様には
『金銅板の径十三.八糎の毛彫の聖観音』が伝来
『奉納人 王御前 文永十二年正月 内蔵金弘』
 
王御前・・・
 
最近の私の 思考・・・
ここまで 書いて 
ようやく 私は、最近 自らが何に気が付くように 導かれていたのか
気が付く事が出来ました。
 
球磨の地は 国防に 関わる地である
と 言う事を
 
国防に関わる 祈りの地である
と言う事を
 
それは
古代から 鎌倉時代にかけて 
連綿と受け継がれてきた事で ある
と言う事を
 
久米(くめ)は 武具 を表す
久米(くめ)族は 軍部を担う人達
久米族は古代の治山治水を担っていた
治山治水、 災害を回避する事は 国防 である
球磨郡久米郷は
久米物部氏が住んでいた処でもある
物部氏は 祭祀を司り 軍部も担っていた
クメと球磨(クマ)は 同意語である
 
全部 繋がっている・・・
だから 
この地に住む 現代の私に
古代の方々の声が 国防を深く考えるように
導かれているのでは ないか・・・!?
 
歴史を侮ってはいけない
歴史を尊び
未来を担う
 
これからの 混乱の時代にむけて
ご先祖様、古代の方々から 教えを頂いた
そう 感じています
 
 
鎌倉時代の元寇の話から 気が付いた事・・・
この鎌倉時代の球磨と鎌倉幕府
ブログ『人間の地磁気感受性と阿米と繋がる中世の球磨』に対して頂いた
堀ノ内様のご教示が繋がって参ります!
 
古代の久米
yabutsubakime様から頂いたご教示より
相良一族の所領地の一つ
筑前国長渕庄 とは 現福岡県朝倉市長渕 であり
この地には、 久米氏族 秋山氏がいらっしゃった!
という事に繋がって参ります!
 
古代の球磨
おちゃも様から頂いたご教示より
酢だこ と 古代
「酢」 醸造・・・ に繋がって参ります!
 
堀ノ内様、おちゃも様、yabutsubakime様 たいへんお待たせ致しました。
皆様方、 たいへん お待たせ致しました。
 
わたし 最近 頭を駆け巡る事があまりにも多くて
申し訳ございませんでした。
しかし・・
頭を駆け巡る事は 全て
歴史に繋がっていた事を
あらためて、 理解する事が出来ました。
 
皆様方
最後まで ご覧頂き ありがとうございました。
 
コロナウィルス感染症の感染拡大が続いていますが
世界情勢に不安は尽きませんが
でも
心を一つにして この難局を乗り切っていきましょう!
お身体十分にお気を付けになられてお過ごし下さい。
 
 
私も 負けません!
気持ちが まとまりました!
次回は いつもの 私 歴史の猛者(父が私に付けたあだ名) に戻ります(p_-)
 
 
最近、気持ちを高揚させたい時に
大河ドラマ 麒麟がくる のオープニングテーマを 拝見するようにしています😊😊
 

 

 

 
負けんばい!
球磨の地より ひろっぷ でした<m(__)m>
😊
 
次回『再投稿 挑発に乗っちゃダメ!』に 続きます。