前回のブログ『再投稿 挑発に乗っちゃダメ!』 より 続きます。

 

 

2021/01/30  14:10 追記 再投稿

2021/01/30 10:22:53投稿の拙ブログ、文章の再編集 およびクマソ系図(続き) 下の

クマソの方々は滅ぼされてなど いない!』 の下に お龍っつあんのお話を交えながら

追記を書かせて頂きました😊

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私が球磨から発信するこのブログを御覧頂き ありがとうございます。
お読み下さった皆様方には心から感謝いたしております。
 
度重なる自然災害、さらに新型コロナウィルスの感染により、
愛するご家族、親戚やご友人の方々に看取られる事なく、一人で旅立つ事をよぎなくされた
御方々の御冥福を心よりお祈り申し上げます。

ご家族の代わりに、献身的な看護、そして治療に従事なさっていらっしゃる医療現場の方々の御苦労に心から感謝致しております。 

感染なさった方々の早期回復をお祈りいたします。
この難局を世界中がいち早く乗り切れる日が来ることを心よりお祈りいたします。


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天皇皇后両陛下は27日、

令和2年7月豪雨で甚大な被害を受けた人吉市、八代市坂元町、球磨村、芦北町の被災者の方々、さらに救助活動にあたった方々とオンラインで面会なされ

励ましのお言葉をおかけになられました。

 

関連記事をご紹介させて頂きます。

TKU(テレビ熊本)様 公式ページより

 

 

熊本日日新聞社様 公式ページより

 

 

2021年1月28日付 日刊人吉新聞様では 両陛下被災地お見舞い と題して、 より詳しい記事が掲載されていました。

記事を拝見して 抜粋させて頂きます。

 

被災者の声

『緊張したが万感胸に迫った。今が一番きついとき。なりわい補助金も申請できていない。早くトンネルを抜け出し元の場所に明かりをともしたい」と元気づけられ再建への決意を新たにしていた。

 

人吉市長は「大きな後押しをしていただいたと胸が熱くなった」と語られています。

 

球磨村消防団の方は

「語りかけるような感じでお話され、心配していただきうれしく感じた」

 

球磨村で救助活動や現場指揮にあたられた陸上自衛隊えびの駐屯地西部方面特科連隊第3隊本部の井上靖也大隊長(球磨郡湯前町出身)は

『ねいぎらいのお言葉をいただき、私たちがやってきた活動が報われた。自分の中では故郷のために活動できてよかった』

と語られています。

以上 2021年1月28日付 日刊人吉新聞様の記事より抜粋させて頂きました。

 

とてもありがたく胸が熱くなる

私も 同じです。

 

全国放送のテレビでもご紹介があったかとは思いますが、あらためて球磨から情報を発信している私からも、皆様方にご紹介させて頂きました。

 

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1.ばあちゃんの 信念と秘密・・

 

今年も、家の庭の片隅に、スイセンの花が咲きました😊

亡くなった祖母が30年以上前に植えたスイセンです。

 

 

 

私、子供の頃からスイセンの花が大好きで、咲くといつも花びらに鼻をくっつけて、良い香りをかいでいました。

この場所には、祖母があらためてスイセンを植えたのですが、30年以上経ってもちゃんと美しい花を咲かしてくれます。

今年もいつものように鼻を近づけて良い香りをかぎながら

ばあちゃん 今年も咲いたよ」 と 天国の祖母に話しかけました😊

 

祖母は毎年花を咲かせる多年草を庭に沢山植えていました。

それは祖母が花の命を大切に考えていたからだと 私は考えます。

 

祖母の事は 過去ブログ『(再追記あり)私を育ててくれた祖母 探求の原点を見つめてみました』 の中で 祖母の活動 として書かせて頂きました。

 

 

祖父が若くして亡くなった後、すぐに、おじ(長男)も亡くなり、悲しみの中 それでも前を向いて祖母は二人の息子(父と叔父)を育てあげました。

 

祖父母が大陸に渡る時に、先祖から受け継いだ宮原家の財産全てを祖父の義理の姉(宮原家の養女であった方)夫婦に託していましたが、敗戦により帰国してすぐに祖父が亡くなり、

その後、元宮原家を譲り受けた方々から元々の宮原家の田地の内、僅かながらの土地を戻してもらい(戦後の農地改革により殆どの土地は手放す事になりましたので、残った土地からさらに、わけてもらったようです)戦後はそれまでの宮原家とは全く違い、祖母は大変苦労したそうです。

 

祖母には「本当は大学に進学させるべき」と高校から言われたそうですが、

父は祖母にこれ以上負担をかけたくないとの思いと自らの信念の元、航空自衛隊への入隊を選択しました。(入隊後、父は通信教育で大学に入学しました)

父から去年初めて聞いた事があります。

入隊後、父に届いた祖母からの手紙の事です。

 

その手紙には

あなたが、出発した朝に脱いだ寝間着を抱きしめて、

夜、涙が止まりませんでした

と書かれていたそうです。

 

自分も母の立場となりましたので

私、この話を父から聞いた時に、祖母の当時の気持ちを考えると

涙が溢れてとまりませんでした・・・

 

祖母は優しく、しかし 強い信念を持った女性でした。

今でも、多くの方々から、祖母には良くして頂いた、祖母が大好きだった と

ありがたいお話を聞く事があります。

亡くなって20年近く経つのに 今でも私の事を

「●●しゃん(祖母の名前)のお孫さん」 と呼んで下さる方々がいらっしゃる事を

私はありがたく思い、さらに祖母を誇りに感じています😊

 

 

ただ・・・皆様

祖母は イメージで言う所の 「ぽたぽた焼き」のパッケージのような おばあさん では

ありませんでした (ー_ー)!!

画像は亀田製菓様から お借り致しました<m(__)m>

ぽたぽた焼スペシャルサイト|亀田製菓株式会社

 

 

 

祖母の信念は 誠の保守派

 

もう 書いても良いかな・・・・

祖母は 88歳で亡くなるまで・・・・ 

自民党の党員 だったのです

祖母の形見 大切にしていた 形見 バッジも 私は大切に取っています。

 

祖母は 保守 を信念として 亡くなるまで貫いた人です。

私は 祖母を 誠の保守派の人であった

と 誇りに思っています。

 

今の自民党の方々がそうであるかは 私には解りませんが・・・・

 

その祖母に育てられたのが

この 私 です 😊

 

その祖母は 国防があってこその平和

と言っておりました。

 

(あああああ~!! やっぱり(p_-) との声が何処から聞こえてきたような・・・(?_?) )

父や叔父 いわく

お前(私)は ばあちゃん ソックリ

だそうです(顔ではなく 性格や信念が)

 

ばあちゃんの 秘密 初めて書かせて 頂きました<m(__)m>

 

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2.真摯に命と向き合う事

 

私の性格上、実は 友人は 少ないです・・・

こんな性格だから、深く付き合おうと 思って下さる方が少ないようです・・・

私は、どちらかと言うと、人当たりは良い とは言われるのですが でも

自分がこの人ならば信頼できる と考える人でなければ

友人として付き合うという事は ありません。

ただ 私には友人は少ないけれど 親友は います!

 

ぜひ 皆様方にご紹介させて頂きたい方がいらっしゃいます😊

 

私の親友の一人 親友というより 心友 です

ブログ 『老犬20歳。高齢犬との暮らしブログ』 のブログ主

楓丸 さん です。

 

楓丸さんは、私の心友で、辛い時や悲しい時を一緒に乗り越えてきた 大切な人です。

20歳を迎えた家族 「」ちゃんとの暮らしをブログで綴っています。

私は真摯に尊い命と向き合う 楓丸さんを 心から尊敬しています。

そういう心友と出会えた事を 心から感謝しています😊

 

楓丸さんの最新ブログです

 

 

 

 

最新の記事一覧は こちら です😊

 

 

 

 

私は 

楓丸さんの 心 命を尊ぶ 優しい心

そして、研究熱心で、自ら何でも取り組む心、 アイデア

全てにおいて 大尊敬しています

😊

 

親友 心友 の楓丸さんを ご紹介させて頂きました。 <m(__)m>

 

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3.硬水は辛い酒の元

    大発見しちゃいました\(◎o◎)/! 😊😊

 

前々回のブログで書かせて頂いたのですが

 

 

大災害後、 球磨郡あさぎり町岡原北 (江戸時代までの旧宮原村)の浄水場は破壊されて

今は浄水場に設置の軟水化する装置が壊れていて、非常に困っております😥

ただ、この事によって この地の水が硬度の非常に高い「硬水」である事を初めて知りました。

 

でっ(p_-)

何でも調べたくなる私は 硬水 について調べてみたのです(p_-)

すると・・・大発見をしました!

 

硬水 ウィキペディアより 抜粋して転記致します <m(__)m>

 

 

硬水(こうすい)とは、カルシウムやマグネシウムの金属イオン含有量が多い水のことである。逆のものは軟水という。

 

硬水は北欧の水に多い。アメリカ合衆国では東部・南部・太平洋岸では軟水が多く、南西部は硬水が多い。

日本では関東地方の一部や南西諸島に見られるが、ほとんどの地域の水は軟水であり、

水源が硬水である沖縄本島中・南部および本部半島・読谷では、水道水の硬度を下げる処理を施している。

※旧宮原村でも水道水の硬度を下げる処理が施されています(p_-)

 

一時硬水と永久硬水
また、硬水は含有するイオンのタイプによって一時硬水と永久硬水の2種類に分けることができる。

前者は石灰岩地形を流れる河川水、地下水などで、炭酸水素カルシウムを多く含み、煮沸することにより軟化することができる(反応式は後述)。

後者はカルシウムやマグネシウムの硫酸塩・塩化物が溶け込んでいるもので、煮沸しても軟化されない。以前は蒸留しないと飲用に適さない水であったが、現在はイオン交換樹脂でイオンを除去し、軟化させることが容易となった。

 

醸造
醸造酒である日本酒やビール、蒸留酒の焼酎など、酒造においては硬水であっても問題とならない。

水中のミネラルは糖をアルコールに変える酵母を活性化させて発酵が進みやすくなるため、すっきりした口当たりの辛口の酒ができると言われる。

日本の酒処でも灘の水は中硬水で、隆起珊瑚礁の島が多い沖縄県の泡盛や鹿児島県の奄美黒糖焼酎の仕込み水も硬水である例が多い。

ただし、焼酎の割り水(希釈水)は軟化処理してから用いるのが普通である。

 

以上 ウィキペディアより抜粋致しました。

 

※水中のミネラルは糖をアルコールに変える酵母を活性化させて発酵が進みやすくなるため、すっきりした口当たりの辛口の酒ができると言われる。

 

 

辛口の酒ができる

 

・・・\(◎o◎)/!

辛口の酒 !? ・・・・・\(゜ロ\)(/ロ゜)/

あああああ~っ!!!

 

辛口の酒と言えば

クマソの方々の お酒 !!

 

日本神話・神社まとめ様 サイト

日本書紀 景行天皇(十三)不孝をひどく憎み誅殺 より

 

於是、示幣欺其二女而納幕下。天皇則通市乾鹿文而陽寵、時市乾鹿文奏于天皇曰「無愁熊襲之不服。妾有良謀、卽令從一二兵於己。」而返家、以多設醇酒令飲己父、乃醉而寐之。市乾鹿文、密斷父弦、爰從兵一人進殺熊襲梟帥。天皇、則惡其不孝之甚而誅市乾鹿文、仍以弟市鹿文賜於火国造。

 

以多設醇酒令飲己父、乃醉而寐之

市乾鹿文は家に帰って、非常に醇(カラ=辛い=アルコールが強い)い酒を用意して、自ら父に飲ませました。

 

醇酒 = カラ = 辛い

辛い酒

 

辛い酒は・・・・

硬水で造った  お酒 !!!!!

 

発見しました\(◎o◎)/! ・・・(p_-)

やった・・・!!

 

 

ふむふむ・・そうか🙄 にま~っ(^-^)

辛いお酒は 硬水じゃ~ないと 造られないのですねぇ~

 

ナント言うか 証明出来た気分です(^'^)

 

ここで・・・・

記紀を全否定する方々がいらっしゃるようですが、私は賛同は致しません。

 

記紀には至る所に「解る人が見ればわかる」 ヒントが盛りだくさん 記されています。

ただ・・記紀の編纂者の方々が ひたすら隠そうとなさった事は読んでいれば解ります。

それは

クマソの方々について です

 

あの・・・この地「球磨」に住んでいれば 実に解る事があるのです。

それは・・・

クマソの方々は

滅ぼされてなど いませんよ

(ー_ー)!!

という事です。

 

記紀は時代を数百年に渡り、「前後」しながら、歴史を混ぜながら記されているように

私は感じています。

おそらく・・・球磨の方々(球磨に残った方々)と大和朝廷(近畿に向かった方々)の間で

もめ事があったのは

かなり後で・・・古墳時代 西暦400年代くらいの事ではないのかな・・

(そう 気が付いた理由は 今後追々 書かせて頂きますが・・・)

 

過去ブログで何度もご紹介させて頂いた 松野連系図

私は・・・個人的には クマソ系図 と 呼んでいます。

 

クマソ系図

 

この先があるのです・・・

が しかし、私のブログ内では 今までご紹介した事はありませんでした・・・

 

私のブログ内では 初めてのご紹介です。

クマソ系図(私の呼称) 続き・・・・

ブログ 宮原誠一の神社見聞牒 の みやはら様

No.162 仮説・ミカサとイナサによる修正松野連倭王系図 より お借り致しました<m(__)m>

 

 

 

 

私なりの呼称 クマソ系図 (倭王)系図です ご覧下さい。

 

2

 

 

 

倭王とは 倭の五王とは 九州から東に動いた方々とは・・・・

 

クマソの方々は もう一度言います!

滅ぼされてなど いません よ!

😊

 

あの・・・よくクマソの方々について、全く別の地の方々が(全国的に)

滅ぼされた人達

とか

滅ぼされた人達の悲哀

とか

書いていらっしゃる ようですが・・・・

 

この球磨の地にいれば よ~く 解るのです。

クマソの方々は

滅ぼされてなど いない!

と いう事が (^'^)

 

2021/01/30 13:20 追記

さらに、この系図に記された方々こそ

7300年前に喜界カルデラの爆発的噴火から逃れて大陸に渡った方々の末裔でいらっしゃると私は考えます。

球磨に南九州に 戻って来られた  そういう風に 感じます。

 

でなければ、 球磨の縄文時代の晩期の方々が、お龍っつあん御一行を温かく迎えて

一緒に水稲稲作を行うはずがありません😊

 

お龍っつあん の お話、未だ御覧ではないお方 は ぜひ ご覧下さい😊

 

 

 

1992年 人吉市政50周年事業実行委員会様 発行 
『九州相良 むかしがたり』 より 97ページ 


お龍っつあん

昔々、ず~っと遠いその昔、人が未ぁだ米作りをば知らんじゃったその昔の事じゃったげな。

お龍っつあんな此の田代村の人達に稲作りば教えぎゃあ来ないたとげな。

 今日も村の人達ば連れて、龍の前で水田作りに精出して、何時も同ン処に来てよけまんば

しをんないたげな。(※ よけまん = 休憩。おやつ)

そっで近頃まで、お龍っつあんのよけないた処ちゅうて塚が残って居り、

「モミ」の古木が生えて居った。

その開拓の神様が何時の間にか、水神様やら蛇の神様にきゃあしなったとにゃあ色々事情もあって、こぎゃんこともあったげな。(※きゃあしなった=そうなってしまった)

・・・以下物語は続きます<m(__)m>


以上 『九州相良 むかしがたり』 より 97ページ 

 

いつの時代やねん(ー_ー)!! (^▽^;) と ツッコミが入るような球磨の昔話でした😊

 

以上 追記 でした(^'^)

 

 

今回は、突然気が付いた事を元に

初めてご紹介する系図についても 触れさせて頂きました<m(__)m>

 

次回は頂いたご教示と前々回からの続きを書かせて頂きます。

堀ノ内様からのご教示には・・・マタマタ 滅ぼされた と言われていたけど

滅ぼされてなどいなかった・・平河氏のお話が繋がって参ります(p_-)

(このパターン 球磨は好きねぇ~ 独り言)

 

皆様、最後までご覧頂き ありがとうございました。

お身体十分にお気を付けてお過ごしになられて下さい。

 

ばあちゃんの事を思い出す時に 聞きたくなる曲です・・・

 

スティング Shape Of My Heart

メロディーが好きです・・・

 

 

 

 

 

球磨の地より ひろっぷ でした😊

 

次回『番外編 にゃん子のテリトリーと主人の絵と タヌキしゃん』 に続きます(^'^)