前回のブログ『久米・くま は実に神(かみ)の転語なりしなり。尻久米縄から理解した事

より続きます。

 

 

 

私が球磨から発信するこのブログを御覧頂き ありがとうございます。
お読み下さった皆様方には心から感謝いたしております。

 

今日は3月11日

東日本大震災から10年

犠牲となられた多くの方々の御冥福を心よりお祈り申し上げます

 

当日の記憶を思い出して悲しみに包まれていらっしゃる方々

辛い記憶がよみがえっていらっしゃる方々

日本全国の人達が皆様に心を寄せていらっしゃいます

 

私の住む熊本県球磨郡あさぎり町でも、地震発生の午後2時46分に

犠牲になられた全ての方々に哀悼の意を表し

防災ラジオの放送にあわせて

町民の方々が黙とうを捧げさせて頂きました。

 

 

 

あらためて
度重なる自然災害、さらに新型コロナウィルスの感染により、
愛するご家族、親戚やご友人の方々に看取られる事なく、一人で旅立つ事をよぎなくされた
御方々の御冥福を心よりお祈り申し上げます。

献身的な看護、そして治療に従事なさっていらっしゃる医療現場の方々の御苦労に

心から感謝致しております。 

感染なさった方々の早期回復をお祈りいたします。
この難局を世界中がいち早く乗り切れる日が来ることを心よりお祈りいたします。

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前回のブログ

久米・くま は実に神(かみ)の転語なりしなり。尻久米縄から理解した事 でご紹介した書籍

著者 林兼明氏 神に関する古語の研究

Amazonで購入させて頂き 家に届きました。

 

最初から、夢中で読みました。

 

そして・・・・

今まで自分が感じていた事 気になって仕方なかった事

無意識にブログでご紹介していた事

私の家の風習

何もかもが この書籍に記された内容で

その「源流となる事」とは何かを 理解させて頂いた事で

そうだったのだ・・・と深く納得させて頂きました

 

前回のブログで私は

この数回に渡るブログ投稿の「根源」となる事が解っていない私に・・
大きな御力が お導きを与えて下さった
そう 強く 感じました。

と書きましたが 間違っていない・・と強く感じました。

 

「この数回に渡るブログ投稿」どころではなく

昨年、大災害を受けて あらためて感じていた事、出合った場所

行きたくて仕方なかった場所

全てが何もかもが 

この書籍に記された内容で

その「源流となる事」とは何かを 理解させて頂いた事で

そうだったのだ・・・と深く納得させて頂きました

 

日本の名立たる神社様の宮司をお務めになられた御方々が

皇學館大学、國學院大學をはじめとする古学ご研究の名立たる大学の教授をお務めになられた御方々が

すべての日本人が読むべき古学研究書

神研究の原点となる書物

日本の神と大和文化の源流を知るための必読書

とおっしゃる

林兼明氏 ご著書 神に関する古語の研究

 

古代の研究を真摯に行われていらっしゃる方々は

日本の神々様に心をお寄せになられていらっしゃる方々は

ぜひお読みになられる事をお勧めする

一書 だと 私は強く感じます。

 

古事記 日本書紀に記された内容を参考となさらない方々は

著者 林兼明氏 神に関する古語の研究 の中で、神々に関わる古語が

奈良時代において、誤った言葉として伝わっていた事、

記紀の編纂の段階で 「意味を取り違えた内容」を知る事が出来ます。

その箇所の指摘 等を知る事が出来ます。

ぜひお読みになられる事をお勧めする

一書 だと 私は強く感じます。

 

林兼明氏は

その「奈良時代」において 誤った つまり誤訳によって 意味を取り違えた内容を

そのまま引用して各地に広がった形跡を指摘なさっていらっしゃいます。

 

その「意味を取り違えた内容」とは一体どういう事なのか

ぜひお読みになられる事をお勧めする

一書 だと 私は強く感じます。

 

時代は下って 山門 ヤマト この言葉が

縄文時代に遡って どういう意味を持つ どのような形態の土地の事を指しているのか

理解なさる事が可能となります。

ご興味がおありになられる方々はぜひお読みになられる事をお勧めする

一書 だと 私は強く感じます。

 

私は 目が覚めました・・・

私自身が 目が覚めました・・・

 

縄文時代 いえ 石器時代 いえ 漢字が入るずっと以前に使われていた

神様への祭祀に関わる 古代の言葉 が理解出来ないと

私が住む「地」の真実になど到底 到達など出来ないはず です。

 

私自身が 目が覚めました・・・

 

林兼明様は昭和19年にはすでに神に関する古語の研究の原稿をおまとめになられていらっしゃいました。戦後 心血を注いでご研究なさった原稿を以て出版社を周られていらしたというお話が記されておりました。

 

平成12年の出版に際し 林 兼明様のご子息

海部直 八十二代 元伊勢籠神社様 宮司でいらっしゃる 海部光彦様のお話には

昭和19年に本来ならば出版されるべきであった林の彫心鏤骨の研究原稿が、永い歴史の眠りから清く醒めて、56年ぶりに今陽の目をみようとしている。

と書かれていらっしゃり、目頭が熱くなりました。

 

林 兼明様は

昭和51年4月20日に78歳でお亡くなりになられました。


林兼明様のご研究に心から敬服し

出版をご成功なさった御方々に

とてもありがたい御本を世にお出し頂き 心よりお礼申し上げます。

 

 

ご紹介させて頂きます

著者 林兼明氏  神に関する古語の研究 です。

 

 

 
 
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今から書かせて頂く事は 私にとって永久保存版ともいえるブログ内容となるでしょう。
 
 
著者 林兼明氏  神に関する古語の研究 を拝読して
私の住む球磨の古代が見えて参りました。
 
ようやく 自分自身の疑問に対して、
この地に立ちはだかる 大きなカーテンのようなものがスーっと開かれて 光が指してきた・・・
そう感じました。
 
以下は 私の調査に関わる内容を抜粋して 自分がどう理解したのかを書かせて頂きます。
膨大なお話ですので、自らの調査に関わるお話のみを
ブログ数回にわけて書かせて頂きます。
 
神に関する古語の研究を拝読して
理解出来た 故郷の 古代 日の民の地
 
2021年3月11日
球磨の地より ひろっぷ
 
 
1.「神」は「日」に発祥する
   「かみ」(神)は「かひ」の転ぜる語なり
    影の意味を知りました・・・
 
神に関する古語の研究 第二節 神の語義
第三項 神の語義に関する結論の中に
私がずっと疑問であった 日と影の関係 その意味が記されていました。
 
「日」こそ隋ひて「日(ひ)―火(ひ)―霊(ひ)」こそ
実に日本民族の一切信念、一切習俗の
・・・大本源なりしものなり
 
大本源・・つまり 漢字が古代の日本に入るずっと以前、言葉で全てを伝えていた
遠い遥か昔の事です。
時代で言えば 石器時代~縄文時代にかけての事でしょうか・・
 
「かみ」(神)は「かひ」の転ぜる語なり・・・・
 
では 影 の本当の意味は・・・
ブログ「(再)球磨には本当に熊がいた!さらに麻斯登登は球磨弁 そして球磨川と対馬

で書かせて頂いたように 

 

球磨郡誌編纂の方々は

古事記の中には天孫降臨の條に此の言葉が何度も出て来る。
「襲=背」のかげとしての「くま」 古来熊襲之國として一括されて呼ばれた程密接な関係におかれた熊と襲、然して天孫降臨の景地としての襲を考へる時、
この球磨の地に阿母理神社・阿母理山の有るのは偶然ではない気がする。
 
と 記されていらっしゃいます。
 
さらに
ブログ「扁額とシトトと神代の文字 予告編御陵殿でチョッポ発見!」の中で書いたように

 

国宝青井阿蘇神社様の楼門に施された装飾について

陰陽一対 
人の心の荒々しさを表現した荒魂(あらみたま)を陽で、
和やかさを表現した和魂(にぎみたま)を陰で表現
と ありました。
 
さらに 2019年6月に書いた過去ブログの中で・・ご紹介した球磨の神社様

 

 

 

球磨郡側(あさぎり町)ご鎮座の 狗留孫神社様
 

江戸時代中期に編纂の「麻郡神社私考」には上記のあさぎり町上村の白髪岳頂上付近

ご鎮座の狗留孫神社様の御祭神に
「影向之神三座(よごうの神)」と記されていて
東ハ霧島神 
中ハ狗留孫権現
西ハ阿蘇神

と記されています。

 

「影向之神(よごうの神)」  
どう言う意味だろう ・・・・ずっと解らないでいました・・・

 

球磨の地に繋がる言葉 「影」・「陰」・・かげ

影 の意味とは・・

 

神に関する古語の研究 第二節 神の語義より

「かげ」(景・影) (名詞)

「かが」(赫)※あかい・輝く の転語なり

「日」の輝きをいふ

 

従来の学者は・・・多くこれを「曇る」意に解したけれどそれは明らかに誤謬なり

 

 

私も・・・従来の学者様と同じく 影 の意味を大きく取り違えていました・・

「影向之神(よごうの神)」  

「襲=背」のかげとしての「くま」

 

古代の言葉としての

「影(かげ)」とは 「日」の輝きの事を指していたのです・・・

 

球磨は 「日」の輝きと共にある地

やっと理解出来ました・・・

 

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2.「神」の語源は「かひ」(赫日)にあり

※影向の本義

※家の前に生える植物「葛」との関係

 

第四項 神の語源に関する証明 の中には

「神」の語源は「かひ」(赫日)にあり

と記されていました。

 

過去ブログで家の前に生える植物についてご紹介させて頂きました。

人間の地磁気感受性と阿米と繋がる中世の球磨

 

 

 

み山には あられ降るらし と山なる まさきのかづら 色づきにけり
—神遊びの歌、『古今集』巻第二十・1077番歌

 

 

第四項 神の語源に関する証明 の中に

「ひかげ = みかげ」

 

「葛」を以て天日の光輝を象徴して、これを「ひかげのかつら」といふ・・

 

日影葛(ひかげかずら) 天日日神の光耀を頭に奉載するの儀なり

「ひかげ」の語転じて「みかげ」といふ・・・・

 

「神」(天日日神)の影向の本義を認識して名付けたものと思考せざるを得ず。

 

とありました。

 

※「神」(天日日神)の影向の本義

※「影向之神(よごうの神)」

 

あああああっ・・・・・・・

前回同様 言葉を失うほど 驚きました・・・

 

球磨の地には 日本が忘れ去っていた

影・・

影向の本義が

今でも残っていたのです

 

私は あの時・・

家の前に生える葛の事を 何故? 突然ブログに書こうと思ったのだろう・・・?

しかし、言える事は 家の前に生える葛を調べていなければ、

先にご紹介した神に関する古語の研究に書かれた林兼明様のお言葉を

理解する事は出来なかっただろう そう考えました。

 

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3.「ゆがわ」の意味

※家の宮原家の風習

 

ブログ『地名「湯」は「イ・井」球磨弁と地名で解った事 序』 等にも書かせて頂いている・・

 

 

 

 

 

 

うちの宮原家が代々所有し水の神々様へのお務めをさせて頂いている

湯川(ゆがわ・ゆご)

 

 

 

球磨郡内 各地に沢山の 「ゆがわ・ゆご」と呼ばれる湧水地があります。

先にもご紹介したように、うちの宮原家では1日と15日に「ゆがわ・ゆご」の水の神々様への

お祀り、ご奉仕をさせて頂いております。

 

神に関する古語の研究の中で林兼明様は

「ゆがわ」 の本来の意味

本来の漢字表記を

「斎川」 (ゆがわ)

とお書きになられていらっしゃいました。

 

ゆがわ とは 「斎川」

斎祀る 川 ゆがわ

 

私は、うちの宮原家が古代からの本来の意味を代々理解して、祭祀を伝承してきた・・

という事をようやく理解する事が出来ました。

林兼明様に心から感謝しました。

 

お言葉を拝見した時に 涙が止まらくなってしまいました。

 

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4.肥国の肥は日の借字なり

 

林兼明様は神に関する古語の研究の中で 肥国の国名の由来を各項で記されていらっしゃいます。

拙い言葉にはなりますが、私がまとめさせて頂きます。

 

① くすび・くすみ について

 

くし と言う語 古事記 日本書紀 万葉集等に多く見受けられます。

奇稲田姫様をはじめとする多くの神々様が書籍には「見えたり」として記されています。

 

神に関する古語の研究より

この「く」は「奇」の音「キ」の転ぜるにはあらず

実に「かみ」(神)の語素「か」の文化せる語なり。

 

また古事記天孫降臨の条なる「日向之高千穂之久士布留嶽」の「くじぶる」の語は

「くしびふる」(奇日 奇霊 降る)の義なることその条に説けるが如し。

 

また古事記神代巻、「肥国」の別名を「建日向日豊久士比泥別」といへる「久士比」亦実に

「奇日」(奇霊)の義なりしなり。

 

天孫降臨

②日向(ひむか)なる事は 天孫東遷の肇国史実を最も明快に、最も力強く体証する「ことば」なり。

 

筑紫の四面

③古事記 「国生み」の条

 

次に筑紫島を生みたまひき、この島は身一つにして面四つあり。

 

故筑紫国を白日別と謂ひ、豊国を豊日別と謂ひ、

 

肥国を建日向日豊久士比泥別と謂ひ

 

熊曽国を建日別と謂ふ

とあり。

 

筑紫島をその地勢に従いて四面に分面せるにて、その命名の原拠

天日崇拝の民族信念に基づいて「日」の語を称名の根本要素となせるものなり。

 

 

④肥国の肥は日なり

「肥国」の「肥」は「日」の借字なり。

 

「久士比」は「奇し日(くしび)」の義なり。

 

かくてこの「肥国」(日の国)の名は、いみじくも天日の祖国、日神の本国なる

「日本(ひのもと)」の起源となれり。

 

この件の詳細は国号の「ひのもと」の条に考証せり。

 

 

 

拙い文章で私がまとめさせて頂きましたが、この続きを是非とも知りたい!

お考えになられた方々は 神に関する古語の研究をお手に取られて自らの目でじっくりとお読みになられて下さい。

 

 

何故「火」ではないのか・・

超古代の「日」祭祀の意味が 後世「火」の祭祀の意味に変わった・・

林兼明様は白髪岳についても 御触れでした。

(この件に関して 私がご紹介させて頂く事は ここまで です)

 

是非とも知りたい!とお考えになられた方々は 神に関する古語の研究をお手に取られて、自らの目でじっくりとお読みになられて下さい。

 

私は・・・

転記させて頂いている間、拙い文章ではありますが、自らまとめさせて頂いている間

何度も涙が溢れて 止まらなくなってしまいました・・・

 

これ以上 言葉が思いつかない程 感動いたしました

 

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5.ひと(人)の 語意

林兼明様は

神に関する古語の研究 

第四章 「ことば」に表現せる「日」の信念 の中で

 

人(ひと)の語は「日」の信念の精髄として生まれたり。

げに「人」こそは日神天つ神の申し子にありけり。

 

とお書きになられていらっしゃいます。

 

さらに

最も根本的たる第一義諦は「ひと」たるの自覚なり。

然してまた「日の国」「日の民」の自覚なり。

 

とお書きになられていらっしゃいます。

 

※人(ひと)の語は「日」の信念の精髄として生まれたり。

※げに「人」こそは日神天つ神の申し子にありけり。

※「肥国」の「肥」は「日」の借字なり。

※「人」たるの自覚・・「日の国」「日の民」の自覚なり。

 

こちらのお言葉を拝見させて頂き 私は はっ!と致しました。

平安時代の承平年間(931~938)、わが国最初の百科事典

『和名類聚抄(わみょうるいじゅうしょう)』によれば、

球磨郡には

『久米(くめ)』『球玖(くく)』『人吉(ひとよし)』『東村(ひがしむら)』『西村(にしむら)』『千脱(ちぬぎ)』の六郷がありました。

 

すなわち

『人吉(ひとよし)』は古代からの地名であります。

 

私はずっと 何故 「人吉」という不思議な地名が付けられたのか・・?

と考えていました。

 

しかし、ようやく 理解出来たのです・・!

 

人の語意は

※人(ひと)の語は「日」の信念の精髄として生まれたり。

 

※げに「人」こそは日神天つ神の申し子にありけり。

 

※「肥国」の「肥」は「日」の借字なり。

 

※「人」たるの自覚・・「日の国」「日の民」の自覚なり。

 

その「人」の文字を冠する 球磨郡 人吉郷

人吉は 「日の国」「日の民」の地なり

 

そう 私は理解致しました。

 

私は どうやら大きな勘違いをしていたようです・・・

 

球磨盆地は三日月の形をしている

だから・・月を信仰している方々が古代住まわれていたのか・・

と思い込んでいました。

 

しかし・・

多くの神社研究家の方々から 

この球磨の地に南九州に多く見られる月讀宮が見られない事を

不思議だ・・と指摘されていました。

 

その理由がようやく理解出来ました!

月の形をした盆地は

古代 日の神を信仰する方々が住まわれる 地であったから

です。

 

林兼明様のご著書 神に関する古語の研究 を拝読させて頂き

今回、このブログを書かせて頂き 強く その事を感じました。

 

補足・・

『久米(くめ)』『球玖(くく)』『人吉(ひとよし)』『東村(ひがしむら)』『西村(にしむら)』『千脱(ちぬぎ)』の六郷

神に関する古語の研究 の中で 林兼明様は

千木(ちぬぎ ちぎ) ・ 東 ・ 西 にも御触れになられていらっしゃいます。 

 

 

前回のブログ『久米・くま は実に神(かみ)の転語なりしなり。尻久米縄から理解した事

で理解させて頂いたように

 

 

※神 かみ なる語櫜のうち、流転の間委に自ら転訛せるもの

かも (鴨)・・加茂・賀茂 等

かめ ・・・かなめいし 亀 ※亀山 亀川等

くま   ・・・前 ・ 日前 ・ 熊襲 ・熊  ★  地名等

 

さらに

※「久米」は実に神(かみ)の転語なりしなり

※「くま」は同じく神(かみ)の転語なりしなり

※即ち「久米」は「くま」と全く同趣 神 の転訛なり

 

※熊襲の熊は同じく神(かみ)の転語なりしなり

 

 

そして 今回 勉強させて頂いて ブログを書かせて頂いて 強く感じました。

 

1.「神」は「日」に発祥する

 ※「かみ」(神)は「かひ」の転ぜる語なり
 ※「影(かげ)」とは 「日」の輝きの事を指していた
 
2.「神」の語源は「かひ」(赫日)にあり
 ※「神」(天日日神)の影向の本義
 ※「影向之神(よごうの神)」

 

3.「ゆがわ」の意味

 ※家の宮原家の風習

 

4.肥国の肥は日の借字なり

 

5.ひと(人)の 語意

人(ひと)の語は「日」の信念の精髄として生まれたり。

 

 

月の形をした球磨盆地は

古代 日の神を信仰する方々が住まわれる 地であった

強く その事を感じました。

 

 

加えて 今 強く感じているのは

月の形をした盆地

宇宙その物 を表しているような 

気が致します・・・・・

 

2020/01/24 投稿 のブログです。

 

 

 

 

球磨には月讀宮は御鎮座ではありませんが

少し離れた 元球磨郡の地から 月讀命様 は球磨を見つめていらっしゃいます。

(後日 詳しく 書かせて頂きます)

 

 

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ここまで

林 兼明様 ご著書  神に関する古語の研究 を拝読して

今までの私の調査との繋がり 根源 を勉強させて頂いた事を

書かせて頂きました。

 

林 兼明様 ご著書  神に関する古語の研究 には

まだまだ、拙 過去ブログに繋がるお話が沢山ございました。

 

熊襲の方々についても 驚きの記述がございました。

熊襲と天孫族は同一なり

(やはり 私の考えは 間違っていないような気が致しております)

 

もっともっと熟読させて頂き、勉強させて頂きます。

拙 過去ブログに繋がるお話は 次回以降 ご紹介させて頂きます。

 

 

 

皆様 最後までご覧頂き ありがとうございました。

今は決して油断できる時ではありません。

どうか お身体十分にお気を付けになられてお過ごし下さい。

 

最後に以前ご紹介させて頂いた SHOP STEPS様の動画

人吉球磨の情景 を載せさせて頂きます。

 

 

 

 

球磨の地より ひろっぷ でした。😊

 

次回 『①始まり 太陽に向かって進む人達』 に続きます。