前回のブログ『(番外編)昨日は祖父の命日でした』より続きます。

 

 

 

私が球磨から発信するこのブログを御覧頂き ありがとうございます。
お読み下さった皆様方には心から感謝いたしております。

 


度重なる自然災害、さらに新型コロナウィルスの感染により、
愛するご家族、親戚やご友人の方々に看取られる事なく、一人で旅立つ事をよぎなくされた
御方々の御冥福を心よりお祈り申し上げます。

献身的な看護、そして治療に従事なさっていらっしゃる医療現場の方々の御苦労に

心から感謝致しております。 

感染なさった方々の早期回復をお祈りいたします。
 

この難局を世界中がいち早く乗り切れる日が来ることを心よりお祈りいたします。

 

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今年の梅雨入りは 早かったですね・・・

2月に書いたブログで

スナップエンドウは少し早く春を感じているようです・・

と書きましたが

植物はこの気象をすでに冬の間から感じていたのだな~ と思いました。

 

球磨・人吉地方は、「九州北部」となるようですが(気象庁の発表内容等では)

しかし・・・「九州南部」が梅雨入りした日から殆ど、この地域は雨です。

すでに大雨洪水警報や大雨洪水注意報が度々・・

 

今日19日は週間天気予報では「晴れのち曇り」だったので😊、お日様を楽しみにしていたのですが・・・昨晩の予報では熊本県内において、水俣市や人吉球磨地方だけは・・

曇りのち雨

が~ん 😥

 

お日様が恋しいなぁ~と思っていたら昼過ぎから晴れ間が少し見えました😊

しかし・・・今日もスナップエンドウの収穫のお手伝いだったのですが

ハウスの中は とても蒸し暑かったです😳

 

梅雨入りが早いと農家の方々は大変です。

野菜が根腐れしてしまいます。

 

以前ブログに書きましたように

河川の堆積土砂掘削作業が数か月前から連日続いていました。

私の住む集落でも、

毎日のように大型ダンプカーが何台も連なって作業に向かわれています。

 

梅雨入りが早まり 雨の中での作業はとても大変な事だと思います。

心からの感謝と共に

どうか 皆様 ご安全に

と祈っております

 

先日、籾撒きのお手伝いをしたのですが・・・大変でした

15町以上分の田んぼの籾を苗床に蒔く作業で、今はオートメーション化されているとはいえ

土を運ぶ作業(私)、苗床をセットする人、籾を機械に入れる人、苗床を大きく広げる人

水を一面にたっぷりと撒く人 ・・と皆で作業分担して仕事をしました。

 

米という字は 八十八の手をかける事に繋がっている と聞いていて

解っているつもりですが

籾撒きの段階から とても大変で

毎日頂く ご飯の お米の ありがたさを

つくづく 身に染みて感じました。

 

 

心から感謝を込めて

いただきます

 

ですね😊

 

 

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今日も朝から終日農作業のお手伝いをさせて頂きました。

さて・・食事の準備を・・・と その前に・・・(p_-)

 

最近 新たに気が付いていた事が沢山あります(p_-)

と言う事で 早速 <m(__)m>

 

 

 

1.肥人之書には 「ん」 が無い・・

 

ブログ『扁額とシトトと神代の文字 予告編御陵殿でチョッポ発見! 』 で

項 4.肥人之書(こまひとのて)は神代の文字・・
において 肥人之書(こまひとのて)について書かせて頂きました。

 

 

 

以下 簡単にまとめた内容です<m(__)m>

 

「阿比留草文字(肥人書)」

①古代の肥後国球磨郡(球磨川流域)に住んでいた人(肥人:くまびと、こまひと)が 使っていた文字とされることから肥人書(くまびとのて)

 

②対馬国の卜部氏・阿比留氏に伝わったといわれる文字「阿比留文字」と共に

「阿比留草文字(肥人書)」は阿比留家の文書に対馬文字と共に書かれている。

 

③「阿比留草文字(肥人書)」は各地の神社において神璽や守符、奉納文などに用いられている文字である。神代文字の一つともされている。

 

名立たる神社様・・・

※伊勢神宮に奉納された神代文字による奉納文の中では、最も多く用いられている。

※鶴岡八幡宮のほかに鹿島神宮、大神神社、法隆寺、出雲大社など各地の寺社に伝えられるとしている。

※『美社神字録』や、『かむことのよそあり』に採録される「大祓詞」では、阿波文字との混ぜ書きが用いられている。

 

Ahiru kusa characters 1.jpg

 

 

「阿比留草文字(肥人書)」は神代文字の一つ

 

神代文字とは ウィキペディアより抜粋

神代文字とは漢字伝来以前に使用されたものであるという主張とともに紹介された多様な文字、文字様のものを指して用いられる名称で、神話や古史古伝に深く結びつき神代に使用された文字であると主張されているものと、後代になって神代文字の一種とみなされるようになったものとがある。

 

 

上記以外に 最近 私が気が付いていた事は・・・

「ん」 の文字についてです😊

 

阿比留草文字(肥人書)

ウィキペディアの記述中に今まで見落としていた内容がありました😥😥

 

 

 

 

ウィキペディアより 見落としていた内容を以下に転記致します<m(__)m>

 

各地の神社において神璽や守符に用いられ阿伎留神社には神符の発行に用いられた版木が残されている。伊勢神宮に奉納された神代文字による奉納文の中では、最も多く用いられている。 また、幾つかの書体がある。

日本語の五十音に基本的に対応しているが、歴史的仮名遣いである為に濁音や半濁音を表す文字はなく、
「ん」に相当する文字も存在しない

 

阿比留草文字は、甲骨文字や金文によく似ているため、これらを基にした文字であるという説がある。

 

以上 ウィキペディアより抜粋

 

 

※日本語の五十音に基本的に対応しているが、歴史的仮名遣いである為に濁音や半濁音を表す文字はなく、「ん」に相当する文字も存在しない。

 

 

「ん」に相当する文字も存在しない

あれっ??🙄

ああああああああっ!! \(◎o◎)/!

 

(p_-)

私の過去ブログをありがたい事ですが続けてお読み下さっている皆様方であれば

もう お解りになられた事だと思います。

 

球磨弁の「ん」の使い方は独特です(p_-)

 

例えば・・

宮原 は姓であれば「みやはら」ですが(p_-)

地名の場合は

宮原 は みやんはる

この場合は 「みやのはら」 が「みやんはる」 になり つまり・・

「の」 が 「ん」 になります(p_-)

 

お隣の宮崎県内にある都城市 を 球磨人は

都城(みやこのじょう) を 「みやこんじょ」 と言いますので

「の」 が 「ん」 の 一例ですね(p_-)

 

〇〇さんの家 は 

球磨弁で

〇〇ん方 もしくは 〇〇んぎゃ ぎゃ=方・家

「の」 が 「ん」 です

 

森園(もりぞの) は 「もいのそん」

※地域限定 あさぎり町岡原地区の方言

「の」 が 「ん」 

 

 

「に」 = 「ん」 の例

遊びに行く は 「あそびん 行ってくっで(^^)/」

「に」 が 「ん」

 

大谷(おおたに)は・・球磨弁で(あさぎり町上村では)
う~たん です!

「に」 が 「ん」

 

 

「の」 が 「ん」

「に」 が 「ん」

上記はほんの一例なので、もっと ●=ん という方言は沢山あると思います(p_-)

 

つまり 球磨弁には 固定された「ん」 ではなく(ー_ー)!!

多様な「ん」 が非常に多い

 

 

古代の肥後国球磨郡(球磨川流域)に住んでいた人(肥人:くまびと、こまひと)が 

使っていた文字とされることから肥人書(くまびとのて)

 

※阿比留草文字(肥人書)※には 「ん」に相当する文字も存在しない

 

「ん」に相当する文字は 多様すぎて いえ・・・

様々な文字が「ん」に変わる?ので 「ん」に相当する文字は 必要なかったのでは・・!?

 

この事は・・どんなに学識がおありになられる方でいらっしゃっても

球磨弁を御存じなかったら

お解りにならない事なのでは・・・!?

 

と 私は 考えました(p_-)

 

 

所で・・・

※阿比留草文字は、甲骨文字や金文によく似ているため、これらを基にした文字であるという説がある。

 

甲骨文字や金文

 

 

 

甲骨文字(こうこつもじ)とは、中国・殷(商)時代の遺跡から出土する古代文字。

古代中国でおこなわれた占卜を、当時の文字でカメの甲羅やウシの肩甲骨の上に刻みつけて記録したものである。漢字の原初形態であり、現在確認できる漢字の最古の祖形を伝えている。亀甲獣骨文字、甲骨文ともいう。

 

 

中国・殷

ブログ『⑦備えと 韓国岳と夷守岳と卵生伝説・・』 で書いた事

ここで 繋がってくるのですね・・・

 

 

※「卵から生まれた」共通の伝説

「殷の契の母は簡狄といい、帝嚳の次妃であった。ある日、外出して川で浴していると、玄鳥が卵を落としていった。簡狄がこれを拾って呑むと、身ごもって契を生んだ」
この「契」こそ、殷の初代の王、湯王の始祖である。

 

張様は
こうした「卵から生まれた」という物語はすべて、帝王が自らの絶対的権威を樹立するためにわざと神秘化したものだとは言え、それが同一の文化の伝承であることは疑いのない事実である。「卵生」の源流は、「倭人」のトーテムの文化にまで溯ることができる、と私は考えている。

とお書きになられていらっしゃいます。

 
※「卵生」の源流は、
「倭人」のトーテムの文化にまで溯ることができる

 

以前、ブログで書いたように 菱形の文様は12000年~8000年前の

球磨郡多良木町から出土した縄文土器にすでに施されていました・・・

 

菱形文様は中国から伝わった・・と通説では言われていましたが

球磨の縄文土器は その通説を覆す物 だと 私はど素人ながら考えます

 

 

「阿比留草文字(肥人書)」は神代文字の一つ

鳥が先か卵が先か・・・

また 一つ 鍵が見えてきたようです・・・

 

 

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2.コサンの味噌汁

 

5月に入り、家の前の竹藪にコサン(タケノコ)がにょきにょき生えて参りました😊

一般のタケノコの季節とは少しずれて生えてくるのが「コサン」の特徴です😊

 

家の前の竹藪

 

 

コサン(タケノコ) にょきにょき

 

 

 

 

コサン(タケノコ)は 足でぽ~んと蹴とばすと(お行儀悪いですが(^▽^;) )

ポキッ と簡単に折れます😊

 

 

コサン(タケノコ)はあく抜きする必要がなく(ー_ー)!! 😊

直ぐに調理出来て、味噌汁に入れると それは とても美味しいです😊

 

家の前の竹藪のコサン(タケノコ)は、地域の方々も楽しみにしていて、この季節、

誰かしら必ず、ポキッ とコサン(タケノコ)を取りに来られます。

 

料理上手な奥様方は コサン(タケノコ)を メンマにされます。

ただ・・球磨のメンマは中国のメンマとは違い(ー_ー)!!

お醤油と砂糖で甘辛く煮た料理です😊 (お煮しめとは違うのですよねぇ・・🙄 )

 

祖母は湯がいて酢味噌であえて、山椒の葉を散らして・・・

あ~懐かしい・・あの味が私にはどうしても作れないのですよね・・

 

コサン(タケノコ)の生えている竹藪は江戸時代の古地図に「久米川」と記された

今は「井口川」となった川の土手になります。

 

この「久米川」※井口川

祖母くらいまでの年代の方は「鶴の川」 球磨弁で「つるん川」 と呼んでいました。

 

 

旧球磨郡久米郷宮原村の久米川の土手には

コサン が生えている・・・

コサンは成長すると 小さな竹となる・・・

 

 

所で・・(p_-)

先日、コサンの お味噌汁作りながら 気になる事がありました。

 

yabutsubakime様 がご自身のブログ内で

小竹 地名」について探求なさっていらっしゃる事が 頭を過りました。

 

 

詳しくは yabutsubakime様のブログをご覧頂ければと願います<m(__)m>

 

 

 

 

 

 

yabutsubakime様は 

植物としての「小竹」 に 着目なさっていらっしゃいます。

 

※旧球磨郡久米郷宮原村の久米川の土手には 

コサン が生えている・・・

 

私は 凄く 気になってしまいました・・

 

 

 

そこで、初めて「コサン」って何だろう??🙄 と・・ 

子供の頃から慣れ親しんでいたので 調べた事がありませんでした😥

 

 

「コサン」とは (p_-)  ・・・・ 解りました (p_-) !

ホテイチク ウィキペディアより

 

 

 

ホテイチク(布袋竹)はマダケ属に属する竹の一種。

別名 多般竹、鹿児島県ではコサンダケ(小桟竹・虎山竹・五三竹)と呼ばれ、

奄美大島ではくさんでー、だーなとも言う。

 

概要
直径2-5cm、高さ5-12mの中形の竹。

表面に毛は無いが、底部には白く短い毛がある。枝先に葉が2-5枚付く。

花は穂状に付き、長さ3-8mm。

 

原産は中国の長江流域、または浙江省、福建省の山地で、黄河以南の山野に分布する。

ベトナムではバックカン省など、北部に分布する。日本や台湾などにも移入され、自生化している。開花周期は60年‐120年。

稈の基部から枝下あたりまでの節が斜めになって、節間が不規則に短く詰まって膨らんでいる。それが七福神の布袋の膨らんだ腹を連想させることから布袋竹と名付けられた。

中国では「人面竹」と呼んでいるが、布袋と同じ連想の「羅漢竹」、「寿星竹」、「仏肚竹」や、「観音竹」、「邛竹」などの別名もある。

 

同様の節の形を有するモウソウチクの変種はキッコウチク(亀甲竹)と呼ばれ、その直径は約10cmでホテイチクよりも太い。

 

用材
節の斜めになった部分が握りやすく、乾燥材は折れにくいため、釣り竿として使われる。かつて、ホテイチク製の釣り竿が外貨獲得の花形だった時期がある。

モウソウチクなどと同じ様に加工して、杖、小さい器や柄杓などを作ることもできる。

稈は他に若竹の幹を破って、薄い内膜を鳴らす子供の玩具とし、その音からググ竹と呼ばれた。

食材
タケノコ(薩隅方言で「こさんだけんこ」)は

モウソウチクのタケノコの時期より後の4月下旬から5月上旬(中国では主に5月)に出てくる

地上部を、手で折るとポンと音がして取れるが、鎌で刈ることもある。

 

無毛で、竹皮も手で剥ぎ取ることができる上、アク抜きの必要がなく、歯ごたえも味もよい。

一般に煮付け、炊き込みご飯、みそ汁、漬物で食べられる。

鹿児島県では軽くゆでて、刺身と同様に酢味噌を付けて食べることも多い。

 

中国では、「小笋尖」などとも呼び、鶏肉などとスープにしたり、炒め物にして食べることが多いが、メンマ(シナチク)にも加工される。

 

以上 ウィキペディアより 転記致しました。

 

 

 

 

※ホテイチク(布袋竹) 

別名 多般竹、鹿児島県ではコサンダケ(小桟竹・虎山竹・五三竹)と呼ばれ、奄美大島ではくさんでー、だーなとも言う。

 

球磨地方でも「コサン」と 言いますね😊

 

家の前の竹藪 のコサン

 

 

原産は中国の長江流域、または浙江省、福建省の山地で、黄河以南の山野に分布

ベトナムではバックカン省など、北部に分布する。

 

日本や台湾などにも移入され、自生化している。

 

あっ・・・・・!!

中国の長江流域、または浙江省、福建省の山地・・

マタマタ・・この地域だ・・・

 

 

ここまで調べて理解出来た事は(p_-)

球磨郡久米郷の久米川の土手の竹藪には

中国の長江流域、または浙江省、福建省 (黄河以南の山野)が

原産のコサンタケンコが 自生している・・

 

と いう事でした。

 

小竹・・・小桟竹(コサン竹)・・・???

 

 

しかし・・・この季節に食するのが当たり前😊だった コサン(タケンコ) が

球磨と関わりの深い地域が原産だったとは

凄く 驚きました・・

 

参考 ブログ

 

 

 

 

 

 

 

そう言えば・・・竹って イネ科 ですよね・・・🙄・・・ (p_-)

 

 

過去ブログでも数回ご紹介しましたように

球磨郡錦町の大原天子遺跡では、

それまで縄文時代には無いと考えられてきた有肩打製石斧が出土

 

 

有肩打製石斧とは コトバンク様より

https://kotobank.jp/word/%E6%9C%89%E8%82%A9%E7%9F%B3%E6%96%A7-144704

 

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

磨製石斧の頭部両側に肩部をつけた石器。硬質の岩石を選び板状につくられ片刃のものが多いが、肉厚な方柱状のものもある。

 

マレー半島部のタイを除くタイ全域、ベトナム、カンボジア、ラオス、中国南部の水稲農耕文化発生地域に広く分布する新石器時代末の特徴的石器。

 

本来のものは手斧(ちょうな)的な木工具と考えられる。

 

中国の長江(揚子江)南部杭州(こうしゅう)付近からも数例の出土品が報告され、わが国の弥生(やよい)文化の遺跡からも長さ5センチメートル前後の小形品が3例ほど出土している。

 

松本信広は、水稲農耕文化が東南アジア圏からの波及に伴い、言語、神話伝承などとともに渡来したものではないかとする考説を発表した。

 

本来のものは最小長さ7センチメートル前後、大きなものは20センチメートルを超すものもあり、弥生文化遺跡出土のものは本来の有肩石斧の用途を失ったものと思われる。

 

近年、西九州地方長崎県島原半島、熊本県南西部などで、縄文文化後期末ないし晩期の遺跡から長さ10センチメートル前後の硬質な岩石でつくられた片刃変形有肩石斧が発見されており、稲のわが国への長江南部地方からの伝来も、ほぼこの時期であることが最近明らかになった。

有肩石斧の伝来経路と時期がこの問題の鍵(かぎ)を握るものと思われる。

 

以上 コトバンク様より転記致しました。

 

 

上記の・・熊本県南西部 とは

球磨郡の錦町大原天子遺跡

 

あらためて・・・

そう言えば・・・竹って イネ科 ですよね・・・🙄・・・ (p_-)

 

 

 

今回は

1.肥人之書には 「ん」 が無い・・

2.コサンの味噌汁

 

と言ったお話を書かせて頂きました 😊

 

 

やはり 鳥が先か卵が先か は 球磨の古代を調べるにあたって

とても重要なテーマ のような 気が致します・・

 

 

最後までご覧頂き ありがとうございました。

皆様、お身体十分にお気を付けになられてお過ごし下さい。

 

 

 

 

肥人書(こまびとの書)は 神代の文字・・・

今回、ご紹介する曲は、 最近考え事をする時によく聞いている曲で

アニメ 攻殻機動隊 から Reincarnation を <m(__)m>

 

 

こちらの曲は・・・

歌詞が日本の古語 なのです・・・

 

 

吾が舞えば
麗し女 酔いにけり
吾が舞えば
照る月 響むなり

夜這いに 神天下りて
夜は明け
鵺鳥鳴く
吾が舞えば
麗し女 酔いにけり
吾が舞えば
照る月 響むなり
夜這いに 神天下りて
夜は明け
鵺鳥鳴く
遠神恵賜
遠神恵賜
遠神恵賜

 

 

 

皆様 だんだんなぁ~

球磨の地より ひろっぷでした😊

 

次回『⑪球磨の思川・伊良目・高柱・チヂ そして天子』 に続きます。