前回のブログ

⑬斎木(いつき)の縄文時代と経国集編纂に携わったご先祖様方』より続きます。

 

 

2021/06/21 07:00 追記

2021/06/19 投稿の当ブログ すでにお読み頂いた方々へ

 

拙ブログをお読み頂き心から感謝申し上げます。

ブログ投稿後、とても大切な事を記していなかった事を反省し、あえて、次回ブログではなく

今回のブログ内に追記を加えました。

 

追記内容は 以下の通りです

 

1.日本列島最古の陸地・・での追記

「古人吉湖」から縄文時代・弥生時代 を経た のち・・

時代はかなり下り・・平安時代「この地」は 治天の君荘園領主であられる 王家領

球磨御領 でありました。

 

2.球磨の地名には神様を感じる事・・での追記

旧 王家領「球磨御領」の高原(たかんばる) 台地を下った所 地名は

野間  です。

野間・・・鹿児島の旧笠沙町 現南さつま市

野間半島・野間岬 と同じ 野間 という地名 です

 

高原台地上には「立神」という地名も残っています

 

さらに

旧 王家領「球磨御領」の神殿原(こうどんばる)には

畝宮 という地名が残っています

 

以上 今回のブログ内で書いておかなければならない!と強く感じた事を

追記 させて頂きました  ひろっぷ <m(__)m>

 

 

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私が球磨から発信するこのブログを御覧頂き ありがとうございます。
お読み下さった皆様方には心から感謝いたしております。

 


度重なる自然災害、さらに新型コロナウィルスの感染により、
愛するご家族、親戚やご友人の方々に看取られる事なく、一人で旅立つ事をよぎなくされた
御方々の御冥福を心よりお祈り申し上げます。

献身的な看護、そして治療に従事なさっていらっしゃる医療現場の方々の御苦労に

心から感謝致しております。 

感染なさった方々の早期回復をお祈りいたします。
 

この難局を世界中がいち早く乗り切れる日が来ることを心よりお祈りいたします。

 

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前回のブログで

朝日が市房山の近くから登っていました・・・???
そこで、考えたのですが🙄 ・・
夏至の頃、もしかしたら この球磨盆地・・
朝日は市房山近くから登ってくるのではないのかな ・・・?
と・・
とても興味があるので、調べてみたい!と 思います
😊

 

と書きましたが、今朝の朝日は、やはり・・(p_-)

明らかに市房山のすぐ近くから登っていました😊

 

 

昨日(6月17日) 6時前に撮った 市房山と朝日です😊

 

 

田植の終わった田んぼに朝日が映ってとても綺麗でした😊

 

 

そこで・・・

私は球磨盆地の日の出を調べようとしたのですが・・・🙄 その事により

ナント 全く別の事 (ー_ー)!!

「日本列島最古の陸地」について知る事になりました\(◎o◎)/!

 

早速皆様にお伝えしなければ! と思いまして

今回は『日本列島最古の陸地の高原と神殿原』 という内容を書かせて頂きます。

<m(__)m>  😊 (日の出の位置は後日 調べます・・)

 

※ブログの最後に書いていますが、

きっと・・中世のご先祖様方が、「自分達の事を書くにはマダマダ本質が解っていない!」と
私に勉強をさせて下さったのだと 思います・・

そう 感じて います・・・


 

 

1.日本列島最古の陸地・・

 

市房山は九州の脊梁 九州中央山地国定公園内に聳えるお山です😊

 

辞典・百科事典の検索サービス - Weblio辞書様 内

一般財団法人自然公園財団様の九州中央山地国定公園 に

今まで全く知らなかった事が記されていました。

 

 

 

九州のほぼ中央部、九州の脊梁をつくる九州山地の一部で、公園区域は国見岳(1,739m)周辺の主要部と、その南に秀麗な姿を見せる市房(いちふさ)山(1,721m)、さらに大森岳を中心とする綾(あや)地区の3つに分かれている。

 

この地域は日本で最も古い陸地の一つとされ、日本固有の植物を多く産することで知られる。

山並みの重なりは厚く、谷は深く、植生は下部は照葉樹の、上部はブナなどの落葉広葉樹の厚い森に覆われている。市房山は植物の宝庫として知られ、また、綾南(あやみなみ)川流域には、日本では今や数少ない、まとまった面積の照葉樹の自然林がある。

 

以上 一般財団法人自然公園財団 様の九州中央山地国定公園 より 転記

 

 

※この地域は日本で最も古い陸地の一つとされ、日本固有の植物を多く産することで知られる。

 

 

えっ!? 

日本で最も古い陸地の一つとされ・・・

どういう事なのだろう !?

 

凄く驚いて さらに 調べました (p_-)

 

すると・・・ 今まで私は不勉強で何も知らなかったのですが、非常に多くの情報が公開されていました!

 

 

平成14年3月

九州中央山地森林生物遺伝資源保存林 調査報告書

九州森林管理局 社団法人 日本林業技術協会 様 より 抜粋させて頂きます。

 

https://www.rinya.maff.go.jp/j/kokuyu_rinya/kakusyu_siryo/pdf/00471_7_h13.pdf

 

 

地形 地質より 抜粋

「九州中央山地」は、熊本県と宮崎県の分水嶺の山脈とその周辺に広がる山地を指す。

 

九州中央山地の最高峰、標高1,739mの国見岳を中心に、1,300mから1,700mの山々が連なっていて、際立った独立峰もなく高い割には広くなだらかな準平原上となっている。

 

各河川の上流域は、急峻なV字谷となり、変化に富んだ地形を造り出している。

この山地の主な部分を含む九州から四国を経て紀伊半島にかけての陸地は新生第三紀以降ずっと水没せずに海面上に現れていた日本で最も古い陸地の一つという特徴を持ち、

日本固有の植物が数多く進化してきている

それらの植物は「襲速紀要素」と呼ばれている。

 

以上 九州中央山地森林生物遺伝資源保存林 調査報告書より抜粋させて頂きました。

 

 

※この山地の主な部分を含む九州から四国を経て紀伊半島にかけての陸地は新生第三紀以降ずっと水没せずに海面上に現れていた日本で最も古い陸地の一つという特徴を持ち、

日本固有の植物が数多く進化してきている。

 

 

新生第三紀以降・・ ウィキペディアより

新第三紀(しんだいさんき、Neogene period)は地質時代の区分の一つで、

2,303万年前から258万年前までの時代を指す。新生代の第2の紀であり、古第三紀から

続き、第四紀へ繋がる。

 

 

※2,303万年前 この時代から 海面上にずっと現れていた陸地・・

ええええ~っ!! \(◎o◎)/!

 

 

さらに調べました(p_-)

詳細検討対象地域の個票(案) - 環境省 より 抜粋致します<m(__)m>

https://www.env.go.jp/nature/isan/kento/030422/mat04.pdf

 

 

九州中央山地は、日本で最も古い陸地の一つで、第三紀以降ずっと海面上に現れていた。このことが、この地域での固有種の分化に寄与したものと考えられ、地球の歴史の主要な段階を表す顕著な見本である。 

 

 

※地球の歴史の主要な段階を表す顕著な見本である。

 

えええええ~っ!! \(◎o◎)/!

 

私は 地球の歴史の主要な段階を表す顕著な見本 の山々を毎日眺めているんだ・・・

 

わぁ~ ・・・・

 

環境省様の記述では

第三紀以降ずっと海面上に現れていた。

となっていますが・・

 

第三紀とは・・ ウィキペディアより

 

 

第三紀(だいさんき、Tertiary)は地質時代区分の1つである。

 

絶対年代では、6430万年前から260万年前までである。

国際地質科学連合(IUGS)は「非公式用語」に位置づけている。

三紀層と呼んでいたこともある。

 

 

6430万年前から260万年前

うわぁぁぁぁぁぁぁ ・・・・

 

この時代から・・

海面上にずっと現れていた陸地・・

 

 

面白く?なってきたので もっと調べました(p_-)

すると・・・

私が住んでいる球磨盆地にも言及したお話を見つける事が出来ましたので

ご紹介致します<m(__)m>

 

 

 

生物多様性の現状と課題 - 熊本県 より 抜粋させて頂きます。

https://www.pref.kumamoto.jp/uploaded/attachment/22098.pdf

 

 

19ページより

県南部は北東から南西に走る標高1,000mを超す九州中央山地の山々が連なり、深い谷を形成しています。

これらの地域は激しい構造運動を受けたあと、いったん準平原化し、再び、急激な上昇をおこして山脈化したものです。

 

人吉盆地はこの上昇運動に取り残された断層角盆地で、盆地東部には複合扇状地が作られています。

 

20ページより

三つ目の特徴は、襲速紀(そはやき:植物学的な地域区分の一つで

地質学的に西南日本の外帯と呼ばれる地域)地区の要素をはじめとする日本固有種のハリモミ、ヒメシャラ、ツクシシャクナゲ、ツクシチャルメルソウ、シノノメソウなどが、

日本で最も古い陸地の一つである九州中央山地を中心として広く生育していることです。

 

以上 生物多様性の現状と課題 - 熊本県 より 抜粋

 

 

 

これらの地域は激しい構造運動を受けたあと、いったん準平原化し、再び急激な上昇をおこして山脈化した・・

人吉盆地(球磨盆地)はこの上昇運動に取り残された断層角盆地で、盆地東部には複合扇状地が作られている・・

 

 

私が住んでいる地域は第三紀以降ずっと海面上に現れていた

日本で最も古い陸地の一つの上下運動に取り残された

盆地 だったのだ・・・

 

\(◎o◎)/!  えええ~っ \(゜ロ\)(/ロ゜)/

 

 

標高は130~230mの平坦な断層盆地

 

 

この 日本で最も古い陸地の一つの上下運動に取り残された盆地には 

その後山々に降った雨水や湧水が溜まり 今から200万年程むかしに 古代湖となりました

古人吉湖」と呼ばれる湖 です。😊

 

この湖は約100万年前までに消失し、その跡に残されたのが人吉盆地(球磨盆地)

となります😊

 

この人吉盆地(球磨盆地)には11万年前の遺跡が存在して、人の営みが確認出来ます😊

 

縄文時代を経て、弥生時代には 何かしらの国・・となっていた訳です(p_-)

 

2021/06/21 追記

時代はかなり下り・・平安時代「この地」は治天の君荘園領主であられる王家領

球磨御領 でありました。

 

近代 この人吉盆地(球磨盆地)には昭和30年代まで 約15万人の人達が住んでいました。

その後は・・・過疎化が進み 人口が激減しています😥

 

ここまで、勉強して、私は過去何度もご紹介したこの地における日本最古級と言われる数々の出土品が めちゃくちゃ新しい時代 の物 のように感じてしまいました・・

 

 

日本で最も古い陸地

これ以上の日本最古級は この地「球磨」の歴史にはもう 無い! と思います。

(これ以上って言ったら・・世界最古級になってしまいます・・🙄・・)

 

ただ・・こういう地だからこそ

日本最古級と言われる数々の出土品を使用した人達が住んだのかもしれない・・

そう感じました・・・

 

 

 

日本で最も古い陸地 グループ?は・・  先述した

襲速紀要素

 

 

 

襲速紀要素(そはやきようそ、英語: Sohayaki element)とは、植生の地理的な分類において、九州中南部(沖縄を除く)・四国南部・紀伊半島・東海地方に分布の中心がある、又はこの地域に特徴的な植物のことである。

 

特徴
植物学者の小泉源一博士が名付けた用語とされるが、具体的には定義されておらず、

その語の由来は以下のように推測されている。

襲…かつて九州南部に民族である熊襲(くまそ)
速…豊予海峡の古い呼び名である速吸瀬戸(はやすいのせと)
紀…紀伊国

 

これらの地区は、海を隔てているが、いずれも温暖多雨な気候で深い森林を有し、

共通の植物種が生息している。

襲速紀要素には、およそ100種類の植物が挙げられ、日本固有種が多く含まれている。

 

以上 ウィキペディアより 抜粋いたしました 😊

 

 

 

日本列島にポツポツと点在する6430万年前から一度も海に沈む事なく地上に現れていた陸地のグループ?は

九州中南部(沖縄を除く)・四国南部・紀伊半島・東海地方に分布の中心があり いずれも温暖多雨な気候で深い森林を有し、

共通の植物種「日本固有種」が生息している。

 

 

感動しました・・・

 

 

紀伊半島・・・

そう言えば熊野の山々をテレビで拝見している時に、こちら球磨盆地を囲む山々の奥地にとても良く似ているなぁ~ と感じていました。

 

熊野 と 球磨

クマで繋がっている地 ですね

 

唐突ですが・・

 

人格をお持ちの神々様

 

しかし、私は、球磨の奥地の山々に伺った時に感じる山の神々様は

地球本来の神々様 大古の昔から日本の・・

自然の中にいらっしゃる神々様です・・

 

 

九州中央山地

球磨に戻ってきてすぐの年

 

主人と宮崎県の綾町にドライブに行った事がありました😊

 

行きは大きな国道を通って行ったのですが・・

帰りは、私が

「綾町だったら山道を進むと、黒原山の裏側に出るはずよ!」

と主人に行って、林道を通って帰る事にしたのです。

 

主人は不安そうでしたが、ナビを使ったら大丈夫!と私が推すので、主人も仕方なく山道を通る事にしたのですが・・・

 

 

直線距離だと近く感じたのですが、実際には山道をクネクネと・・

 

 

物凄い 山また山で・・ とても狭い道を崖の下は数百メートルはあるか!?

という道を通って😥 こういう所には決して誰も住んでいない・・

人は入ったらダメなのでは・・という道をただただ進んで行きました・・

 

途中で主人が凄く標高の高い場所で車を停めたのですが、外に出ると、

それはそれは・・

何とも言えない空気、御力を感じてしまい、思わず私は 大きな声で

 

「申し訳ありません。この道を通らして頂きます!」

 

と、その圧倒されるような空気、荘厳な山々に向かってお伝えしました。

 

私達が通った道こそ、日本で最も古い陸地の一つ 九州中央山地内

 

宮崎県綾町と球磨郡久米郷に連なる山々を通る林道だったのだ・・・と

今になって ようやく解りました。

 

その後も この数年間、人吉盆地(球磨盆地)の平野部から山の奥に行く度に

 

圧倒されるような空気、荘厳な山々を感じる事が

度々あったのですが・・

 

今回、勉強して「その意味」が やっと・・そう・・ようやく 解った・・と思いました。

 

そこに感じるのは 明らかに 人 では 無いのです・・・

大古の昔から 地球に存在する 荘厳な 御力・・

です・・

 

 

私は 前回のブログで 九州中央山地内にある斎木(五木)の縄文時代遺跡

頭地下手遺跡(頭地=とうじ)を勉強した際に

 

こういう地だから・・平家の公達 の方々が逃れて来られていたのかな・・・・

と書きましたが・・

 

「こういう地だから・・」 の本当の意味がまだまだ解っていない!と

ご先祖様方から お導きを頂いた  そう感じました

 

今回、勉強した事が

本質 なのだ・・

全ての 根源 なのだ・・

 

そう感じています・・・

 

斎木 ・・ 斎 ・・ の本当の意味が解ったかもしれません・・

 

 

そして・・・もう一つ 感じた事があります

 

 

2.球磨の地名には神様を感じる事・・

 

私が住んでいる地域は

 

第三紀以降ずっと海面上に現れていた
日本で最も古い陸地の一つの上下運動に取り残された盆地

標高は130~230mの平坦な断層盆地・・

 

標高は・・普段住んでいると感じない平野が広がっていますが

 

実際、沿岸部の標高の低い地域に住んでいらっしゃる方々からみると、

「そこ」から見上げる空に近い所 その延長線上に

日本で最も古い陸地の一つの上下運動に取り残された人吉盆地(球磨盆地)がある訳です😊

 

人吉盆地(球磨盆地)内には 以前から度々ご紹介していますように

「台地」部分も広がっていて・・

 

その「台地」部分・・

球磨川北岸地域の台地には 高原台地(たかんばる台地)

球磨川南岸地域の台地には 神殿原台地(こうどんばる台地)

があります。

 

 

高原 は 江戸時代中期に編纂された麻郡神社私考には

高野原

と記されていました。

 

球磨弁では「の」 は 「ん」 に 変わりますので

高野原 は まさしく たかんばる です😊

 

高原 (高野原) たか の はら  たかんばる・・・

ここで 気が付いた事があります

 

 

高原 (高野原)

神殿原

 

高 と 神 ・・・

 

 

あっ・・・

何故? 今まで気が付いていなかったのだろう・・

 

 

高原 (高野原)

神殿原

 

高 と 神 ・・・

 

高 は  たかむすびのかみ

『古事記』では高御産巣日神(たかみむすびのかみ)

『日本書紀』では高皇産霊尊と書かれる。

また葦原中津国平定・天孫降臨の際には高木神(たかぎのかみ)

高木大神(たかぎのおおかみ)

 

神 は かみむすびのかみ

『古事記』では神産巣日神、

『日本書紀』では神皇産霊尊

『出雲国風土記』では神魂命と書かれる。

 

 

球磨の地名

高原 (高野原)

神殿原

 

高 と 神 ・・・

 

高原 (高野原) 「高」 には

高皇産霊尊 さま

 

神殿原  「神」 には

神皇産霊尊 さま

 

 

こう感じるのは 私だけなのでしょうか・・・ ?

 

 

2021/06/21 追記

この地は 先にも書きましたように 平安時代には治天の君荘園領主であられる王家領
球磨御領 でありました。

 

旧 王家領「球磨御領」の高原(たかんばる) 台地を下った所 地名は

野間  です。

野間・・・鹿児島の旧笠沙町 現南さつま市

野間半島・野間岬 と同じ 野間 という地名 です

 

高原台地上には「立神」という地名も残っています

 

さらに

旧 王家領「球磨御領」の神殿原(こうどんばる)には

畝宮 という地名が残っています

 

2021/06/21 追記 でした。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

今回は 前回 書かせて頂きます!とお伝えした中世のご先祖様のお話から急遽変更して

 

1.日本列島最古の陸地・・

2.球磨の地名には神様を感じる事・・

という内容を書かせて頂きました <m(__)m>

 

 

きっと・・中世のご先祖様方が、

「自分達の事を書くにはマダマダ本質が解っていない!」と

私に勉強をさせて下さったのだと 思います・・

 

そう 感じて います・・・

 

次回は中世のご先祖様のお話をしっかりと書かせて頂きます😊

 

 

この山々は 日本列島最古の陸地 です😊

先にも書いたように

地球の歴史の主要な段階を表す顕著な見本である 山々です。

 

 

春の市房山

 

 

黒原山とお月様

 

 

平野部と球磨川北岸の壁のように連なる山々

 

 

 

江代山 と 市房山

 

 

 

 

皆様

最後までご覧頂き ありがとうございました。

お身体十分にお気を付けになられてお過ごし下さい。

 

 

前回も書きましたが・・(^▽^;)

私のブログは長いので😌 お読み頂いた後に 音楽を聴きながら さら~っとお読み下さると
お伝えしたい事、私の心がお解りになられるかもしれません・・<m(__)m>

 

 

私は 菅野ようこさんの大ファンです😊

 

菅野ようこさんを ご存じでいらっしゃらない方は・・・

「天皇陛下御即位をお祝いする国民祭典」にて

奉祝曲『Ray of Water』を作曲、演奏を指揮なさった御方 と言えば

 

お解りになられる事と思います 😊

 

今回は

菅野ようこさん の曲で Torukia

 

 

 

皆様 だんだんなぁ~

球磨の地より ひろっぷ でした 😊

 

次回『⑮中世のご先祖様と日本後紀・内裏式 そして盆地と化した淡海の高山と』に続きます