前回のブログ『⑲保存版 球磨弁で古事記が読めました!』 より続きます。

 

 

 

私が球磨から発信するこのブログを御覧頂き ありがとうございます。
お読み下さった皆様方には心から感謝いたしております。

 

自然災害、さらに新型コロナウィルスの感染により、
愛するご家族、親戚やご友人の方々に看取られる事なく、一人で旅立つ事をよぎなくされた
御方々の御冥福を心よりお祈り申し上げます。

 

 

献身的な看護、そして治療に従事なさっていらっしゃる医療現場の方々の御苦労に

心から感謝致しております。 

新型コロナウィルスに 感染なさった方々の早期回復をお祈りいたします。
 

この難局を世界中がいち早く乗り切れる日が来ることを心よりお祈りいたします。

 

 

7月10日 の豪雨

真夜中12時頃 から雷が激しく 約9時間以上も続きました。

山の方で何度も落雷があって

殆ど眠る事が出来ませんでした。

 

本日7月11日の早朝に、私の住むあさぎり町では避難指示等の発令は

全て解除されています。

 

今後も、全国で いつ豪雨となるか解りません。

 

皆様、どうかご安全にお過ごしになられて下さい。

 

 

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おやっ (p_-)

最近、更新が早いな~!

というお声が聞こえてきたような・・・🙄

 

ハイ! 今週は色々忙しくて・・書ける時に精力的に書こう(^^)/

と思っています 😊

 

 

今回も 私の拙いブログ

音楽を聴きながらでも お付き合い頂ければ・・と  

思います  <m(__)m> 😊

 

 

Please Save My Earth - OST/Vol. 3 - Prologue: Time Of Gold Flowing

 

 

 

 

 

 

前回のブログを書いて・・・その後、古事記、日本書紀の原文を読み、大陸の史書と照らし合わせていた時に・・・

 

私が故郷の古代を調べるにあたって、心の中に必ず残っている 本当は嫌悪にも近いモヤモヤする事がずっと頭の中を駆け巡っていました。

 

2017年12月

その事を書いた過去ブログです。

 

 

 

 

ブログ『神様、御先祖様への感謝の心』 より抜粋致します

 

私は、大和朝廷が成立して、本当に良かったなぁ~(^'^)と思う事があります。
それは、海外に「生口」として「人」が朝貢される事が無くなった事です。

 

「日本(大和)」としての統一国家にプライドを持ち、その「国民」を朝貢する事など
行われなくなった事。

本当に良かった~と思います。

そもそも、私が邪馬台国に全く興味を抱く事が出来なくなった理由は
この「生口」の記述にありました・・・・
同じ人間なのに「人」を「人」として扱っていない・・・

 

この時に連れて行かれた人達は、もしかしたら、海外から「侵攻」して来た「人達」(様々な
「種族」)より以前から住んでいた「本当の日本人?」・石器時代から日本に住んでいた人達ではなかったのか?(侵攻と書く理由は、本来の日本原住民?の視点からです)

家族から引き離されて、この後に、この方々はどうなったのだろう・・・

そう考えると切なくなりました。(この時代の事を考えての事ですが、甘い!と指摘があるかも)

とは言っても私は、系図等から言うと、明らかに「侵攻」してきた人達の後裔です。

複雑な感情が込み上げて来て、魏志倭人伝の記述にもあまり興味を抱く事が出来なくなっていました。

しかし・・・・「御先祖様を調べる」と言う観点、さらに古代の球磨を知りたい!

古代の日本を知りたい!と言う気持ちから言うと、『良い事も、悪い事も』ちゃんと知るべきだ・・・と考えます。

「生口」と言う悲しい歴史も、古代の日本の真実で、そのような数々の古代国家が連合して、統一されて海外に誇れる「国家」が形成された、その歴史をちゃんと理解する事こそが

御先祖様を調べる事、真実を知る事にも繋がってくる。

今はようやくそう考える事が出来るようになりました。

 

以上 ブログ『神様、御先祖様への感謝の心』 より 抜粋致しました。

 

 

 

 

景初2年(238年)6月、卑弥呼は帯方郡に大夫の難升米と次使の都市牛利を遣わし、

太守の劉夏に皇帝への拝謁を願い出た。劉夏はこれを許し、役人と兵士をつけて彼らを都まで送った。難升米は皇帝に謁見して、男の生口4人と女の生口6人、それに班布2匹2丈を献じた。

 

 

 

ブログ『神様、御先祖様への感謝の心』を書いた当時は不勉強で

後漢書に記された 帥升(師升)という方の事を知らなかったのです・・・

 

 

帥升(師升)という方に初めて気が付いた時のブログ

2018年1月

 

 

 

『後漢書』「巻八十五」の「東夷伝」の「第七十五」

安帝永初元年 倭國王帥升等獻生口百六十人 願請見 

安帝の永初元年(107年)、
倭国王帥升等が生口160人を献じ、謁見を請うた。

 

 

 

 

 

 

民 は 国の宝

 

神様がいらっしゃる 日本国のあるべき姿、理念

 

 

この理念に 帥升・卑弥呼 この方々の時代は大きく反する・・

 

だからこそ 歴史のリセットが必要となったのでは ないのか・・・・

 

 

私は ふと そのように考えました

 

 

大和朝廷の成立 

その時代は日本の正史と考古学的な見解では全く異なる事は理解しています

 

 

ただ、考古学的な見解や、朝鮮半島の歴史にあわせて

日本の正史を古く見せている・・というお話を度々拝見する事があるのですが

私は それは違う と考えます

 

 

悠久の昔、そう旧石器時代から綿々と世界に誇る歴史を持つ この日本という国

 

それは、日本全国に広がる石器時代~縄文時代にかけての膨大な遺跡数でも明らかです。

 

この方々が もしかしたら・・・

 

大陸に渡り、何処かで世界中が知っている数々の古代文明を築いた可能性だってありうる

 

 

悠久の日本国に住まわれた人達に敬意を表し、その方々の血脈を必ず受け継いでいる

 

その信念からこそ 日本の正史は「この国の歴史」が

 

170万年以上前から始まった 

 

と書かれていらっしゃるのだと私は考えます

 

 

 

ブログ『神様、御先祖様への感謝の心』 を書いた当時は

 

この時に連れて行かれた人達は、もしかしたら、海外から「侵攻」して来た「人達」(様々な
「種族」)より以前から住んでいた「本当の日本人?」・石器時代から日本に住んでいた人達ではなかったのか?

 

と考えていましたが、その後の勉強で

 

ブログ内で”海外から「侵攻」して来た「人達」”と書いた方々も、

 

本来の出発点は この日本

悠久の昔に”ここから出発した人達”の後裔 でいらっしゃる・・

 

戻って来られたのだ・・

 

と考えるようになりました。

 

 

では・・・悲しい歴史 『生口』 の対象となった人達は 一体・・・?

 

 

『生口』を技術者だとお考えになられる方々、研究者の方々もいらっしゃいますが

卑弥呼の時代の 男の生口4人と女の生口6人 はともすればそのように考える事も可能かと思うのですが・・

 

安帝の永初元年(107年)、倭国王帥升等が生口160人を献じ、謁見を請うた。

 

160人の人達が技術者であったかは・・・疑問です・・

 

 

 

 

倭国王帥升等・・・

この方々の歴史を 日本の正史編纂時 リセットなさろうとお考になられたのでは・・

 

と 私は考えるに至っております・・

 

 

 

 

 

民 は 国の宝

 

神様がいらっしゃる 日本国のあるべき姿、理念

 

 

理念の元に リセットなさったのでは・・・

 

 

 

その為に必要であったのが 「土蜘蛛」や「熊襲征伐」や「東夷」の方々の記述・・・

 

おそらく正史では この方々を 生口となさった・・と記されたかったのでしょう・・

でも・・実際は・・私は違うと思います・・・

※半島の古代と関わっている可能もありうる・・・独り言です・・・

 

もちろん 倭国大乱 を表す必要はあったと 思います

ただ・・

理念に基づく 討伐 の歴史を作る必要も 必ずあった・・

と私は推測致します

 

 

 

そして・・・

大陸の史書をお読みになられていた方々は

当時の 「倭国」 ・「倭国連合」 が何処を どの地方を指しているのかも 

十分に理解なさっていらしたようです・・

 

穴門国を含む 四面の国々・・・が舞台・・

 

 

それは 古事記・日本書紀の原文を読むと 明らかです

 

 

熊曽の人が住んでいた家の記述は 大陸の史書そのままです

 

 

 

私はブログ『神様、御先祖様への感謝の心』 を書いた時と気持ちは全く変わっていません

 

 

私は、大和朝廷が成立して、本当に良かったなぁ~(^'^)と思っています。

 

それは、海外に「生口」として「人」が朝貢される事が無くなった事です。
 

「日本(大和)」としての統一国家にプライドを持ち、その「国民」を朝貢する事など
行われなくなった事。

本当に良かった~と思います。

 

 

但し この数年間、未熟ながらも勉強を重ね 知り得た知識により

旧石器時代から始まる故郷の古代を より一層誇りに思っています

 

 

 

大和朝廷の成立には

私の故郷 球磨の古代の人達は 四面の国々の人達は

大きく貢献 関わっている !

 

と確信しているからです。

 

 

 

次回は 後編です

何故? 今回書かせて頂いた事を私なりに考えるに至ったのか

その詳細を書かせて頂きます。

(後編は 直ぐにでも書きたいと 思っています 😊 )

 

 

 

今回のブログ最後は

夷守岳 と 生駒高原から見える 球磨の白髪岳 球磨側から見た白髪岳の写真で

終わります 😊

 

 

日本の正史 に記された・・関わりのある お山 二山です・・・

 

 

生駒高原 から見た 夷守岳

 

 

 

生駒高原から見える 球磨の白髪岳

 

 

 

球磨側から見た 白髪岳 (私の住む地域から撮影)

 

 

 

左横に聳える こんもりとしたお山が 子白髪岳 (あさぎり町免田黒田から撮影)

 

 

 

雪化粧をした 白髪岳

 

 

 

 

皆様

最後まで ご覧頂き ありがとうございました。

 

お身体十分にお気を付けになられてお過ごし下さい。

 

梅雨はまだ明けていません

どうか どうか ご安全にお過ごしになられて下さい

 

 

皆様 だんだんなぁ~

 

ひろっぷ でした 😊

 

次回『㉑次回の前に 背中に封印されたお経のお話・・』 に続きます。