前回のブログ『㉒保存版(中編)注目されない甕棺について』 より続きます。

 

 

 

四国で豪雨となり避難指示が出ている事をニュースで見ました。

 

皆様 どうかご安全に お過ごしになられて下さい。

 

 

2021/07/18 14:50 再々投稿

 

2021/07/18 06:03 投稿の拙ブログ すでにご覧頂いた皆様方へ

 

ご覧頂き ありがとうございました。

 

ブログ投稿後、ひと眠りして😅 あらためて自分の書いたブログを読み返していたのですが・・ はっ! と気が付きました。

 

もしかしたら・・・・

黄金の東漢鏡 受け取られた当時の球磨人(熊襲の方々)が・・・

鏡を持ったまま その後”東に動かれて”・・・代々継承し・・

才園古墳2号墳で眠る方の死によって副葬品の為にその鏡が 球磨に戻って来た・・

 

という新たな可能性に気が付きました (p_-)

むむむ~っ!! (p_-)

 

こういう一つの発想もありうるかな・・・ と

プンプン😠するばかりではなく・・・少し冷静に発想してみました <m(__)m>

 

私は もっと

古代の方々の 御霊 みたま を

大切に考えていきたい です

 

そして・・多くの方々に

大切に考えて頂きたい

と思います

 

最下部の写真の前に上記の内容を追記致しました😊

 

 

 

 

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私が球磨から発信するこのブログを御覧頂き ありがとうございます。
お読み下さった皆様方には心から感謝いたしております。

 

自然災害、さらに新型コロナウィルスの感染により、
愛するご家族、親戚やご友人の方々に看取られる事なく、一人で旅立つ事をよぎなくされた
御方々の御冥福を心よりお祈り申し上げます。

この難局を世界中がいち早く乗り切れる日が来ることを心よりお祈りいたします。

 

 

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今回は後編と題して、後漢書に記された方々と熊襲と記された方々との検証内容を書くつもりでした・・・・ が・・・

 

ここから 不思議な話を書きますが お付き合いください<m(__)m>

 

昨日7月17日、午前中にボランティアのお仕事をさせて頂き、家に帰った後・・・

14:00頃に突然、眠気がきて・・・

夜はちゃんと寝たのにな・・?と思いながら

父に「急に眠くなった~」と 言って 自室で横になりました。

 

直ぐに眠ったようで・・(自分では解りませんから・・😅)

夢を見ました・・

 

小さな丘の上に 飾りなのか?キラキラ眩い馬さんに乗った男の人が・・

 

お鬚がめちゃくちゃカッコイイ

物凄い 男前 の人で  (*^-^*)

(どなたですか?オイオイ (ー_ー)!! との声が 聞こえたような・・)

 

キラキラ馬さんに乗った髭のイケメンさまが 優しく微笑みながら

私に向かって何か言ってるので・・

私は思わず  ぽ~っ😍 となって

(そう ❤ 元パリコレモデルの樅木英介さんみたいな方で・・❤ )

 

その人に近づこうとした所・・

 

「カンカンカ~ン」と うるさい音で目が覚めてしまいました・・

 

もう!プンプン😤 お父さんは・・ うるさい!

と怒りながら父の所に行くと・・

「何を怒っているトカ?お父さんは 何もしていないぞ・・?」と・・

 

折角 超カッコイイ方の側に行くはずだったのに と 夢の話を言うと・・

父が 「バカタン!! なんば言いよっとか!●●ちゃん(主人)に言いつけてやる!」

と叱られました・・ トホホ

 

 

もう・・・何だか 理由の解らない カンカンカ~ンという音で折角?の夢から覚めてしまい

時計を見ると・・そんなに寝ていなかったのです 僅か15分程かな~ 

 

 

目が覚めて・・・しばらく考えていたのですが・・・

どう~も あのキラキラした馬さんも気になって・・・・

 

才園古墳 かなぁ~ ??

と気になり始めました・・・

 

 

ここから!

私は とてつもない事に気が付きました (p_-)

 

 

 

音楽をお聴きになりながらでも ご覧下さい。

今回のブログ内容から 私は moon を選曲します 😊

 

 

 

 

では早速 <m(__)m>

 

 

 

 

 

東漢鎏金方格神獣鏡が出土していた

面田(免田)

 

 

 

キラキラ馬さん と言えば 才園古墳から出土した黄金の馬具

 

 

 

 

 

 

 

才園古墳出土品

玉類(管玉・紫水晶の切子玉・ガラス丸玉)、金環、鉄刀剣類、鉄ハサミ、銅鈴、

黄金の馬具飾り(鏡板・杏葉・雲珠・辻金物)等

馬具飾りは金銅製のものや、鉄の下地に銀を張ったものなどで、現在でも光を当てると輝きを見せるそうです。

 

特に馬具は轡だけでも計8セット以上が副葬されていることが明らかとなり、

これは1つの石室から出土したセット数としては、長野県本郷大塚古墳出土例などと並んで

全国でも最多クラスを誇る。』

 

 

さらに才園古墳と言えば・・・

 

鎏金獣帯鏡

 

 

 

鎏金獣帯鏡の内区には12、外区に32の銘文があり、

この鏡を持てば諸侯に抜擢される」と、極めて珍しい内容の呪文が刻まれています。

 

 

 

鍍金鏡は中国でもたいへん貴重なもので、日本では3枚しか出土していない。(一貴山銚子塚古墳:福岡県糸島市、城塚古墳:岐阜県三野)

相当の実力者の墓とみられる。

 

と言われています

 

 

 

 

鑑定を行われた方は

古代鏡研究の大家である中国浙江省文物考古研究所長の王士倫氏

 

 

王士倫氏・・・ そうだ

鑑定書の写真を撮っていた・・・

と思い出しました・・・

 

 

IMG_4960

 

 

 

最近、古事記や日本書紀 実はさらに(p_-) 和名類も原文を読んでいる(四苦八苦しながら)私は・・・あらためて こちらの鑑定書をじ~っと見ていて 気が付きました!

 

 

 

 

日本免田町出土

東漢鎏金■■方格神獣鏡・・・  ???

(■は読めませんでした)

 

 

良く読めませんが・・何時代から? ~ 二世紀末?

 

 

東漢 ・・?

東漢って 何だ???

 

 

お恥ずかしい限りですが、不勉強な私は

直ぐに調べました (p_-)

 

 

東漢とは   コトバンク様 より

 

 

 

旺文社世界史事典 三訂版「東漢」の解説

後漢 (ごかん) の別称。前漢が長安に都した(西漢)のに対し,後漢は東方の洛陽(東京)に都したのでこう呼ぶ。

 

 

世界大百科事典 第2版「東漢」の解説

中国,後漢の別称。王莽(おうもう)に帝位を奪われて一時中断した漢王朝は,

紀元25年に劉秀によって再興された。

再興以後の漢を後漢というが,都を東の洛陽(東京)にうつしたところから東漢ともよばれる。

 

 

 

あっ!・・・・!!!!!!

東漢 とは 後漢の別称

 

 

 

そんな・・・そんな・・・

そんな!!!!!

 

 

 

東漢鎏金■■方格神獣鏡・・・ 

 

つまり 中国の古代鏡研究の第一人者 王士倫氏は

古代鏡研究の大家である中国浙江省文物考古研究所長の王士倫氏は

 

免田(面田)才園古墳から出土した黄金の鏡は

東漢(後漢)の・・・

黄金の東漢鏡である

 

と鑑定なさっていらっしゃった・・

 

 

そんな・・・そんな・・・

そんな!!!!!

 

 

悔しくて、悲しくて 涙が出てきました・・

 

私は 一体 何を やっていたのだろう

 

何度も過去ブログで王士倫氏の鑑定書の写真をご紹介していたのに

私は ちゃんと 読んでいなかった

 

バカひろっぷ!!

 

 

 

辛い 辛いです

 

凄く 悔しいです 自分の不甲斐なさが 歯がゆいです

 

 

私は 一体 何を やっていたのだろう

 

 

しかし・・・

いつから?? どなた方が??

 

この鎏金獣帯鏡に対しての鑑定書に記された内容が

全く無視されて・・

 

三国志時代の 呉

熊襲は 三国志時代の呉 と 通じていた 

 

なんて 言い始めたのは

いったい どの時期から !!!?

いったい どなた方が !!??

 

 

 

ちゃんと・・・東漢(後漢) って書いてあります・・

 

 

 

熊襲は三国志時代の呉と交流していた・・

違った・・・違う! 違う!!

 

 

 

正しくは

東漢(後漢)

 

東漢(後漢)の時代 建国 西暦25年 滅亡 西暦220年

 

 

三国志時代の呉

時代 西暦222年~西暦280年

と どこに書いてあるのだろう !!?

 

熊襲は三国志時代の呉と交流していた・・なんて

いったい どなた方が 言い始めたのだろう !!?

 

 

多くの人達が”そう理解”されている・・

 

ネットでもかなりの方々が”そう理解”されて熊襲に関して書かれている・・・

私もその一人でした

 

インターネットの時代 誤った情報がどれだけ多くの人達の誤解を招くのか

 

先入観を植え付けるのか・・・

 

誤解が真実だと思いこまされるのか・・

 

 

 

東漢(後漢)と交流していた

三国志時代の呉と交流していた

 

では 全く意味が異なります

 

 

 

当時の倭国の状況から

意味が全く異なるのです!

 

 

 

才園古墳は6世紀?の古墳群と推測されているようですが

 

鎏金獣帯鏡は西暦25年~西暦220年

いや!? 二世紀末 つまり西暦100年代の末までに

 

熊襲 と言われた方々が東漢(後漢)と交流して

頂いていた鏡であり

 

その鏡を後世までしっかりと有力者と言われる人達が伝承してきた可能性だって

ありうる!

 

と思うのです。

 

 

 

それを、最近は

貴重な鏡として九州南部の内陸の要衝である人吉盆地の有力者に、近畿中央政権から贈与されたと考えられます。

 

などという話に すり替わってきています・・・

 

 

近畿中央政権

近畿地方の遺跡から 黄金の鎏金獣帯鏡のような鏡が出土していたでしょうか?

 

聞いた事は無いです

 

 

それだけ重要な鏡をわざわざ”当時の球磨の有力者”に贈与されるのでしょうか!?

 

 

私には

そういう話こそ 不思議!?だとしか 言いようがない

 

と思います。

 

 

辛い 辛いです

 

凄く 悔しいです 

 

凄く 歯がゆいです

 

この感情は 私だけのものでは無いと強く感じます。

 

 

 

最近、数回のブログの中で 

御霊 みたま のお話を勉強しながら 書かせて頂いてきました。

 

 

万物、全てに 精 御霊 みたま が存在する

古代の日本人が持っていた 現代に継承されてきた

素晴らしい考え

信仰

感謝の心

 

 

 

鎏金獣帯鏡を

古代の球磨の地の方々が大切に継承なさって来られて

才園古墳に埋葬された方の永遠の眠りと共に供えられていた物であれば

 

この方々の御霊 みたま は

現代人 の考えを どうお思いになられるのでしょうか!

 

 

 

私は前回のブログ ㉒保存版(中編)注目されない甕棺について の中で

 

私は 記紀の内容のその裏に
何等かの理由が必ずある と思います

 

そして・・熊襲の後裔の方々は おそらく義の元にそれを許されたのでしょう・・

 

と書きましたが・・・

 

 

義の元にそれを許された

 

そういう お心を 持たれた熊襲の方々

熊襲の後裔の方々が

 

『東漢(後漢)と交流していた古代の球磨の方々が

鎏金獣帯鏡を受け取り大切に継承なさって来られていた』事が

もし真実であれば

 

 

 

義が何たるかさえ理解出来ていない

大切な心さえ忘れてしまった 現代人に

勝手な事を推測されてしまっているこの状況を

どれだけ 嘆いていらっしゃる事か

 

 

きっと

『お前たちに対しては義はない!』 と 

嘆いていらっしゃる・・

 

と 私は思います

 

 

私は もっと

古代の方々の 御霊 みたま を

大切に考えていきたい です

 

多くの方々に

大切に考えて頂きたい

と思います

 

 

どんなに学識がおありになられても

日本人が継承してきた心

古の方々の 御霊 みたま を崇拝し感謝する心

は、研究と同じように

大切にして頂きたい・・・

 

 

 

偉そうな事を書いていますが それは 私自身も同じです

今回 とても 反省致しました

 

 

私は何の為に 球磨から発信をしているのか!?

古代の方々から ”そう” ご指摘を受けたように 強く感じます

 

 

ど素人が何も解っていないくせに 偉そうな事を言うな!

という声もある と思います。

 

しかし、

 

ど素人だからこそ 何のしがらみも無いからこそ

書ける事 多くの方々にお伝えする事 は

あると 思うのです・・・

 

 

と・・・書いて投稿したのですが・・・

2021/07/18 10:55   追記

ブログ投稿後、ひと眠りして😅 あらためて自分の書いたブログを読み返していたのですが・・ はっ! と気が付きました。

 

もしかしたら・・・・

黄金の東漢鏡 受け取られた当時の球磨人(熊襲の方々)が・・・

鏡を持ったまま東に動かれて・・・代々継承し・・

才園古墳2号墳で眠る方の死によって副葬品の為にその鏡が 球磨に戻って来た・・

 

という新たな可能性に気が付きました (p_-)

むむむ~っ!! (p_-)

 

こういう一つの発想もありうるかな・・・ と

プンプン😠するばかりではなく・・・少し冷静に発想してみました <m(__)m>

追記でした <m(__)m>

 

 

 

 

今回の内容は

 

旧球磨郡免田(面田)町

現 熊本県球磨郡あさぎり町免田 の

才園古墳から出土した鎏金獣帯鏡は

 

鑑定書には

東漢鎏金■■方格神獣鏡

 

東漢(後漢)の鏡

と記されていた・・・

 

 

という事を ご紹介させて頂きました。

 

 

 

今回は あらためて 才園古墳2号墳からの出土品の写真で終わります

※1号墳の発掘はいまだ行われていません・・・

 

 

 

 

 

皆様

最後までご覧頂き ありがとうございました。

 

お身体十分にお気を付けになられてお過ごし下さい。

 

大気の不安定な状況が続いています

どうか ご安全に <m(__)m>

 

だんだんなぁ~

 

球磨の地より ひろっぷでした・・・<m(__)m>

 

次回 『㉔保存版(中編-3)日本最古級のハサミ』 に続きます。