前回のブログ『(再々投稿)㉔保存版(中編-3)日本最古級のハサミ』より続きます。

 

 

 

2021/07/24 07:50 再々投稿

2021/07/23 投稿の拙ブログ すでにご覧頂いた方々へ

 

拙いブログですが ご覧頂き ありがとうございました。

 

ブログ内 3.球磨からは海が見えるのです😊

の中に書いたその前にここで・・の内容、後で読み返してみると言葉足らずであったと反省し文章の再編集を致しました。

 

さらに、不親切な表現を行っていた事をお詫び申し上げます。

ちなみに、市販の風邪薬等、服用が出来ない私のアレルゲンの一つは

ポリエチレングリコールです。

 

再投稿・・毎回この様な形となり、申し訳ございません😥

 

 

 

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私が球磨から発信するこのブログを御覧頂き ありがとうございます。
皆様方には心から感謝いたしております。

 

最初は、自らの先祖の調査、そして球磨の古代を知りたい 

という気持ちで勉強を始めましたが

 

今は・・

球磨の古代の事、球磨の歴史を書く事で、
元気をなくしてしまったこの郷土の方々が
故郷を離れて遠い地で故郷を思う方々が
郷土に誇りを感じ、少しでも勇気づけて頂ければと思いながら

ブログを書いています。

 

さらに、全国の多くの方々に、球磨の歴史をお伝えしたい!

と強く思いながら、毎回、拙いブログですが心を込めて書いています。

 

 

 

度重なる自然災害、さらに新型コロナウィルスの感染拡大・・・

この難局を世界中がいち早く乗り切れる日が来ることを心よりお祈りいたします。
 

 

 

皆様、くれぐれも

ご安全にお過ごしになられて下さい



 

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今回から ようやく後編に入ります😊

後編は検証が主になりますので、今回は後編の序? だとお考え下さい<m(__)m>

 

今回はかなり長いお話となりましたので😅

よろしければ音楽を聴きながら お付き合いください😊

Nausicaa of the Valley of the Wind

 

 

 

 

 

 

球磨へのバイアス 海が見える土地

※バイアスとは 傾向、偏向、先入観、データ等の偏り、思考や判断に特定の偏りを

もたらす思い込み要因

 

 

 

1.球磨の柄鏡式古墳

 

『㉒保存版(中編)注目されない甕棺について』

『(再)㉓保存版(中編-2)東漢鎏金方格神獣鏡が出土した面田(免田)』

『(再々投稿)㉔保存版(中編-3)日本最古級のハサミ』

をご覧頂けていない方は ご面倒だとは思いますが、

ぜひ、ご覧頂きたいと心より願います<m(__)m>

 

 

 

 

 

 

 

 

 

前回のブログで書きましたように

才園古墳2号墳からの出土品

 

東漢鎏金■■方格神獣鏡 (鎏金獣帯鏡)
※東漢(後漢)との交流が見える

玉類(管玉・紫水晶の切子玉・ガラス丸玉)、金環、鉄刀剣類、鉄ハサミ、銅鈴、
※鉄ハサミはおそらく日本最古級
 

黄金の馬具飾り(鏡板・杏葉・雲珠・辻金物)等
特に馬具は轡だけでも計8セット以上が副葬されていることが明らかとなり、
これは1つの石室から出土したセット数としては、長野県本郷大塚古墳出土例などと並んで
全国でも最多クラスを誇る
。』

 

このようになりました。

 

 

 

前回は球磨郡錦町の亀塚古墳群についても触れました。

 

熊本県南部、九州山地から延びる台地の北縁に営造された古墳群で、前方後円墳3基で構成される。これらは人吉・球磨地方では唯一の前方後円墳になり、熊本県の前方後円墳としては最南端に位置する。

いずれも出土品が詳らかでないため、築造時期は明らかでない

 

 

 

築造時期は明らかでない前方後円墳の亀塚古墳群ですが

その「形状」は明らかであったようです。

 

 

 

考古学はもちろん全くの不勉強の私ですが、とても大切にしている書籍があります😊

 

地元(人吉・球磨地方)ご出身

元・熊本県立装飾古墳館館長でいらした

木崎康弘先生がお書きになられた

著書 肥後と球磨 その原史世界に魅せられし人々

です😊

 

 

私は地元出身の木崎先生が憧れの方でして

書籍出版直後に やった~!\(^o^)/と直ぐに購入したのですが、当時は今以上に不勉強で😥 拝読していても 熟読した・・とは到底言えない状況でした・・お恥ずかしい

 

 

 

 

 

 

 

亀塚古墳群について、肥後と球磨 その原史世界に魅せられし人々の中で

木崎先生が御触れであった事を思い出し、あらためて読み返してみました😊

 

 

木崎先生は

肥後と球磨 その原史世界に魅せられし人々

球磨の歴史世界は面白い! 地域文化論 の項で

亀塚古墳群について、乙益重隆先生のお話と共に触れていらっしゃいました。

 

 

元國學院大學名誉教授でいらした、球磨郡免田村(現あさぎり町免田)ご出身の

乙益重隆先生

 

 

経歴 昭和22年球磨農学校教諭、24年熊本女子大学助手、38年教授を経て、

45年国学院大学教授に就任、のち考古学資料館長兼任、平成元年定年退職し名誉教授

日本考古学協会委員長、文化財保護審議会専門委員なども務めた

 

 

乙益重隆先生が亀塚古墳群について述べていらっしゃるお話を

木崎先生が 肥後と球磨 その原史世界に魅せられし人々 の中に

ご紹介なさっていらっしゃいました😊

 

 

乙益重隆先生は1979年

 「球磨郡西村内門」(現錦町西村)の亀塚古墳群について

 

『前方部がいちじるしく低く、柄鏡式とよばれる古式古墳の姿を呈

するが・・実年代は下降する・・』

と述べていらっしゃるようです・・・

 

 

木崎先生は この事について

「古式」を思わせる古墳であっても、心理的にはそこにバイアスが掛かったのだろう

 

とお書きになられていらっしゃいました。

 

球磨への心理的バイアスとは

山奥の奥まった地域というイメージ

球磨を表現する時にはおそらく払拭する事が出来ないイメージ

 

 

しかし、木崎先生は

閉鎖的な地域という事では断じてない

それは、歴史的な事実が証明してくれている

 

と・・縄文時代中期以降の球磨地方から出土した土器等と他地域との交流を

ご紹介なさっていらっしゃいます😊

 

 

私は凄く嬉しくなりました😊

 

 

 

 

ただ・・ふと疑問が( わたくし ひろっぷならではの疑問 <m(__)m> )

 

何故?地元免田(面田)ご出身で、

縄文時代早期からの球磨を知り尽くしていらしたであろう

元國學院大學名誉教授でいらした乙益重隆先生が

何故?何故?

球磨への心理的バイアスをお持ちになられてしまったのだろう・・・(?_?)と・・

 

 

経歴 昭和22年球磨農学校教諭、24年熊本女子大学助手、38年教授を経て、

45年国学院大学教授に就任、のち考古学資料館長兼任、平成元年定年退職し名誉教授。

日本考古学協会委員長、文化財保護審議会専門委員なども務めた

御方・・。

 

 

・・・・ 考えた事はありますが  私は・・書きません(ー_ー)!!

胸に秘めます・・・ <m(__)m>

 

 

 

ここで・・不勉強な私は 当たり前のごとく

柄鏡式 って何だろう (?_?)

となりまして、勉強致しました (p_-)

 

 

 

 

2.柄鏡式古墳とは・・・

 

亀塚古墳群 「球磨郡西村内門」(現錦町西村)

『前方部がいちじるしく低く、柄鏡式とよばれる古式古墳の姿

呈する』

 

 

 

柄鏡式古墳とは コトバンク様より

 

 

 

世界大百科事典内の柄鏡式古墳の言及

 

【前方後円墳】より
… 前方後円墳の形態は,時期によってその特徴が変化し,古墳の編年的研究に重要な役割を果たした。

 

前期は丘陵上や台地の縁辺部に立地するものが多く,高い後円部の前面に低くて細い前方部が付くのが特徴で,一部は〈柄鏡式古墳〉と呼ばれる。

 

ただし最古の一群には,前方部が狭いくびれ部から撥(ばち)形に大きく開く例の多いことが指摘されている。…

 

以上 コトバンク様より 転記致しました・・・・・・・・・・

 

 

 

 

※前期は丘陵上や台地の縁辺部に立地するものが多く,高い後円部の前面に低くて

細い前方部が付くのが特徴で,一部は〈柄鏡式古墳〉と呼ばれる。

 

 

あっ・・・・・!!!!!

 

という事は・・・・

 

亀塚古墳群 「球磨郡西村内門」(現錦町西村)

『前方部がいちじるしく低く、柄鏡式とよばれる古式古墳の姿を呈する』

 

つまり・・亀塚古墳群の前方後円墳は

前期の古墳 という事になります

 

 

 

 

乙益重隆先生は・・・

実際の所を ご存じでいらしたのでは・・・

と勝手ながら ど素人 ひろっぷは そう考えたのであります・・

 

(?_?)何故だろう・・?? (?_?)何故だろう・・?? (?_?)何故だろう・・?? 

何故だろう !!!?? なのに何故?

が・・実年代は下降する・・

と述べられたのだろう・・・

 

球磨へのバイアス・・

 

やはり・・・・・・・・・

・・・・ 考えた事はありますが  私は・・書きません(ー_ー)!!

胸に秘めます・・・ <m(__)m>

 

 

 

3.球磨からは海が見えるのです😊

 

球磨への心理的バイアスとは

山奥の奥まった地域というイメージ

 

 

このイメージは、私が今からご紹介する写真によっても払拭する事が出来るでしょう😊

 

 

その前に ここで・・・(2021/07/24 文章の再編集をしました)

私は生まれ持った身体、持病により、結界の外にはコロナ禍が収まらない限り出られない

ことになりました。

 

子供の頃から喘息を引き起こしたり、蕁麻疹を発症していた私のアレルギーの中の

対象アレルゲン。特に市販の風邪薬等は絶対に飲んではいけないと診断されていたのですが、数年前にその原因アレルゲンは解っていました。

ポリエチレングリコールです。

 

「そのアレルゲン」が●●不可に該当する事が判明しており、

主治医の先生がご判断なさいました

(意味はご察し下さい・・・)

 

主治医の先生のお話では

感染者が出ている地域の方々との接触は出来るだけ・・いえ

しない方が良いそうです

 

万全の体制で予防に努めて下さい

と優しい声ですが、しっかりと説明をして下さいました。

 

もしも、感染してしまったら、重症化しやすい身体であり、重症化してしまった場合

私が服用している命を支えている薬との兼ね合いで

現在の治療法で用いられている「薬」は使用できないようです。

 

本当は 凄く悔しいです!

子供たちにも 凄く 会いたい

 

息子は昨年「ある病気」が悪化して入院していました。

大水害から2か月後の事で、ボランティアの方々も県内のみの受付であり、

さらに被災地での感染拡大を防ぐ為に、他地域への移動は極力避けるようにとの要請もあり息子や娘が感染拡大地域に住んでいる為に行く事が出来ませんでした。

 

 

退院後も仕事の事や様々な事で苦しんでいる悩んでいる息子の側に行って

話を聞いて、抱きしめてあげたい!と強く願っていました。

弟を支える娘にも早く会いたい! と強く願っていました。

 

直ぐにでも行きたい

もう少し待てば・・と心待ちにしていました。

しかし・・それはしばらく出来そうにもありません

 

私は 診断がおりてからしばらくは 凄く悔しかったです

コロナが憎いです

 

でも、これも運命と受け止めて、免疫力を高める食事を心がけて安全に生活しています。

ただ・・

本当の事を言えば・・・万が一の事を考えて、最近は精力的にブログを書いていました。

 

早く特効薬が認可される事が 今は唯一の希望としています

 

私や私と同じような状況の方々が使用する事が出来る

特効薬が早く出来て認可される事に

望みをかけて 子供たちには

「しばらく 待っていてね」 と言っています。

 

さらなる希望は

現状では私のような「希望しても・・不可」となられた方々でも使用可能な●●●●が早期に開発成功して頂ければ・・・

 

 

 

本当は・・この事をブログに書く事は止めておこう・・と思っていたのですが しかし

私と同じ 悔しい、辛い思いの方が全国に多くいらっしゃるかもしれない・・

と考えると・・、意を決して書かせて頂きました。

 

世の中には現状では選択肢がない・・・

希望しても不可 という人達もいる

という事も 多くの方々に知って頂きたい

頭の中に留めておいて頂きたい・・・

と思ったからです

 

 

言論の自由は憲法で保障されています。

幸せな事ですよね・・・

 

「希望する」・「希望しない」も、ご本人の自由です。

 

選択肢がある この事は本当はとても幸せな事なのです。

どちらでも選択出来る状況である

どちらでも選択できる身体でいらっしゃる・・

 

 

私は強くはありませんから、最初は凄く辛かったのですが でも弟の事を考えたら

気持ちを切り替える事が出来ました。

 

弟は3歳でデュシャンヌ型筋ジストロフィーである事が解り、寝たきりとなっても、何十年も頑張って、4年前に亡くなりました。

 

弟から「姉ちゃんは生きている 悩んだり、喜んだり 出来るでしょう」と言われたような気がしたのです。

 

そう 笑ったり、泣いたり 生きているだけで 凄く幸せな事なのです

 

 

※この件に関しては一切コメントはお受け致しませんので 申し訳ありません<m(__)m>

 

 

 

 

 

このような状況になった私を、ありがたい事ですが 主人は気遣ってくれて

最近は 結界の内側(球磨・人吉地方)で色々ドライブに連れて行ってくれます😊

 

先日、球磨郡五木村の結界のギリギリの所まで連れて行ってくれました😊

場所は球磨郡五木村と八代市東陽町(旧東陽村)の境です。

 

この先、わずか19km程で 火の君の本拠地と言われる氷川町宮原(旧宮原町)に着きます。

 

 

球磨郡五木村と八代市東陽町(旧東陽村)の境から見た風景です😊

 

 

眼下に見えるのは熊本平野 この日は曇っていたのですが、海もしっかりと見えました。

遠くに佐賀県まで見えます(p_-)

 

写真は撮れなかったのですが、この写真から左側には雲仙普賢岳が見えます😊

 

 

あまり良く写っていませんが アップで平野部を<m(__)m

 


 

ここからもう少し右方向に進んだ地の地名に心惹かれました😊

この地名も球磨郡五木村の地名です

 

 

端海野

古代の方々は 良く地名をお付けになられたな~と感動する光景でした😊

 

 

五木村は江戸時代の幕府管理の地図には

斎木

と記されていました。

 

 

縄文時代の 斎木(五木)

五木(斎木) は 九州島最大の漁業で使用する石錘の生産地址 であり

頭地下手遺跡はチャートの石材原産地及び石器製作址であり

 

漁網の材料となる大麻繊維の生産址でもあると推論されている。 ・・地 

 

 

 

 

 

球磨郡内から見える 海や熊本平野、佐賀県等を見て感動した私は・・・

あっ!他の地からも海は見えてた・・!

と思い出しました。

 

 

人吉市と宮崎県えびの市にまたがる

矢岳高原からも よ~く見えます😊

実は、去年の春先に主人が連れて行ってくれてたのです。

 

矢岳高原にて撮影 うっすらと桜島と海が見えました。

 

 

 

真正面が霧島連山です😊

 

 

 

矢岳高原には巨石がゴロゴロ・・・

 

 

 

矢岳高原に連なる、人吉市大野地区は3万年以上前の縄文遺跡が存在しますので

きっと矢岳高原は 石器時代から縄文時代にかけての 祈りの地 巨石崇拝の地で

あったのだろう・・

と私は考えています😊

 

 

 

どうですか? 皆様

球磨は 海がちゃんと見える 地 でもあるのですよ😊

 

今は大災害によって通行不可となっていますが、芦北の海までは、人吉からであれば

車で30分もあれば到着します。

 

 

 

ここで・・・古代の方々の意識を考えてみました。

 

 

中国・・

前漢 ⇒ 後漢 ⇒ 三国志時代

 

利権を争い 戦いに明け暮れる隣国の状況

 

 

古代の日本列島にあった100以上の国々の方々も火種が飛んでこないか・・

戦々恐々となさっていらっしゃったと思います。

 

私は父が航空自衛隊幹部候補生学校を卒業した空自の幹部でしたから

一般的な女性と違って おそらく防衛には思いを馳せる事が多いと思います。

 

 

もしも・・自分が古代に生きる人であったら・・

防衛にも直接関係する人であったら・・・

 

大陸から海を渡って攻めて来られた時を想定して、安全な場所を選ぶと思います。

安全な土地を選ぶと思うのです・・

 

大変申し訳ございませんが・・・

 

直ぐに攻めて来られる海に近い場所は 選びませんね・・・

 

 

そう考えると・・球磨盆地(人吉盆地)は自然の要塞 

 

つまり山々に囲まれた 難攻不落な 自然の要塞になります

 

う~ん😊 あ・ん・ぜ・ん~

 

さらに・・・磁気を発する山々ですから 祈りの地として選ばれている・・

 

う~ん😊 あ・ん・ぜ・ん~ です(p_-)

 

 

しかし・・油断は出来ないので・・(p_-)

海沿いには 強~い軍隊を配置して万全の体制を

取るでしょうね・・(p_-)

 

 

 

盆地内には

久米物部氏

 

人の場合

久米(クメ) は武 つまり軍隊

物部(モノ) は祭祀を司る

人達・・

 

 

こう考えてみると

球磨にはクメとモノ と言った最強の集団がいらした訳だ・・・

 

う~ん😊 あ・ん・ぜ・ん~ です(p_-)

 

 

(p_-) (p_-) (p_-) (p_-) ・・・・・・・・・・・・(p_-)

 

 

 

次回は ”こういう土地”にいらした方々の検証を行います。(ついに・・と言うお声が・・)

 

 

その前に皆様にお願いしたい事があります。

4.皆様へのお願い

 

皆様にお願いしたい事とは

次回以降、私が書かせて頂く事をご覧になられる際に

皆様方がお持ちであろう『バイアス』を払拭して頂きたいのです。

 

それは・・金印 です・・・

 

 

古事記・日本書紀が編纂された8世紀には

金印は 見つかってはいません (ー_ー)!!

私は個人的に「あの金印」の出土には 若干 いえ・・ 多く疑問があります(独り言)

 

8世紀の古事記・日本書紀の編纂者の方々は数々の「中国の史書」を熟読なさっていらっしゃいます。

 

つまり、金印のバイアスが全く無い状態で編纂された

古事記、日本書紀 なのです。

 

 

バイアスを抜きにした方々が約2000年前をどのように描かれていらしたのか

 

私は 素晴らしい記録だと思います😊

 

 

確かに熊襲征伐という架空のお話はありますが

 

熊襲と記された方々の後裔の方々は

義の元にそれをお許しになられていらっしゃる 私はそう考えます。

 

 

だからこそ、私は熊襲と記された方々の後裔の方々は「この方々でしょう・・」などと

このブログ内で言及するつもりは全くありません。

 

 

その極意秘密を守り通してきた ご先祖様に誓っております <m(__)m>

 

 

私は、九州の連合国という言葉を以前使いましたが・・・

西暦200年頃は全国至る所に弥生文化が息づき、素晴らしい遺跡が多くの地域にある!

という事をもちろん存じ上げています(^'^)

だからこそ 日本は素晴らしいのです😊

 

 

 

今回は 球磨へのバイアスと海が見える土地 と題して

1.球磨の柄鏡式古墳

2.柄鏡式古墳とは・・・

3.球磨からは海が見えるのです😊

4.皆様へのお願い

 

と言った内容を書かせて頂きました。

 

 

最後までご覧頂き ありがとうございました。

 

皆様 くれぐれもお身体十分にお気を付けになられてお過ごし下さい。

 

どうか ご安全にお過ごしになられて下さい。

 

 

皆様 だんだんなぁ~

 

球磨の地より ひろっぷでした😊

 

次回『㉖番外編 聖火を見ながら気が付いた石のビーナスの事』に続きます。