前回のブログ『㉘保存版(番外編)元気の秘密と球磨の三善、久米の聖観音菩薩様』

より続きます。

 

 

 

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私が球磨から発信するこのブログを御覧頂き ありがとうございます。
皆様方には心から感謝いたしております。

 
球磨の古代の事、球磨の歴史を書く事で、
令和二年七月の豪雨災害により、元気をなくしてしまったこの郷土の方々が
故郷を離れて遠い地で故郷を思う方々が
郷土に誇りを感じ、少しでも勇気づけて頂ければと思いながら
ブログを書いています。
さらに、全国の多くの方々に、球磨の歴史をお伝えしたい!
と強く思いながら、毎回、拙いブログですが心を込めて書いています。

 

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新型コロナウィルス(武漢ウィルス)の変異株が日本国内、世界中で猛威をふるっていますが
新型コロナウィルス(武漢ウィルス)により
犠牲となられた方々の御冥福をお祈り申し上げます

 

感染された方々が一日も早くお元気になられますように

さらに、この難局を世界中がいち早く乗り切れる日が来ることを心よりお祈りいたします。

 

 

 

令和3年8月19日 新型コロナウィルス感染症によりお亡くなりになられた

千葉真一様のご生前のご功績を偲び、心からご冥福をお祈り申し上げます

 

 

活躍なさっていらっしゃる二人のご子息との共演を楽しみになさっていらした

との報道を拝見して、さぞや無念でいらした事か・・とあらためて、非情な新型コロナウィルスに怒りがこみ上げています

 

千葉真一様のお母様が球磨とご縁がおありになられた事を、私のブログをご覧頂いている

尾方様からお伺いしておりました

 

ブログ『⑥陸続きだった列島と島生みと だんだんなぁ~』の中でご紹介したように

 

 

映画 るろうに剣心 最終章The Final/The Beginning は 2018年12月
人吉球磨地方でも撮影されていました。

 

ご長男の新田真剣佑さん、主演の佐藤健さん、出演者の方々が撮影に臨むに至って、激しいトレーニングを重ねていらっしゃった事が解る、動画を拝見致しました。

 

映画『るろうに剣心 最終章 The Final』トレーニング特別映像

 

 

 

 

ご息女、ご子息方は、お父上から受け継いだ「魂」、「愛」を心の中に持ち続けて

これからも活躍されるのですね。

 

遠い球磨の地から応援させて頂きます

 

 

 

 

 

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魂の記憶・・・・

 

最近、所用が重なって、久しぶりの投稿となりました。

 

この間、ブログ㉗保存版(後編-2)国内初、空から攻撃を受けた球磨と刻目突帯文土器

に対する、新しい情報や、気が付いた事がありましたので、ご紹介させて頂きます。

 

音楽と共にお付き合いください<m(__)m>

 

HAVASI — Generali (Official Concert Video)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

1.国内初、空から攻撃を受けた球磨と刻目突帯文土器に

関する新情報

 

 

 

 

2021年8月17日付の 日刊 人吉新聞に

終戦76年 83年前 空から反戦ビラ 日中戦争 中国空軍機 郡市まで侵入

といった題の記事がありました。

 

人吉新聞社様の記事には飛行経路が詳しく記されていましたので、ご紹介させて頂きます。

 

 

人吉新聞社様の記事より

 

参考資料などによると

今から83年前の日中戦争時、中国空軍機2機が深夜に中国を飛び立ち、

20日早朝、九州に侵入して球磨川をさかのぼり、人吉市から二手に分かれ、

1機は上流に沿って湯前町を抜けたとみられる。

 

2機は宮崎県で合流後に旋回し、今度は球磨川沿いを下り、九州を離脱したという。

 

中略・・・

湯前町誌では

「五月二十日午前四時十五分頃、中国空軍機一機が、黒肥地村(※現多良木町黒肥地)の

須恵山地方に反戦ビラをまいて飛び去ってからは、いよいよ燈火管制が厳しくなり、

屋外燈の管制が強化され始めた」と2行しか触れていないが、これを機に防空体制が強化され始めたのがうかがえる。

 

 

以上 2021年8月17日付の日刊 人吉新聞より抜粋させて頂きました。

 

 

 

球磨川を北上・・・

球磨川沿いを下り 九州を離脱・・・

 

やはり・・狙って来たのだな・・

私はそう強く感じました

 

 

 

球磨川に対しての 何か意図を感じました・・

 

 

 

日中戦争 正確には支那事変(日華事変)

ウィキペディアより

宣戦布告はどちらからもされておらず、天皇の詔勅もなかったので正式な戦争ではなく

日華事変と呼んだ

 

 

確かに、祖母も、支那事変 と言っていました・・・

 

 

保存版(後編-2)国内初、空から攻撃を受けた球磨と刻目突帯文土器 より

 

蒋介石の次男、蒋緯國将軍が著書「抗日戦争八年」で述懐するところでは、飛来したのは1機ではなく実は2機の編隊で、米国から供与されたマーチン社製の4人乗り爆撃機B-10Bを使った。中国語で「馬丁(マーチン)式重轟炸機」と呼ばれていた。
 

 

 

蒋緯國将軍 ウィキペディアより

 

 

蔣 緯国(しょう いこく、1916年10月6日 - 1997年9月22日)は、中華民国国民革命軍の軍人。幼名を建鎬、号を念堂と称す。

 

蔣緯国は蔣介石の次男である。本人は蔣介石の養子であることを否定していたが、

晩年に著した自伝『千山独行:蔣緯国的人生之旅』の中で、生父は戴季陶であり、

母親は日本で看護師をしていた重松金子であることを認めている。

 

以上ウィキペディアより転記致しました

 

 

 

蔣 緯国 この方の

お母様は日本人だったのだ・・・

 

 

 

何故?「馬丁(マーチン)」は球磨川を北上したのか・・・!?

 

 

 

反戦のビラ・・

マーティン B-10 ウィキペディアより

 

 

マーティン B-10(Martin B-10 )は、アメリカのマーティン社が開発し、アメリカ陸軍航空軍などで運用された爆撃機。アメリカ陸軍航空軍が採用した初の全金属製単葉爆撃機である。

 

中略・・・

本機は1936年に輸出許可が出たため、各国に輸出された。輸出型は社内名称で139W型と呼ばれた。本機を最も多用したのはオランダで、オランダ領東インド=後のインドネシアを中心に100機以上を配備した。また、アルゼンチン、中華民国、トルコ、タイなどにも輸出された。中国では、「馬丁式重轟炸機(馬丁はマーチンの音訳)」と呼ばれた。

日中戦争中の1938年(昭和13年)5月19日、中華民国空軍に所属する2機の139WC(B-10B)が寧波の基地から日本の九州上空に飛来し、鹿地亘作成によるビラを散布した。

 

当初は、フランス人義勇パイロットの操縦で鹿児島に焼夷弾を投下する計画であったが、重量と航続距離の関係で往復できないために却下され、ビラ投下にとどまったが、日本本土に敵国の軍用機が侵入した史上初の事例となった。

 

以上 ウィキペディアより抜粋致しました。

 

 

焼夷弾を投下する計画からビラ投下に変更・・

当時の記録は、様々な内容が入り乱れていて、後に都合の良い話に変わる事は多々ありますから、実際の計画がどうであったのか?は解りませんが・・

 

球磨川をさかのぼり上流部でビラを投下し、

球磨川を下り、九州を離脱

 

これが実際に起こった事

 

 

支那事変当時の中華民国と現在の中華民国(台湾)の違いを理解していない方は

いらっしゃらない (ー_ー)!! と思いますが・・・・

 

 

 

私は

日本本土に敵国の軍用機が侵入した史上初の事例となった

 

この一行を見ると 本当は悲しいどころか・・とても

ムカッ!

と くるのです

保存版(後編-2)国内初、空から攻撃を受けた球磨と刻目突帯文土器では、

少し優しい言葉を使っていましたが、これが本音です

 

ムカッ!とくる

 

それは・・もしかしたら、魂の記憶ではないのか!?と感じています

 

 

2.魂の記憶・・・

 

実は、人吉新聞社様の記事を拝見して気が付いた事がありました。

 

 

先にご紹介した

湯前町誌の記述・・ の他に

 

人吉新聞社様の記事には

歴史研究家の福田様

湯前町にご鎮座の市房山神宮里宮(下宮)通称里宮神社境内にある

軽巡洋艦球磨記念館の一角に、使用された機体の模型や当時の号外、飛行ルートを記した地図などを展示なさっていらっしゃる事が紹介されていました。

 

 

湯前町誌・・・

市房山神宮里宮(下宮)通称 里宮神社・・

昭和13年5月・・・

 

 

あっ!!!!!!

 

当時の球磨川上流部地域、行政に携わっていた人達・・

 

あっ!!!!!

 

 

平川の曾祖父と、三人の弟の方々!!

 

 

昭和13年当時

私の祖母の父、岡原平川家の当主であった、平川の曾祖父は

岡原村(現あさぎり町岡原)の助役。(現在で言う所の副村長)

※明治時代から岡原村の村会議員を務めていた、宮原の曾祖父は、昭和7年に他界しています

 

 

 

平川の曾祖父 右端

当時、中国ハルピンにいた祖父のもとに、岡原村から

祖母と岡原で生まれた伯父(私の父の兄)を連れて行った時の写真

平川曾祖父編集

 

 

 

平川の曾祖父の弟さんは・・・

昭和13年当時の湯前町町長!

2017年8月に書いたブログです。

 

 

平川家の一族 曾祖父の弟の方

 

 

 

 

岡原平川家の二男であった、平川源市氏は、湯前の平川家に養子に入り家を継ぎ

(養子先の湯前村平川家の義父でいらした方は、明治初頭の初代湯前村長でした)

 

昭和7年に湯前村(現湯前町)の村長に就任。

 

その後、湯前村が湯前町となった時の初代町長でもありました。

 

 

 

 

ブログ『平川家の一族 曾祖父の弟の方』でも書いた通り

 

市房山神宮里宮(下宮)通称 里宮神社の創建に貢献されて、

 

『市房山神宮里宮社』完成式での

平川源市村長の「祝詞」は湯前町史に記載されていました。

 

よろしければ、じっくりとお読みになられて下さい <m(__)m>

 

 

 

昭和13年5月 当時、私の曾祖父の弟である平川源市氏は

湯前町の町長、現役でした

 

 

実は・・

平川の曾祖父の弟の方々、もうお二方

 

お一人は

当時の湯前町町会議員で・・

お一人は

当時の久米村(現多良木町久米)の助役。現在の副村長でいらっしゃいました・・

 

昭和13年5月 当時の球磨川上流域の行政に携わっていた人達

 

曾祖父はもちろん、弟の方々を含めた、行政に携わっていた人達は

日本本土に敵国の軍用機が侵入した史上初の事例

を受け、動揺をする事は無かった・・

 

しかし・・内心は とても悔しかったのではないのか・・!?

 

本当は 怒りがこみ上げていたのではないのか・・・

本当は ムカッ!! ときたのではないのか・・・

 

 

当時、中国にいた私の祖父だって同じ気持ちであったと考えます

 

 

その 怒り

その ムカッ!!が

魂の記憶として 私に伝わっているのでは ないのか・・!?

 

 

だから、私は 前々回のブログで

何しにここに来た!

と激しい口調が出たのではないのかな・・・

 

 

 

勝手な推測ですが、しかし・・私は

魂の記憶は必ず、伝わっている

と感じます・・

 

 

こう言う事を書くと・・危険思想とか 激しい人とか 言われるのかな・・

 

 

3.ここからは 独り言です

 

 

激しい? 

結構!!😤

 

以前から、私は球磨は静と動が共存している・・と書いてきました😊

私にも 静と動が共存している・・と書いてきました😊

 

 

縄文時代の方々が祈りだけの静かな人達だった・・!?

そんな事はない!(ー_ー)!!

 

 

そういう考えは縄文時代の方々に失礼だと思います!

 

縄文時代は狩猟採集の時代

 

狩りを行い、命をありがたく頂いて

 

生命への感謝と共に

 

地球への感謝を祈りとして捧げてきた

 

それが縄文時代の人達です

 

 

決してひ弱ではない!

勇敢に狩りを行って来られたのです

 

祈りを捧げ

相手を思いやり

勇猛果敢に戦う事もある

 

 

この精神が日本国の根底として綿々と受け継がれている

と私は思います

 

 

もしも・・ただ優しい人達だった・・のであれば

今頃、この日本という国は存在していなかったかもしれません

 

 

縄文人も弥生人も

古代の人達は 精神が強かった!

と私は尊敬しています

 

古の人達が愛して守って来られた

日本を

今こそ、しっかりと守り

愛していきたい

ですね!

 

 

強い精神を持って

ウィルスだけではない

海の外から、様々な地域からの、

日本に降りそそぐ様々な火の粉を振り払いましょう!

 

 

新型コロナウィルス(武漢ウィルス)の変異株が日本国内、世界中で猛威をふるっています。

感染者数ばかりが国民を惑わしていますが、もっと、世界と比較して、

日本がどれだけこの1年半程、踏ん張って頑張ってきたのか

もっと多くの人達が理解すべきだと思います。

 

自分達の政権であった当時に保健所を減らしてしまった事を忘れたか!のように、

国内のワクチンの研究施設を次々と閉鎖に追い込んでしまった事を忘れたか!

のように・・揚げ足をとって非難しかしない人達。

 

私は・・国民をバカにしているのかな・・と思います

 

 

 

揚げ足を取られる方々も

揚げ足を取られないように

 

これ以上 多くの尊い命が犠牲にならないように

 

「こん薬はコロナに効くげなバイ!」

と言われる自国の薬を特別対応として どんどん承認して、

国民を早く安心安全な生活に戻して頂きたかですね!

世界の模範になるごと!

 

 

あっ・・・球磨弁ひろっぷが登場しました<m(__)m>

 

 

 

最後は独り言となってしまいましたが・・

 

今回は、魂の記憶と題して

 

1.保存版(後編-2)国内初、空から攻撃を受けた球磨と刻目突帯文土器に対する
  新情報

 

2.魂の記憶・・・

 

3.ここからは 独り言です

 

というお話を書かせて頂きました<m(__)m>

 

 

後編の続きは、出来るだけ早く書きます(^o^)/

実は(p_-) 旧多良木村(現多良木町)には鎌倉時代の初頭には すでに ・・

羅城 と言われる城が存在していた・・!

という事も知りました(p_-)

 

多良木の羅城

 

多良木は 本当は 多羅木 じゃなかったのかな~ (p_-)

 

多羅国ってそう言えば・・・半島にありましたね~ ・・(p_-)

 

この事は 出来るだけ早く 書きます (p_-) <m(__)m>

 

 

 

 

最後まで、ご覧頂きありがとうございました。

 

こちらは、晴れていたかと思えば急に豪雨になったりと不安定な気象状態が続いています。

 

第3の極の 異常が、地球規模で影響を与えていますね・・

 

 

 

 

皆様方も、十分に気を付けてお過ごしになられて下さい。

 

だんだんなぁ~

 

負けんバイ!!

 

球磨の地より ひろっぷ でした😊

 

次回『㉚後編-3 ツルマメと最古様式の銅剣と・・』に続きます。

 

 

 

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※私のラインを御存じの方々へ <m(__)m>

 

実は、8月2日より、ラインが使用出来なくなっていました😥

 

何でも・・サポートが終了したとかで・・スマホが古すぎた・・(^▽^;)

主人は球磨に来てからすでに3回も買い替えているのに・・

私は、物に対する愛着が深すぎて買い控えていたのですが・・

まさかサポート終了でラインが使えなくなるとは・・😥

 

この事を受け、すぐに買い替えよう!としたのですが、

主人が帰省を控えるように言われても感染拡大地域から帰ってきている人はいるはずだから、もうしばらく待ちなさい(ー_ー)!!

と言うので、ずっと待っていて・・ようやく、先日、買い替える事が出来ました😊

 

残念ながら8月2日以降に送って頂いた内容は見る事も出来ず全て消えておりました(@_@。

 

もし、送られていた方々には 大変申し訳ない事を致しました。

ごめんなさい<m(__)m>

 

ひろっぷ

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