前回のブログ『特別編㉛後編-4 球磨の小纚川と対馬国』より続きます。

 

 

 

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私が球磨から発信するこのブログを御覧頂き ありがとうございます。
皆様方には心から感謝いたしております。

 
球磨の古代の事、球磨の歴史を書く事で、
令和二年七月の豪雨災害により、元気をなくしてしまったこの郷土の方々が
故郷を離れて遠い地で故郷を思う方々が
郷土に誇りを感じ、少しでも勇気づけて頂ければと思いながら
ブログを書いています。
さらに、全国の多くの方々に、球磨の歴史をお伝えしたい!
と強く思いながら、毎回、拙いブログですが心を込めて書いています。

 

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新型コロナウィルス(武漢ウィルス)により
犠牲となられた方々の御冥福をお祈り申し上げます

 

感染された方々が一日も早くお元気になられますように

さらに、この難局を世界中がいち早く乗り切れる日が来ることを心よりお祈りいたします。

 

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久しぶりの投稿となりました<m(__)m>

 

私はお陰様で元気に過ごしております😊

 

キュウリの収穫お手伝いも順調です😊

 

ハウスの中

 

全長80メートルのハウスが3棟。

幼なじみの奧さんと二人で、収穫しています😊

 

 

 

早朝は涼しいのですが、時間が経過すると、汗だくになります。

しかし、前回も書いたように😊 帰宅後のシャワーは格別です😊

 

所用も多くて、中々パソコンに向かう時間が取れないでいます。

 

本日は、キュウリの収穫も午前中、早く終わり

所用もなく 時間が取れました😊

 

ブログ後編の続きを書きたいのですが、何だか頭がうまく回りません・・

思考の休憩期間?」と自分で呼んでいるのですが

こういう時が年に数回あるのです・・

 

ただ・・

秋の美しい風景を見かけたら、直ぐに写真を撮るようにしています。(^'^)

 

 

ブログ『再 ㉕保存版(後編-1)球磨へのバイアスと海が見える土地』で書いたように

 

 

私はポリエチレングリコールにアレルギーがあり、残念ながらワクチンの接種を受ける事が出来ませんでした。

ですから、写真は球磨盆地(人吉盆地)に張られた「結界」の中でしか撮る事が出来ません。

でも、とても美しい秋の景色を身近で堪能しています😊

 

それに・・嬉しい事に国内でウィルス不活化ワクチンの開発、治験が順調に進んでいるようですので、承認を心待ちにしております😊

 

 

と 言う事で

今回は 最近撮った写真を皆様にご紹介しよう(^o^)/ と思いました😊

初めてのパターン?です

 

ただ・・・ナカには、摩訶不思議な?写真も含まれております(p_-)

 

それに・・ずっと行きたかった場所が、ナント!

過去ブログで書いた南北朝時代の「ある御方」に繋がっていた事も写真を撮って初めて知りました。

\(◎o◎)/!

 

 

球磨郡久米郷の秋(写真集?)と南北朝時代の事

と題します(p_-)

 

写真でも相変わらず長くなりますので。。(^▽^;)

今回も音楽と共にお付き合い下さい<m(__)m>

 

BRAVERY - Epic Powerful Cinematic Music Mix | Epic Beautiful Fantasy Orchestral Music

 

 

 

 

 

 

①コスモスが咲きました😊

 

ブログ『㉘保存版(番外編)元気の秘密と球磨の三善、久米の聖観音菩薩様』でご紹介した

 

 

 

コスモスが咲きました\(^o^)/

 

 

 

可愛らしいピンクのコスモスです😊

 

 

最近のスマホは性能が良いので、写真撮るのが下手くそな私でも上手に撮れました

(^▽^;)

 

この写真を撮った日から数日経過しましたが、庭の至る所でコスモスが咲いています😊

大好きな生駒高原には行けませんが、家でコスモスを見て癒されています。

 

 

 

 

②山から空に昇る雲

 

先日、雨の中、キュウリの収穫を行っていて、作業が終わる頃に、雨も止み・・・

ハウスの外に出ると、凄く荘厳な風景が広がっていました。

 

山から雲が空に昇っていました😊

 

 

 

 

黒原山(くろばる山)は江戸時代の幕府所有の古地図には

あまひき嶽 と書かれていました。

 

黒原山に空から雲が降りてくる姿は良く見かけるのですが、

雲が空に昇る光景を凄く近くで見ると

とても幻想的で荘厳でした。

 

 

盆地を取り囲む山々から登る雲

 

市房山から昇る雲も荘厳でした

 

 

 

球磨川北岸の壁のような山々の下に雲が連なっていました

 

 

 

 

球磨盆地を取り囲む山々は、以前もご紹介したように

日本最古の陸地の一つであり

盆地内は、山々の隆起に奇跡的に取り残された地であり

100万年前までは、湖でした😊

 

 

 

 

③彼岸花と夕日

 

 

私の家の前を流れる井口川(旧久米川 ※古老は鶴川と呼びます)

河川敷には彼岸花が2㎞程に渡り、満開に咲いています😊

 

 

 

 

 

 

以下は

夕暮れに散歩をしながら写真を撮りました😊

 

 

 

河川敷以外にも、家の近くの道路脇にも彼岸花が満開です😊

 

下の写真・・

右側の山が球磨の霊峰 『市房山』

仲良く並んで見える

左側の山が 『江代山』

 

江代山は日向国(宮崎県)側では「津野岳」と別称で呼ばれています

つの 岳」です

 

 

以前からご紹介していますように

市房山には伊勢神宮の式年遷宮において本殿を造営する際に使用するご用材の杉が育成されています。

 

さらに、皇居宮殿には、市房杉、市房ヒノキがご用材として使用されています。

 

 

 

 

しだいに日も暮れかかり・・・

夕焼けがとても綺麗でした😊

 

 

 

 

 

 

 

夕日と言えば・・・

 

 

先日、主人が仕事先から帰宅途中に、宮崎県えびの市で撮影した夕日も凄く綺麗でした😊

 

右側に見える山は球磨盆地を取り囲む山々をえびの市側から見た風景です。

 

 

 

 

 

 

④秋のお彼岸 宮原観音堂

 

9月19日。

20日から始まる秋のお彼岸、宮原観音堂の御開帳を前に、私の住む宮麓集落では、全戸から人が出て、「道造り」が行われました。

 

道造り」とは宮原観音堂に繋がる道や、観音堂周辺の草刈、草むしり、旗を立て

そしてお堂内の清掃を行う昔から伝わる集落のご奉仕の一つです😊

 

私は、集落の女性方とお堂の中をほうきで掃き、雑巾で水ぶきを致しました😊

 

 

「道造り」 直後の宮原観音堂

今年は春に藁ぶき屋根の葺き替えが行われました。

 

 

 

 

宮原観音堂は

大同元年(806年) 豊後大神氏の祖 大神惟基 の霊夢によるご神託によって創建された

中嶋大権現(中嶋霧島神社※宮原霧島神社)の別当寺であった龍泉寺の観音堂跡

であります。

 

新型コロナウィルス感染拡大に伴い、昨年に続き、今年も、お彼岸の間にお参りに来られる方々への集落をあげてのご接待は中止となりました。

 

 

私は、23日に休みだった主人と一緒にお参りに行きました😊

 

 

 

私達が伺っている間、絶え間なく信仰深い方々がお参りに来られていました。

 

 

 

 

お堂内の厨子

 

 

 

 

聖観音菩薩坐像  作 室町時代

 

 

 

私は

お守り下さりありがとうござます

とお礼を申し上げ

 

北九州市に住む子供たちと子供たちの愛する人達

そして我家の

家内安全無病息災をお祈りすると共に

 

国内を疫病からお救い下さいませ

とお祈りして参りました

 

 

 

 

 

 

宮原観音堂周辺も彼岸花が満開でした😊

 

 

 

 

宮原観音堂は黒原山の麓 山間部にあります

 

 

 

 

令和二年七月豪雨により、ここから先は下の道路も上の道路も

いまだに全面通行止めです

 

 

 

この濁流が、集落を直撃しなかった事は

宮原観音堂の観音様がお守り頂いたから

と私は考え、心より感謝致しております

 

 

 

 

 

 

 

⑤秋時観音様と永里氏

 

宮原観音堂から、続けて、あさぎり町上(旧上村)の秋時観音様にお参りに行きました😊

 

風景が好きでよく通る県道43号線。

 

球磨のレイラインと呼ばれる県道で、道沿いには数多くの神社様がご鎮座です。

 

その県道43号線沿いに「秋時観音様」の案内板があります。

 

秋時観音様には幼い頃、一度だけ行った事がありますが、その後、行った事がなく

 

今年は初夏の頃から主人に

「秋のお彼岸には秋時観音様に行こうね!😊」とお願いして、秋の御開帳を楽しみにしておりました。😊

 

 

 

 

お堂までの参道を下から撮った写真が・・何故かスマホから転送できず😥

さらに・・観音様のお写真も、何故かスマホから転送できず😥

 

何故だろう??と不思議なのですが、(今はまだ・・と言う事なのかな・・独り言)

今回は、秋時観音様が建立されている場所の風景をご紹介させて頂きます<m(__)m>

 

 

観音堂の前から撮った風景

 

 

 

山を少し登った先に秋時観音様がお祀りです。

 

 

深い木々に包まれた世界です

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ここで・・・秋時観音様の御由緒書きを撮ったのですが・・

御由緒書きの内容を帰宅して読んでいた所・・

 

こちらが

私の過去ブログでご紹介した南北朝時代の御方にお繋がりの地であった事を

初めて知りました!!

 

 

 

 

 

 

抜粋致します <m(__)m>

 

相良三十三観音霊場 第三十番札所

秋時観音堂

あさぎり町上南字秋時

 

木造十一面観音菩薩立像 像高156.0㎝ 台座高 36㎝

一木造 彫眼

 

この秋時観音堂の本尊は、木造十一面観音菩薩立像で

南北朝時代か室町時代前期頃(およそ500~650年前)の作と思われます。

 

中略・・

本尊の木造十一面観音菩薩立像は、記録によると、もとは永里城の菩提寺であった珠玉寺(じゅほう寺)の本尊と伝えます。

 

その永里城は、この場所から南方向およそ500mの位置にある花牟礼山(はなむれ山)に築かれていた山城です。

 

永里城の領地は、現在の井上、下永里、上永里、榎田、中原地区にあたります。

 

お城は南北朝時代には存在していたらしく、もとは永里彦次郎の居城でした。

 

 

以下にも、とても大切な記述がありますが、何時か機会を設けて、当ブログであらためてご紹介させて頂きます<m(__)m>

 

 

 

本尊の木造十一面観音菩薩立像は、記録によると、もとは永里城の菩提寺であった珠玉寺(じゅほう寺)の本尊と伝えます。

 

お城は南北朝時代には存在していたらしく、もとは永里彦次郎の居城でした。

 

 

永里彦次郎・・

この方は!!!!

\(◎o◎)/!

 

 

昨年 2020年12月29日に書いたブログ

人間の地磁気感受性と阿米と繋がる中世の球磨』でご紹介した御方です!!

 

 

詳しくは、上記ブログをご覧下さい <m(__)m>

 

 

 

2.中世の球磨 永里氏の出自』の中で

堀ノ内様よりありがたいご教示をコメントにて頂いたお話をご紹介させて頂いております。

 

 

永里氏 は菊池一族の方で、

堀ノ内様よりご教示頂いた系図には


肥後国人吉庄東郷永里村并 同国合志庄高永地頭職相伝系図
合志九郎季高ー永里次郎季綱ー弥次郎基季ー小次郎保基ー弥次郎基平ー彦次郎高重(一童名法師房丸)(この人の従兄弟に木場五郎季親)

彦次郎高重(一童名法師房丸)

とありました。

 

相良家文書 相良定頼并一族等所領注文 にも

永里彦次郎 という御方の記述がありました。

 

 

 

今年の秋のお彼岸には必ずお伺いしよう!😊

と待ち望んでいた秋時観音様は

永里彦次郎様にもお繋がりの観音様であった・・!

という事を知り、とても驚きました・・

 

そう言えば・・

南北朝時代の球磨

 

球磨郡久米郷の橘氏橘遠江入道 道公 という御方も・・

 

上城 城主 三池兵庫介(三池氏 ※中原氏)も・・

 

岡本城 城主 菊池一族「岡本氏」も・・

 

そして・・

永里城 城主 永里彦次郎 (永里氏 ※菊池氏)も・・

 

皆さん 

南朝方として活躍された

のですよね・・

 

 

私はとても 不思議な思いが致します

 

山江村歴史民俗資料館に展示の南北朝時代の球磨の国人勢力図

 

南北朝時代に登場する国人と城館分布図

 

 

当時の国人衆
上相良氏(多良木氏)・久米氏・小田氏・奥野氏・宮原氏・岡本氏・
須恵氏・永里氏・平川氏(平河氏)・下相良氏(人吉)

 

 

秋時観音様にお伺いして、永里彦次郎様の記述に気が付いたのは

ブログ『人間の地磁気感受性と阿米と繋がる中世の球磨』を書いて10か月も経ったお彼岸・・

 

 

私はとても 不思議な思いが致します・・・

 

 

 

 

秋時観音様の帰りに・・・

こやぎさん 発見! です 😊

 

 

 

 

草を食べていました😊

可愛かったですよ~!!!☘🌼

 

 

秋時観音様近くから見た風景 黒原山、遠くに市房山、江代山が見えます

 

 

 

秋時 という変わった地名なのですが・・

 

興味が湧いて調べてみると・・

 

そもそも「秋」 は 「とき」 と読む事を初めて知りました

 

「秋」は五穀豊穣に関わる大切な時期である事から「とき」とも読む・・

 

といった内容のお話を多数拝見する事が出来ました😊

 

 

 

 

 

 

 

では・・・最後に摩訶不思議な写真をご紹介致します <m(__)m>

 

 

⑥山に浮かぶ月と青い光・・?

 

黒原山(くろばる山)・・

 

 

 

黒原山からは、銀が採掘され、金銀含有アンチモニが採掘され

 

さらに、「この地」は

日本に三か所しか存在しない

水銀鉱床帯の一つ 九州南部水銀鉱床群の一部
 であります。

山の反対側には、今でも朱(辰砂)の赤い地層が露出している場所があります😊


宮原観音堂近くの田んぼの畦からは

ベンガラの元になるリモナイトが今でもダラダラ・・と流れ出しています😊

鉄の元でもありますね😉

 

 

補足しますと・・

球磨盆地内 球磨村からは鉄鉱石が採掘されていました。

複数の河川からは砂鉄も採取されます。

 

 

先日、中秋の名月がとても綺麗でした😊

 

そして翌日も・・

 

お月様がとても綺麗だったので、庭で眺めていると

お月様が黒原山の左側付近で美しく輝いているので

「写真を撮ろう (^o^)/ 」と思いまして

 

二階に行き部屋の窓を全開にして

月が漆黒の山々を照らす美しい写真を撮ったのです・・・

 

撮ったのですが・・

月が漆黒の山々を照らす美しい写真を撮ったはずなのですが・・・

 

 

何故か? こういう写真が撮れておりました (?_?) 

 

 

何で?? (?_?) (?_?)

真っ暗闇で月明りで輪郭がしっかりと解る山々だけ だったのに・・

 

何か 写っている?? ハテナ (?_?)

 

 

直ぐに主人に見せると・・

お月様の下の光はおそらく街灯 (p_-) 」と言うのですが

 

続けて・・

 

でも、この青い光は 何だか解らない (ー_ー)!! 

 

しかし・・何か写っている・・

 

と言うのです・・

 

お父さ~ん!! と父に見せると・・

 

うん?青い光が写っとるな~ 😐 」

 

と言うのです・・

 

これ、何だろう?」と聞くと

 

何かは解らんが・・写っただけタイ 😊」

と言うのです・・

 

確かに・・街灯はあるのですが・・

 

街灯の先に見える 何だろう?壁?のような物は、そこには無く・・

 

青い光の所は、道がない小高い山の上で・・

 

普段は人は登る事は無い場所・・

 

 

一体何だろう??と スマホの画像を拡大してみたり・・

試行錯誤していたら・・

 

父が

「そんなに深く考えるな 😊 」

「たまたま 写っただけの事 」

と・・

 

でっ・・独り言のように

「何せ、撮ったのが ひろさんだからなぁ~」 と ニコニコするのです・・

 

(?_?) (?_?) (?_?) 私は一体何を写したのだろう (?_?)

 

 

でも・・父が言うようにあまり深く考えないようにします 😊

 


 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

と言う事で

今回は、身近な秋を撮影してご紹介させて頂きました <m(__)m>

😊

 

 

写真をブログに載せながら つくづく 

日本に生まれて良かった~

と私は思いました😊

 

四季折々の花々や木々の移り変わり

古(いにしえ)の方々の生きた証

祈り が身近に感じられて

日本に生まれて良かった~

と私は感動しております😊

 

 

 

 

 

皆様

最後までご覧頂き ありがとうございました。

 

私の「思考の休憩期間?」はもう少し時間がかかるかもしれませんが

いつもの調子に戻ったら、早速、前回の続きを書かせて頂きます <m(__)m>

 

※毎年、この「思考の休憩期間?」には、次に進む為の「きっかけ」が発生?する事が

今まで度々ありました。

今回は 何だろうなぁ・・(p_-) ・・(^▽^;) (独り言でした・・)

 

 

皆様、お身体十分にお気を付けになられてお過ごし下さい。

 

 

だんだんなぁ~

 

明日も、キュウリの収穫 行って参りま~す (^o^)/

 

球磨の地より ひろっぷ でした 😊

 

次回

『300投稿目 感謝の秋 ご縁 嬉しい出来事と父の事 そして これからだ!』に続きます