前回のブログ『再投稿㊱後編-5 神の川と苧麻は「ヲ」と呼ぶ球磨人と球磨紀伊山地

より続きます。

 

 

 

 

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私が球磨から発信するこのブログを御覧頂き ありがとうございます。
皆様方には心から感謝いたしております。

 
球磨の古代の事、球磨の歴史を書く事で、
令和二年七月の豪雨災害により、元気をなくしてしまったこの郷土の方々が
故郷を離れて遠い地で故郷を思う方々が
郷土に誇りを感じ、少しでも勇気づけて頂ければと思いながら
ブログを書いています。
さらに、全国の多くの方々に、球磨の歴史をお伝えしたい!
と強く思いながら、毎回、拙いブログですが心を込めて書いています。

 

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新型コロナウィルス(武漢ウィルス)により
犠牲となられた方々の御冥福をお祈り申しあげます

感染なさった方々の一日も早いご回復をお祈り致しております

 

 

明るい道が見えて参りましたが

冬をむかえるにあたり
油断せずに、お国から言われている事「感染対策」をしっかりと守って

出来るようになった事の数々を感謝して過ごしていきたいですね😊

 

 

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今回は後編の続きではありません<m(__)m>

 

まずは 皆様へ嬉しいご報告です!😊

 

 

1.くま川鉄道部分運行再開

 

令和2年7月豪雨により、甚大な被害を受けた くま川鉄道が

本日11月19日~27日までの間、試験運転を経て、

11月28日 ついに 部分運行が再開致します!

 

 

 

くま川鉄道株式会社様 公式ページより

 

 

 

豪雨災害のため被災し、全線において運休しておりましたが

令和3年11月28日より部分運行再開(肥後西村~湯前間)します。

 

 

 

 

\(^o^)/

とても とても 嬉しいです

皆、とても喜んでいます!

 

 

 

 

 

球磨川鉄道の全線24.8kmのうち川村~肥後西村間の球磨川第4橋梁が流出。

 

比較的被害の少なかった球磨川第4橋梁の東側にあたる肥後西村~湯前間が

部分運行再開となります。

 

人吉温泉駅構内でKT-500形の全5両が水没して被災しましたが、修理可能であった3両が無事修理を終えて、17日夜、人吉温泉駅からあさぎり駅まで、陸路で輸送されました。

 

 

 

 

動画ニュース あり 熊本県民テレビ様

「ワクワクする!」被災したくま川鉄道 車両移動大作戦【熊本】

 

 

 

映像の中にあった

くま川鉄道・生駒圭史運輸課長のお話

「実際この車両が動き出すのを見ると実感が湧いてくる。

いよいよだなという所で一歩前に進んだのかな」
 

 

一歩前に進んだ

 

ニュースを拝見しながら、胸が熱くなりました

 

 

 

 

11月16日の朝

私の住む、あさぎり町の防災ラジオから、

「19日から27日にかけての試運転」に関する放送が流れてきた瞬間・・

くま川鉄道株式会社様、さらに多くの方々のご尽力、大変なご苦労への心から感謝と

ようやく一歩前に進んだ事の嬉しさに、私は涙が溢れました

 

 

全国の報道各社の方々がここまでの経緯を記事になさって下さいます。

 

 

 

マイナビニュース様の記事では、

震災後、鳥取県の若桜鉄道の技術者の方々が応援に駆けつけて下さったお話、

全国の方々から頂いたありがたいご支援、

国からの「特定大規模災害等鉄道施設災害復旧事業」の指定に関するお話等が記載されています。

 

 

 

 

 

 

くまがわ鉄道は、球磨人吉地域の子供たち、学生にとっても、

とても大切な通学用の交通機関でありました。

 

私の従弟の子供たちも、災害後、通学には臨時のバスを利用していました。

 

 

 

 

乗り物ニュース様 記事

列車1本の代替にバス11台!? 「くま川鉄道」改めて知るその役割 豪雨被害から再開へ

 

 

 

乗り物ニュース様 記事より

 

JR肥薩線の人吉駅に隣接する人吉温泉駅から、球磨盆地の東端に位置する湯前駅まで24.8kmを結ぶこの路線は、元・国鉄湯前線です。

 

1989(平成元)年に沿線市町村などが出資する第3セクター方式の

くま川鉄道、通称“くま鉄“に転換して現在に至ります。

 

沿線には熊本県人吉市、錦町、あさぎり町、多良木町、湯前町があり、周辺10市町村を含めた都市雇用圏としての人口は9万人弱。

被災前は各町の主要駅周辺の賑わいに驚かされたものでした。

 

この路線は国鉄時代から通学利用の多さで知られ、現在でも乗客の8割を沿線の4高校(人吉高校、球磨中央高校、南陵高校、球磨工業高校)への通学利用が占めています。

 

さらに2019年には多良木高校が統合により閉校し、

15kmほど離れた球磨中央高校(旧・球磨商業高校の校舎を利用した新設校)に通う必要が生じたため、通学の定期利用者が2割も増加。

 

通学時間に運行される3両編成の列車(KT-100形、定員110名程度)は、

朝晩には混雑率130%という、大都市通勤路線のそれに匹敵していたほどです。

 しかし、「令和2年7月豪雨」による球磨川の氾濫で、保有する5両の気動車すべてが浸水したほか、球磨川第四橋梁の流失が何よりの痛手となり、再開の目処もつかないまま全面運休を余儀なくされました。

 

 

以上 乗り物ニュース様 記事より 一部抜粋してご紹介致しました。

 

 

 

 

運休の間、各自治体でも、線路を守る為の取り組みを行ってこられました。

 

例えば、私の住む球磨郡あさぎり町でも、

災害後、数回に渡り、町民への線路の草むしり、草刈等の清掃作業の呼びかけがあり、多くの方々がボランティアで参加しています。

 

皆で守ってきた 大切なくま川鉄道

ようやく一部運行再開です!

 

 

 

くま川鉄道株式会社様、さらに多くの方々のご尽力、大変なご苦労

計り知れない大変なご苦労に あらためて、感謝もうしあげます

 

地域の皆さん 心から喜んでおられます

ありがとうございました

 

 

 

 

 

 

2.球磨の紅葉・・🍁

 

ここからは音楽と共にお付き合い下さい😊

 

Fearless Motivation - Never Give Up - Extended (Epic Music)

 

Never Give Up です 😊

 

 

 

 

 

昨年は、災害による土砂崩れ等もあり、気持ちの上でも紅葉を見に行こうという気分にはなれませんでした。

 

しかし、

今年は、一歩ずつ前に進んでいる故郷を感じながら、この地の事を、私の身体の事をいつも心配してくれる子供たちに、美しい紅葉の写真を送ってあげたいと思い出かけてまいりました。😊

 

 

ブログをご覧下さる皆様方にも感謝の気持ちを込めて

球磨の秋、紅葉の風景をお届け致します

 

 

まずは

標高の高い山深い奥里 球磨郡水上村江代

白水滝川上流の風景です 😊

 

白水阿蘇神社様が 白水滝の麓にご鎮座です。

 

江戸時代中期に編纂された麻郡神社私考では

白水阿蘇神社様は

 

白水大明神 江代白水山

祭 十一月初酉日

阿蘇神社同體

草創年紀 大同二年丁亥鎮座

 

とあります

※大同二年 (807年)

 

 

 

白水滝川上流の白龍王滝、白龍妃滝にかかる吊り橋

白龍王橋、白龍妃橋を下から見た風景

 

 

山の稜線をよ~く見て頂くと・・

 

左側に架かるのが白龍妃橋 右側が白龍王橋 です

 

 

下から見た 白龍妃橋

 

治山治水

自然の落葉樹林です。

 

 

山を登り、駐車場に着くと、案内板が出ています。

 

 

 

駐車場の紅葉

 

 

 

ここから、遊歩道を下に降りると、白龍妃橋に至ります。

私は高所恐怖症なので😥、いつもの如く、主人が橋の上から写真を撮ってくれました😅

 

 

 

ご覧下さい<m(__)m>

白龍妃橋からの 風景です 😊

 

 

 

先にご紹介した写真は、下に見える建物近くから撮影しました😊

 

 

 

 

 

 

 

遠い昔・・

古(いにしえ)の時代・・

スギやヒノキを人間の手で植林する前は、きっと山々はこのような秋の色に染まっていたのでしょう・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

続いて

球磨郡錦町の新宮寺様の紅葉です

 

新宮寺は球磨の新宮家の菩提寺であられます。

 

球磨の新宮家については 2019年11月に書いたブログ

古代からの井処(いどころ)球磨と繋がる方々 でもご紹介させて頂いております。

 

 

 

 

熊野三山(熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社)

統括にあたった役職『熊野別当(くまのべっとう)』家であられる

『新宮家』の方

南北朝時代 懐良親王隋従となられ、肥後へお入りに。

 

球磨にて系をお繋げになられていらっしゃいます。

 

 

 

現球磨郡錦町木上(きのえ)。旧木上村の「木上村史」によると
天授四年(1378年) 北朝永和四年 新宮伊豫守行定に木上岩城を賜う。(新宮家譜)

 

 

免田郷土研究会 昭和55年3月発行 郷土 第八号より
 

岩城 新宮行定の墓
木本神社に登る途中にある自然石の墓で、

天室宗春大禅定門 嘉慶二(1388年 北朝年号)中略・・三月廿九日と正面に刻まれ、

左側から背面、右側にかけて新宮家初代初代行家からの由緒が朱入りで刻まれている
行家は八幡太郎義家の子源為義の十男で、行定は行家七代目の末裔らしい。

 

免田郷土研究会 昭和55年3月発行 郷土 第八号より抜粋致しました。

 

 

 

新宮家の菩提寺 新宮寺

この時は、少し早い時期に伺いました 😊

 

 

 

 

 

 

お伺いした日は、少し強い雨が降っていて、観光の方も多くお見えでしたので、お参りをさせて頂く事は控えました<m(__)m>

 

 

新宮寺様も、令和2年7月豪雨では被害に遭われています。

至る所で崖が崩れていますので、復旧工事が行われていました。

 

 

 

以前、お参りした際に撮影した新宮寺六観音様の由来書

 

 

 

新宮寺六観音様のお写真も以前撮影させて頂いておりますので

後日、機会を設けてご紹介させて頂きます 😊

 

 

古代からの井処(いどころ)球磨と繋がる方々 でも書かせて頂いておりますように

 

宗像大社大宮司家 熊野三山別当家 諏訪大社上社の神長官

(じんちょうかん)を務めてきた社家の方々も球磨にお入りになられ系を御繋ぎになられていらっしゃいます。

 

他にも

 

神瀬氏 人吉市史には

高千穂明神系の神瀬氏

と記されています。

※高千穂明神  高千穂神社様です

 

 

求麻外史記載の相良家初代当主「相良長頼」球磨入部の際の、随行者の記録には

球磨の税所氏

その先は篤實親王にして

大隅霧島社の総官職たり

 

とあります。

 

 

こう言った日本各地に御鎮座の名立たる神社様御所縁の方々

球磨には代々住されていらっしゃるのです・・・

 

 

前回のブログ『再投稿㊱後編-5 神の川と苧麻は「ヲ」と呼ぶ球磨人と球磨紀伊山地』を書いてあらためて感じたのですが・・

 

 

 

クマは多く神を意義し居る・・

 

 

つまり 球磨川 とは

神の川

という意味になるのですね・・

 

神の川  球磨川・・

 

球磨・・・クマ

 

この地は、『和名類聚抄』においても・・・

球磨郡 クマ郡

 

 

 

球磨郡・・クマの郡

つまり・・・神様の郡(こおり)

となるのですね・・・

 

 

 

 

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今回は後編シリーズ?ではありませんでしたが(^▽^;)・・<m(__)m>

1.くま川鉄道部分運行再開

2.球磨の紅葉・・🍁

というお話を書かせて頂きました😊

 

 

 

 

 

私には 球磨の自然が教えてくれます

それは・・

ここに居るから解る事・・

なのだと 思います


 
始まりは 数万年前・・・

 

 

😊

 

 

 

 

皆様
最後までご覧頂き ありがとうございました。


油断は禁物です(ー_ー)!!

 

毎回書きますが<m(__)m>
お国がもう大丈夫です!と言われるまで、

お身体十分にお気を付けになられて下さい。

😊

 
 

 

全ての事に感謝の気持ちを込めて

だんだんなぁ~

そして・・・

負けんば~い!!

球磨の地より ひろっぷ でした😊

 

次回『㊳上村麓城跡の紅葉と・耳栓は日本列島を北上している!事・・』に続きます。